天才少女の巡り合わせ
その殺人が行われるには行われたが、秘密裏だったので、死体が発見されないという方向から犯行を行うように修正された。そのため、事件なることがないため、鉄砲玉を必要としないのだ。
だから、密かに殺人があったということは、組の中でも上層部のごくわずかの人しか知らない。死体は極秘裏に始末され、発見されることはないと思われた。
「鉄砲玉などという姑息な手段を使うよりも、事件として発覚しないという方がどれほど安全なものか」
と組織は考えたのだ。
鉄砲玉などという考えは、もはや古いのだろうか?
しあし、交換殺人というものは、結構昔からあったりする。探偵小説などのミステリー作品では、よく散見されるが、実際にはなかな聞くことはない。
その理由としては、長所と短所がハッキリしているからではないかと、探偵小説をよく読んでいた武彦はそう思うのだった。交換殺人とは、読んで字のごとく、
「誰かと殺人を交換して行うこと」
を意味している。
まず交換殺人を犯すメリットとしてであるが(ここでは敢えて長所とは書かない)、一番に思い浮かぶこととしては、
「お互いのアリバイを証明することができる」
ということだ。
一番殺害に動機を持っている人間に完璧なアリバイが存在すれば、その人に嫌疑が及ぶことはない。しかも、殺害した実行犯は、捜査線上に最初からいないのだ。そういう意味でメリットだけを考えると、なかなかな手段のように思える。
しかし、それに対してのでデメリットの方が結構大きかったりする。制約が厳しいというが、そもそも交換殺人をするには、もう一人、誰かを殺したいと思っているまったく自分とは無関係の人間を探してこなければならず、相手も納得していなければ、この計画は最初からないも同じだ。
そういう意味で、交換殺人の計画は最初から練られたものというよりも、偶然そういう相手を見つけたことで犯罪計画が始まると言って方がいいかも知れない。
つまり、
「交換殺人のトリックとしては、あくまでもアリバイトリックである」
ということになるであろうか。
逆にいうと、表面上には分かりやすい殺人がまったく別で行われたと思わせなければ意味がないことになる。そこに下手なトリックを介在などさせれば、せっかくの計画が破綻してしまう。あくまでも表に出ている犯罪は犯人が確定できるところまで行っていなければいけない。
それでいて、最重要容疑者にはアリバイがあったということで、捜査はまた堂々巡りを繰り返すことになるのだ。
さらに、交換殺人のデメリットとしては、まず少なくとも一人は犯人側に必要とする。逆に言えば一人でなければいけないわけだが、少なくともその人は自分が殺したい相手の実行犯であって、「共犯者」ではない。いわゆる狭義の意味での共犯ではないということだ。そういう意味で、お互いの利害は一致しても、人情的にはまったく信用できない相手だと言ってもいいだろう
そんな関係で結び付いた二人に共通のものは、殺害という利害の一致だけである。
「とにかく殺したい相手がいる。そのために自分が捕まりたくはない。何とか殺しておいてその県議から逃れたい」
それ一本である。
つまりは、交換殺人は前述のようにアリバイ作りが目的であることから、同時に別の場所で行うというのも難しい。なぜなら、お互いに利害のない相手とはいえ、同じ時間に殺害をしているのだから、アリバイがないも同じである。どちらかが最初に殺害を犯し、相手が自分の代わりに次は自分の利害のある人間を殺してもらうのを待つだけだ。
しかし、ここで大きな問題が孕んでくる。自分が最初に相手の望み通りに殺人を犯したとしよう。そうなると、相手も同じように犯罪を犯してくれるだろうか?
その時点で、まだ頭の中がパニックになっている人であれば、計画通りに動くだろうが、普通に冷静になってみれば、まず犯罪を犯すなどということはない。なぜなら、自分にとって邪魔な相手を、完璧なアリバイを持って、他人が殺してくれたのだ。これ以上のありがたいことはない。それを何を無理してまで、相手に義理立て。自分が知らない人を殺さなければならないというのか、どちらが言い出したとしても同じことである。第二の殺人が起こる可能性は、限りなくゼロに近いと言ってもいいだろう。
そうなると、第一の犯罪の実行犯とすれば、後は自分が捕まらないことを望むだけである。幸いなことに殺害した相手とは利害関係がまったくないということだ。疑われる心配はない。
だが、果たしてそうであろうか? 完全犯罪などなかなかないのと同じで、自分が行った殺人で、何か致命的なミスを犯していないとはどうして言えよう。最新の注意を払ったつもりでいても、どこかに指紋が残っていたり、自分の知らないところで誰かに見られていたり、特に最近は防犯カメラも独自に持っている人もいるくらいだ。どこに何が潜んでいるか分からない。
もちろん、防犯カメラの位置くらいはちゃんと調べてはいるが、調べた後、犯行に及ぶまでの短い間に、誰かが設置していないと誰が言えるであろうか。
そうなると、疑心暗鬼にどんどん入り込んでしまい、自分の孤独感がピークに陥る。しかも当初の目的通りに、自分に理解のある人間には何も起こっていないのだ。せめて相手の人が始末でもしてくれていれば、少しは気持ちが落ち着くというものだが、結果として自分で自分の首を絞めることになっただけのことである。
だからと言って、第一の犯罪を企んだ相手として、いわゆる共犯者を訴えるわけにもいかない。その人間には完全なアリバイを自分が作ってやったも同然なのだ。しかも、相手が自分の名前を出そうものなら、もうどうしようもない。
確かに自分と殺した相手には何ら利害関係もなければ、会ったことすらなかった。しかし、それを証明してくれる人はいない。唯一あったであろう相手を、自分で抹殺してしまったのだから、始末に悪い。供述などは、共犯が何とでも言えるであろう。殺害された人から、自分の名前を聞いたことがあるなどと言って、いかにも自分が被害者に付きまとっていたなどという供述である。
しかも、自分にアリバイがないのも当たり前だ。最初から利害関係のない相手だということでタカをくくっていたのも事実だし、アリバイがなくてもいいようにするための、交換殺人ではないか。これでは交換殺人ではなく、相手に騙されてトリックにでも引っかかったというべき、
「叙述殺人」
とでも言えるのではないか。
それが結果であり、真実であった。
ミステリーや探偵小説の中で、必ず存在するのが、いわゆるトリックと言われるもの、ハッキリと目に見える機会トリックのようなものから、相手を心理的に追い詰めたりすることで成立する心理トリック、さらに、密室や死体損壊のトリックもそうである。交換殺人などで扱われるアリバイトリックなどもそうである。
その中に、叙述トリックというのがある。
これは語り手や、筆者が読者に対して与える心理的なミスリードで、いわゆる、
「まさかの展開」
というやつである。
読者は、それを見て最後に、
「しまった」
と苦笑するであろう。
中には、
「騙された」
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次