天才少女の巡り合わせ
武彦は思わず身を隠して、和田の様子を見ていた。和田はどうやら工事現場の中を覗いているようだったが、工事はちょうど今中止の状態のようで、立ち入り禁止の立札や、安全第一、危険などのよく見る看板が目立っていた。
その場所は、街のどこにでもある風景であり、別に不審なところは何もなかった。なぜ武彦がその場所を気にするのか分からなかったが、しばらく佇んでいると、またフラッとどこかに歩いて行った。急いで武彦を彼が立っていた場所の近くまで行って中を見てみたが、別に怪しいところもなかった。
ただ、和田の就職先が建設工事現場ということだったので、そこが彼の会社が請け負っている場所からと思ったが、そこに掲げられていた看板の工事請負会社と、先ほど彼からもらった名刺に載っている会社名とはまったく違っていたのだ。
「これは一体、どういうことなのだろう?」
と武彦は思った。
――では、彼は一体何を見ていたというのか、何かそこに秘密があるとでもいうのだろうか?
武彦は、何か背筋にゾクッとしたものを感じたが、それが何なのか分からなかった。
その後も和田を尾行していたが、すでに自分の警ら範囲を超えてしまったため、それ以上の追跡はできなかったが、どうやら駅に向かったようだ。そのまま電車に乗って帰るのかも知れない。
和田の後ろ姿を見送りながら、内心では、
「就職できてよかったな」
と声を掛けていた。
その掛けた声が、本当に実を結んでくれることを、その時武彦は切に望むのであった……。
車中遺棄
和田が武彦の交番にやってきてから四日が経ったある日のことだった。その日は朝から気温がどんどん上がり、午前九時の時点で、三十度を優に超えていた。深夜でも三十度近い気温は、クーラーつけていないととても眠ることのできないほどの酷いもので、熱中症には気を付けなければいけない状態であった。
その異変に最初に気付いたのは、住宅街に住む一人の主婦だった。
朝、いつものように慌ただしく旦那を送り出し、子供を保育園に連れていくために、駐車場の扉を開いて、車を出そうと思った時だったが、ちょうど車を出そうとするところに、違う車のテール部分が見えた。
「何よ。こんなところに留めて、迷惑駐車もいい加減にしてほしいわ」
と思い、その車を覗きに行った時である。車の中で一人の女性がシートを半分倒して身体を持たれかけていた。
「眠っているのかしら?」
と思い、運転席側の扉を叩いてみたが、返事はない。
しかも、エンジンはかかっているわけではなく、いくらまだ朝の時間帯とはいえ、窓も締め切っているので、車の中は相当な高温になっているのではないかと思った。
「まさか、熱中症?」
と思い、急いで救急車と警察を手配した。
カギが締まっている状態の車の中に人が閉じ込められているのだ。いくら急病人かも知れないとはいえ、勝手にカギをこじ開けるわけにはいかない。警察にはその話をしているので、鍵開けのプロを連れてきてくれることであろう。
果たしてまずやってきたのは、交番の真田巡査だった。武彦は中の様子を見て、窓を叩いてみたが、やはり微動だにしなかった。
しかも、その主婦は慌てていたので気付かなかったが、この男は胸の上に毛布のようなものを被っていた。それを指摘すると、
「あら、気付かなかったわ」
と奥さんも不審に思ったようだが、そうこうしているうちに、署の方から担当刑事とさらに救急車も到着し、ついさっきまでは閑静な住宅街だったものが、あっという間に殺伐とした雰囲気になっていた。
さすがにパトカーと救急車の音が聞こえたのだから、近所からも野次馬がたくさん出てきた。本当にテレビドラマさながらの光景だった。
車のカギは簡単に開けられ、刑事の一人が、
「大丈夫ですか?」
と声を掛けたが、そこにはやはり微動だにしない様子の男性がいて、刑事が不審に思った毛布に見えたシーツを取り除くと、
「わっ」
という声とともに、
「キャア」
という女性の声がほぼ同時に聞こえた。
最初に発見した主婦も、その現場を見てしまったからだった。まさかそんなことになっているとは想像もしなかったのか、捜査員が中の人に声を掛ける時、人払いをしていなかったのだ。
シーツを開けようとしたその時、捜査員は一瞬、
「何か重たい感じがする」
というのを感じた。
何かがへばりついているような感覚があったのだ。
それが、真っ赤な鮮血であると気付いたのは、シーツをまくり上げている最中だったのか、それともまくり上げてその瞬間を見る前だったのか、その時、捜査員はとっさに、
「やっぱり」
という思いを感じたのだ。
先ほどの、
「わっ」
という言葉も決して予想していなかったことに対しての悲鳴ではなかった。
自分の想像していることの通りのことが起こっていることで、自分が想像してしまったことが、その状態が作られたのではないかと感じたからだった。
それが殺人事件であることは明らかだった。彼の胸には垂直に鋭利なナイフが突き刺さっていたのだ。自分で刺したわけではないことは見るからに明らかで、上からかけられたシーツにナイフを刺した跡がなかったのだ。
つまりはナイフを突き刺してからシーツを身体の上にかぶせたというわけで、自殺をした人が自分でそんなことができるはずもない。すぐに、あたりを封鎖したが、まず検挙が無理なことはすぐに分かった。死後硬直から見ると、鑑識ではない捜査員であっても、数時間は経っていることは分かっていた。もちろん、血液の凝固具合から考えてもそれは歴然であり、武彦にもそれは分かっていた。
その後、鑑識が到着し、いろいろなことが分かってきた。まず死亡推定時刻であるが、今から八時間くらい前だというから、午前四時前後ということになる。基本的にはまだ誰も眠っている状態の静寂の中なので、目撃者というのは絶望的かも知れない。新聞配達の人くらいが見ているかも知れないという程度であろうか。
ただ、ここで殺害されたのであれば、誰か悲鳴くらい聞いているかも知れないとも思ったが、その後の聞き込みから誰も聞いていないという。閑静な住宅街なので、番犬として犬を飼っているところもあったが、イヌが吠えたなどという話はどこからも聞こえてこなかった。
現状にあった車であるが、日にちが変わるくらいまでは、そこに車がなかったことはハッキリしている。隣のご主人がちょうど午前零時くらいに自家用車で帰宅しているが、その時に車はなかったと断言したからだった。
実際にこのあたりを見回った武彦も、確かに午後十時ころまでは、このあたりに不審な車がなかったことは証言している。違法駐車に関しては、いつも憂慮していた武彦がいうのだからその時間にこのようなおかしな止め方をしている車がなかったのは、事実であろう。
このあたりのパトロールは夕方よりも夜の方が多い。特に痴漢やひったくりなどの被害が多いのは夜のこのあたりだからである。見回っているというだけで犯人も迂闊に手を出せないとして、防犯にもなるのだ。
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次