天才少女の巡り合わせ
昨夜もそのつもりで巡回をしていたので、もしそんなおかしな車が停車していれば、即座に駐車禁止にはしていないにしても、警告くらい貼るくらいの意識があったはずだ。時々住宅街にも違法駐車が散見されるが、そのほとんどはその日のうちに車を移動させている。
ちょっと知り合いの家に寄っていたという程度で、駐車違反とまでにはできないほどであった。
やはり、車はいなかったと見るのが正解であろう。
では、犯行現場はどこだったのか?
車がそこにいなかったのだとすれば、どこかで殺害し、ここに放置したという仮説も成り立つ。しかし、明らかに車の出入りに邪魔になりそうなtころにあるのだから、故意に発見されるつもりではなかっただろうか。
普通死亡推定時刻を曖昧にしたいと思うのであれば、少しでも発見を遅らせようとするものだが、早く発見されて何か犯人の得になることがあるというのだろうか?
もし、あるとすれば、アリバイ作りが一番の有力である特定された死亡推定時刻が、ほぼ幅のないものであり、しかもそのピンポイントな時間に、完璧なアリバイでもあるとすれば、死体がなるべく早く発見されることを望むに違いない。
しかし、もしそうだとしても、どうして車を放置する場所がここだったのだろう?
何もこんなところでなくとも、もっと早く発見されたいのであれば、もっと人通りの多いところで、思い切り駐車違反をしていれば、簡単に見つかるはずである。何かこの場所でなければいけない理由があるとすれば、やはり発見者が怪しいと思えなくもない。
武彦はいろいろ考えていたが、考えはまとまらなかった。
そこへ門倉刑事がやってきた。そして、武彦は今の自分が考えていたことを門倉刑事に話してみた。
「なるほど、なかなか君は面白いところに目を付けたね。確かに今の推論はもっともなことだと思うよ、事件に絡む何かが潜んでいるとすれば、そのあたりにあるのではないかと僕も思うし、僕としても捜査を今の話から進めていくだろうね。とっかかりとしては、いい線言っているんじゃないかって思うんだけど、あくまでも想像でしかない。捜査するにも、それなりの信憑性があり、説得力がないと、組織は動かないよ」
という話だった。
それももっともなことだった。
門倉刑事は続けた。
「だけどね、そうやっていろいろと想像していくと、必ずどこかで壁にぶつかると思うんだ。その壁というのは、ほぼ十中八九、堂々巡りを繰り返してしまうんだ。まるで、交わることのない平行線を描いているような、一種の矛盾とでも言えばいいのかな? それは一種の『メビウスの輪』のようなものと言えるのではないかな?」
「堂々巡りを繰り返すという意味では、『メビウスの輪』と言えるかも知れませんね。でも、どこかに出口はあると思うんです。理論上の密室殺人はできたとしても、現実には不可能であることに違いはないんですからね。小説などでできるというのは、それは心理的なトリックを用いて、密室ではないのに、密室のように仕立て上げる。つまりは心理的な密室に他ならないんです。それを思うと、僕にはこの事件はまだまだ奥がありそうに思うのかも知れないですね。最初に理論ばかりで考えてしまうと、その奥深さを見逃してしまうところがあるからですかね」
と、武彦は門倉刑事を相手に、堂々と言ってのけた。
門倉刑事は、自分が今まで担当してきた事件で、自分以外の捜査員、例えば刑事になりたての男だったりが、その助言によって事件解決に繋がったりしたことが多かった。そういう意味では今回の武彦は重要人物と言ってもいいかも知れない。以前ひき逃げ班の逮捕に一役買ったのも彼ではなかったか。そう思い、今回は巡査という立場でありながら、その助言には十分な思案を巡らせていこうと思うのだった。
その後に分かったこととして、被害者の身元だった。
彼女は近所に住む主婦(未亡人と言ってもいいような)だった。夫というのは、三年前に行方不明になっていて、彼女の名で指名手配されていた。彼女の名前は谷川美鈴といい、夫は谷川隆一という。
年齢は失踪した旦那の方が今の年齢でいうと、三十三歳、失踪当時三十歳だったことになる。
奥さんの方は、今で二十七歳。少し年の離れた夫婦だった。
二人の間に子供はなく、結婚したのが五年前。旦那は大学院で生物学の研究をしていたが、彼女は旦那になる隆一の師に当たる教授のゼミ生であった。その関係から知り合いになり、奥さんの方が旦那にアタックしたということだった。結局奥さんが大学を卒業すると同時に結婚し、そのまま専業主婦になったというわけだった。
彼女の住まいは駅近くのマンションだった。高級マンションというわけではなく、普通の賃貸で、オートロックもついていないようなところである。二人暮らしということで、二LDKは贅沢かと思われたが、美鈴の方で、
「赤ちゃんができれば、すぐに狭くなるわ」
ということで、その部屋にしたということだった。
だが、なかなか子宝に恵まれなかった。最初の二年間くらいは、
「まだまだ若いんだから、新婚気分の間は、子供はつくらないようにしよう」
という旦那の意見もあって、気が付けば新婚気分を二年も味わっていた。
結婚生活も落ち着いてきて、
「そろそろ子供がほしいかな?」
と思っても、なかなか授かるものではなく、それから三年が経って、
「私、病院で診てもらおうかしら?」
と、不妊を気にし始めた矢先、旦那の隆一が行方不明になったのだ。
行方不明になったその日、旦那は大阪に出張予定だった。前の日からアタッシュケースに出張の用意を美鈴が行い、翌日は十時の新幹線だったので、家を出る時間は普段と変わらなかった。
出張期間は四泊五日ほどだったので、少々嵩張るのは仕方のないことであったが、同行者が教授ということなので、それなりに気を遣うであろう。
――却って荷物が嵩張るくらいの方が気が紛れていいかも知れない――
と、美鈴は思っていた。
すでに新婚気分などはなくなっていた二人だったが、旦那が出張に出かけた時は、毎日夜になると連絡を旦那の方から入れていた。いわゆる定時連絡のようなもので、美鈴の方では、
「そんなに毎日わざわざかけてこなくてもいいのに」
と言っていたが、内心では嬉しかった。
結婚当時は熱を上げていたのは美鈴の方だったが。結婚生活に入ってからは、隆一の方が美鈴に熱を上げるようになっていた。言われてみれば、新婚の頃はまだ垢抜けしないあどけない少女というほど幼く見えた美鈴だったが、次第に一人の女としての魅力が垣間見えるようになってきて、その美しさは色褪せることなく、上り調子だった。
そんな美鈴は近所でもウワサになるほどの美人妻として評判だった。そのことをどこかから聞いた隆一は、余計に女房の美しさに惹かれていき、まわりに対して少し猜疑心が湧いてくるようになった。
その頃から、谷川さんのところは奥さん、ものすごくきれいだけど、旦那さんは何か胡散臭く見える」
と言われ始めていた。
もちろん、そんなウワサを谷川夫婦の耳に入れるわけにもいかず、結局谷川夫婦二人に対して近所の人は少し距離を置くようになった。
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次