天才少女の巡り合わせ
「路傍の石」
何とも微妙な言い回しだが、天体が好きで、天空に、
「誰にも見えない、邪悪な星」
をイメージした本を読んで感動したのを、実にごく最近だったかのように思い出せるくらいだった。
綾子にとって路傍の石とは果たして自分だけのことなのか、それともたくさんいるから路傍の石だと思っているのか、どっちなのだろう?
そんなことを考えていると、自分が何に遠慮し、何に怯えているのかまたしても分からなくなってくる。
「天体の世界、怖いけど興味がある」
と思った子供の頃が懐かしかった。
この表に出ていない犯罪がまもなく暴露されることになるというのも、綾子には分かっていた。
ただ、綾子はこの犯罪が暴露される前に、何かやっておかなければならないことがあると思っている。それが何なのか分からなかったが、おばあちゃんに関係があることであろうとは思っていた。
――おばあちゃんは、自分の死を覚悟しているのかも知れない――
と感じていた。
それは寿命による死でもなければ、病気や事故でもない。自ら命を断つのか、それとも人から殺されるという末路なのか、その感覚はまだ若い綾子には分からないが、死を覚悟した人の表情は分かる気がした。
綾子はおばあちゃんをいつも見ている時、どうしても、おばあちゃんを見ることができない角度があることを自覚していた。人には、自分の人に見せたくない角度というものがあり、本当にその人が他人に見せることがないというのは難しいことであった。どこから見ようともその人の性格を表していて、見られたくないと思っている部分があるのは誰にでもある部分であり、人によっては、
「皆が見られたくないと思っているような部分でも、実は見てほしいと思っているような人もいる」
ということを、綾子は知っていた。
いわゆる変質趣味であり、見られることを喜びとするものだ。
綾子は、何とかおばあちゃんが死ぬことのないようにしようと考えた。それにはまずおばあちゃんが一人で何を抱え込んでいるかを確かめる必要があったのだが、おばあさんは絶対にその方向を綾子に見せようとしない。それを考えていると、綾子の中でおばあちゃんの過去に、まったく正反対の性格の人間がかかわっていたということが分かってきた。
前述のような変質趣味、
「自分たちの変態的なプレイを、他の人にも見てもらいたい」
などという屈折した変態趣味を、綾子のような純情な女の子が理解できるはずはなかった。
しかし、それを理解できないまでも、綾子が抱えている思いを解きほぐすだけの発想にまで至らなければいけないのだ。
だが、綾子が抱えている妄想は、想像の域を抜けない。誰かに話しても信用してくれるはずもないものだ。
では、綾子には何か突破口はないというのか?
頼れる人は思い浮かぶだけで、武彦しかいない。しかし、まともに話をしても信用してくれるはずもない。何か根拠がなければいけない。そこで綾子は、今問題になっている例の車の中から発見されたという女性のことを自分なりに解釈してみようと思った。もし、警察や捜査員でしか知り得ないはずの情報を綾子が知っていれば、信用してくれるかも知れないという考えであった。
しかし、これにはリスクもあった。
「どうしてそんなことまで知っているんだ?」
と言われれば、どう答えればいいのだろう。
確かに、ひき逃げの時には信用してもらえたが、さすがに二度目はどうだろう? 逆に知っていることで、変に綾子のことを疑い、気持ち悪がられてしまうということも無きにしも非ずである。それを思うと、思い切るにはリスクの高さを感じないわけにはいかなかった。
――だけど、これはおばあちゃんの死に関わることなんだ――
と思うと、胸を締め付けられる思いだった。
だが、この感情が逆に綾子の能力を高める結果になるのだから、実に綾子の持っている能力というのは、つくづく皮肉なものである。ただ、この思いは綾子に限ったことではない。他の誰もが持っている力であることが前提なので、皮肉というのは、少し違うのかも知れない。
とりあえずおばあちゃんのことは放っておいて、まずは、考える、いや能力を使うべきは、この間発見された車の中での女性の殺害事件について、頭を巡らすことにあった。
あの事件は、旦那の失踪とは切り離して考えられているようだ。綾子もあの事件には何か気になるところがあり、しかも武彦や、以前お世話になった門倉刑事が関わっているということもあって、気になるところであった。
しかし、自分には関係のないこととして考えていたので、途中を気にしていなかった。ただ、最初に見た新聞記事の一番最後に書かれていたこととして、
「なお、死亡した女性の夫が、三年前から失踪中である」
ということを見た時、何かが引っかかった。
ひょっとすると、一番何に引っかかったのかというと、最後のこの一行だったのかも知れない。まるで霊でも乗り移ったのかと思ったほどである。
綾子は、その失踪した旦那というのが、死体が埋められている場面を発見したことと頭の中でリンクするのを感じていた。
――この間は世間話的に話し方になったけど、今度はもっとハッキリ言った方がいいのかしら?
と思っていた。
だが、しょせんは女子高生の戯言として流されてしまえば、せっかくのネタも二度と浮かび上がってこないだろう。いくら綾子が予言したことであったとしても、少しでも心に残る何かがあれば、信憑性として武彦も意識してくれるかも知れないのだろうが、下手にスルーされてしまうと、その可能性が限りなくゼロに近づいてしまう。
そんな時、綾子はふとした偶然で、和田とニアミスを起こした。
和田の方はまったく気にしていなかったが、綾子には和田がどういう人間なのか、ピンときた。
――この人があの時のひき逃げ犯なんだわ――
と気付いた。
しかし、どう見ても悪い人には思えない。実際に彼は鉄砲玉として利用されただけなので、綾子の想像は当たっているのだが、綾子の中で妄想をすることはできても、人の気持ちを想像でくっつけるというところまではいかなかった。まだ高校生ということもあるが、小学生の頃にいわれた、
「ウソつき少女」
という誹謗中傷が、彼女を大人の世界に踏み出す自分を躊躇させるのであった。
だから、綾子には誹謗中傷を受けたり、弱者の視線がその分、備わっている。その気持ちが和田という男にシンクロすることで、
――この人、本当はそこまで悪い人ではないんだ――
と感じた。
綾子が和田と遭遇したのは、和田がおばあさんの家から出てくるのを見たからだ。その様子を見て思わず隠れてしまったが、
――隠れてよかった――
と、思ったのもおばあちゃんが自分に知られたくないと思っていることがあり、それがこのことだということを悟ったからである。
和田は、玄関先で丁寧におばあちゃんに頭を下げている。おばあちゃんはそれを見ながら、
「またいらっしゃい」
と見下ろしているように見えたが、
――おや?
と感じた。
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次