天才少女の巡り合わせ
と綾子は言った。
本当なら、
「なぁんだ、夢の話か」
ということでそこで終わってしまうことだろうが、以前、交通事故の時も綾子の証言で助けられたこともあったではないか。
笑ってすませられることではないと思った。
「でも、どうしてその事件を思い出したんだろうね? まだその事件が解決していないか何かで、気になっていることなのかも知れないね」
と武彦がいうと、
「ええ、解決していない気がするの、まだ何も……」
と言って、少し悲しそうな顔をした綾子だったが、どうしてそんな悲しそうな表情になったのか、武彦は分からなかった。
二人は真剣に話をしていたので気付かなかったが、交番にその時、一人の男が尋ねてきていた。
それに気づいた武彦が、
「和田君じゃないか」
と声をかけた。
綾子は知らなかったが、この和田というのは、かつての交通事故の証言を綾子がしたことで、少なくともひき逃げ事件の犯人として逮捕されることになった相手である。さすがにその時の証言を誰がしたのかということまでは和田には分かっていなかっただろう。和田の検挙は証言というよりも、確固たる証拠があっての逮捕だったので、綾子が証言台に立つことなどなかった。
ただ、事情は知っている武彦だったので、一瞬ビックリはしたが、すぐに気を取り直した。
綾子の方も、ひき逃げ事件で逮捕された男性がどういう男だったのかということも、名前すら知らなかった。証言はしたが、別にどんな男だったのかなど興味もなかった。ただ、事件が解決したということだけは聞いていた。逮捕された男がどうなったのかということすら知らなかったのだ。
「何か、楽しそうなお話だね」
と和田は、茶化すように言った。
「ええ、私の夢のお話。このお兄ちゃんに聞いてもらっていたのよ」
と、綾子はそう言って、和田にあどけないいつもの顔を向けていた。
――和田はこの子をどういう目で見ているんだろう?
と武彦は感じた。
二人の会話をどのあたりから聞いていたのか分からなかったが、和田という男が、気配を消すことができる男だということにその時初めて気づいた。
この能力があるから、彼は小心者でありながら、悪の道に手を染めることになったのかも知れない。なぜ彼が悪の道に入ることになったのか、その理由は分からない。彼の過去もいろいろ調べられたが、過去において、何かの犯罪に加担するようなことはなかった。学生時代に別に変な連中と付き合っていたわけでもなく、ぐれていたわけでもない。
家庭環境が悪くて、おかしな道に入ったというような調査結果も出ていない。ただ、彼を見た精神科医が、
「あの男はどこか普通ではないような気はするが、あくまでも犯罪に関係があるようなほどではないので、ここでは何とも言えない」
という曖昧なことは言っていたようである。
つまり精神鑑定を必要とするほど、彼に犯罪に加担するような動機はなかったのだ。だから、精神鑑定に回されたのだろう。そこで曖昧な診断を受けたことが判決にいかに作用したかは分からないが、とにかく精神科医が曖昧な診断をしたというのは、微妙なことだった。
武彦は、この男を何とか更生させたいとして張り切っているが、綾子にはどうにもこの男を好きになれないところがあった。この日初めて会ったはずなのに、
「初めて会ったような気がしない」
と感じた。
普通、こう感じる時は、悪いことで感じるわけではないのに、どうしてそう思ったのか、自分でも分からなかった。もちろん、どこで会ったのかなど分かるはずもなく、ただ謎の不気味な人という印象だけがあったのだ。
綾子は、さすがにこの場にいるのは気が引けると思ったのか、
「じゃあ、お兄ちゃん。私はこれで」
と言って、その場を立ち去った。
その後ろ姿を見守る武彦の目は、本当にお兄ちゃんのような目をしていたことだろう。和田はそんな二人を気にしていないような雰囲気で、
「ところで真田さん。再就職が決まったので、お知らせに来ました」
と言って、武彦を和田は見つめた。
刑務所から出所して、それほど時間が経っていたわけでもないのに、これは少しビックリだった。もし、職探しがうまくいかなかったら、門倉刑事にお願いしてみようかと思っていた。刑事ドラマなどでは、よく刑事が出所した人の職を世話するというシーンを見ていたので、そう思ったのだが、元々、ひき逃げや詐欺などのような犯罪なので、職を世話するといっても微妙ではないだろうか。一抹の不安を感じていただけに、職が決まったと聞いた時、ビックリもしたが、嬉しかったのも事実だ。
――だけど、よく就職できたものだ。家族にコネでもあったのかな?
と思って聞いてみると、
「ええ、兄が建設会社で部長をしているんですが、そこからのつてで、下請け会社の工場で働かせてもらえることになりました」
という兄弟のコネだったようだ、
「それはよかった。わざわざそれを知らせに来てくれたのかい?」
と聞くと、
「ええ、そうなんですよ。ところで、お巡りさんはどうですか? 最近は落ち着いているようですね」
と聞かれて、
「ああ、細かい事件は、相変わらずなんだけど、重大な事件が起こっているわけではないので、それなりに普通ということかな? もっとも俺が忙しいということは悪いことなので、これくらいがちょうどいいんだろうな」
と言って笑った。
和田は、就職が決まったことをそれ以上話すわけではなく世間話を始めた。武彦は少し不審に感じたのだが、
――就職が決まったことを知られにきたのであれば、もっとそのことに触れてほしいはずなのに、どうして話を逸らすようなことをしているんだろう?
と感じた。
自慢とまではいかないまでも、わざわざ訪ねてきてくれたのだから、目的が就職内定の報告であれば、もっと話をしようとしたり、こちらに触れてほしいと思うはずではないだろうか。そう思うと、今日の来訪は何が目的なのかを考えてみた。
普通の世間話をしているようだが、どうも今のこのあたりの情勢について知りたいようではないか。まあ、ウソをついてもすぐに分かることなので、普通の会話として話せる部分は話を合わせていた。実際に最近は本当に落ち着いていて、おかげさまで凶悪事件もなく、彼が関わっていたような詐欺被害を聞くこともなかった。
もっとも詐欺関係であれば、こんな交番ではなく、直接警察署に行くはずである。それも和田くらいになれば分かっているはずだ。ということは、武彦の考えすぎであろうか。
「じゃあ、今日はこの辺で帰ります。また仕事が落ち着いたら話をしにきますので、その時はまたよろしくです」
と言って、和田は帰っていった。
武彦はどうにも気になってしまったところへ、ちょうど警らで表に出ていたもう一人の相棒が帰ってきた。次は自分の番なので、最初から警らの準部はしていたので、そのまま入れ替わりで表に出た。
見渡すと、もうそこには和田の姿はなかった。
――しまった、見逃したか――
と思い、思わず舌打ちをしてしまったが、交番を出てから三十分くらいしてからであろうか、ある工事現場のところで、和田が立ち竦んでいるのが見えた。
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次