天才少女の巡り合わせ
――この角度が、綾子ちゃんを一番美しく見せるんだろうな――
と感じたが、さすがにそんな雰囲気の彼女に妹という印象はなく、お兄ちゃんと言って慕ってくれる少女に対して抱いた感情を打ち消そうとする自分に、羞恥と自己嫌悪に襲われるのだった。
目のやり場に困っているのを綾子は気付いているのか、思わせぶりなその顔は、妖艶ささえ感じられた。
「まるでルパン三世に出てくる峰不二子のようだ」
と感じたが、正直いうと、綾子に対して峰不二子を感じるのは、自分のポリシーが許さない。
そういう意味で、自己嫌悪を感じるのだった。
綾子は、誰が見ても明らかに知恵遅れに見えた。知恵遅れの女の子のイメージとしては。
「何も知らない純真無垢な少女」
というイメージか、あるいは、
「その性格に比例しない大人の雰囲気、いわゆる妖艶さを含んだ女性か」
という両極端な二つに分かれるような気がする。
そういえば、昔の小説などで、花魁などを扱ったものを見ると、絶世の美女と呼ばれる花魁が知恵遅れだという話を見たような気がする。そういう設定の方が小説としては都合いいからそうしているだけなのかも知れないが、そういう話が実際に伝わっているからこそ、話として流用できるのかも知れない。
特に花魁などの昔の話は、実際にあった話をモチーフにして、新たな架空の物語を作っていくというやり方もありではないかと思っている。
そんな中に登場する女性は、その生い立ちは悲惨なものだったりする。百姓が年貢を納められずに、年貢のかたとして、娘を売りに出す。その娘はその薄幸な運命に呪われているかのように、病気持ちであったり、頭が少々足りないなどという設定になる。
「絶世の美女が、薄幸な運命とともに病弱だったり、知恵遅れだったりする」
というのは、いわゆる、
「ギャップ萌え」
とでもいうべきであろうか。
もちろん今の時代にそんな人身売買のようなことが公然と行われているわけはないのだが、綾子を見ていると、どうしても、「ギャップ萌え」を感じないわけにはいかない。
さすがに綾子に病弱さは感じないが、自分のことを、
「お兄ちゃん」
と言って慕ってくれる様子は、あどけなさの中にたまに見せる「絶世の美少女」を思わせる雰囲気に、目のやりどころに困るほどであった。
もちろん、武彦は彼女がかつて天才少女などと呼ばれていたことを知らないので、彼女の妖艶な雰囲気がどこから来るのか知る由もなかった。
もし、彼女の過去を知っている人がいれば、
「この妖艶さは超能力が備わった彼女の中に潜在的にあるものではないか」
と感じさせることであろう。
今では彼女が天才少女であったということを意識している人は誰もいない。
「かつてそんな女の子が確かいたよな」
という程度で、近所にいたということを意識していても、その子がその後どうなったかなど、知っている人はおろか、考える人もいなかった。
そもそも、誹謗中傷もどんな力を持ってしても逃れることができなかったのに、時というものが、あっという間に蹴散らしてくれた。綾子は童話で習った、
「北風と太陽」
の話を思い出した。
「男のコートを北風が力任せに脱がそうとしても、男は決して脱ごうとはしない。しかし、太陽が男にその光を与えることで、男は容易にコートを脱ぐ」
という話だったが、これは普通に考えれば当たり前のことである。
男は、まず自分の保身を図るのだ。この話はあくまでも北風と太陽の二つの目線から作られているので、どうしても脱がせる方から考える。そうすると、力任せの北風の方があきらかに有利な気がするのだ。
だが、実際には男にしてみれば、北風が吹いてくる状態でコートを脱ぐというのは、自分の死を意味すると思うだろう。だから、必死で脱がされないようにしている。
逆に太陽はその暑さで男を包み込むが、男としては、暑さから逃れるための方法としてコートを脱ぐのが一番の最良の方法だと分かっている。だから何もしなくても、太陽が光を浴びせるだけで、男は簡単にコートを脱ぐのだ。
それと同じことではないだろうか。
つまり、いくら超能力を使って強引にその場の苦しみから逃れようとしても、まわりは却って面白がって、話題にする。そこには集団意識というものが存在したり、話題性の共有が、自分を孤立にしないという他人の都合が働いている。そんな状況に対して、いくら超能力があったとしても、不特定多数の人間に通用するはずもない。
しかし、時というのは、人間の感覚をマヒさせたり、それまで興味深かったことをあっという間に興味を失わせる力を持っているようだ。
これは太陽のように意識をしてのことではない。そういう意味では太陽も時というも実に残酷なものだと言えるであろう。
意識しない方が、相手に与えるダメージが大きいなどと言われることがあるが、まさにこの時の太陽であったり、時というのが、それにあたるのではないだろうか。
綾子は、武彦を慕いたいという思いから、
「仕事の邪魔にならないようにさえしていれば、お兄ちゃんと言って慕っていてもいいんだ」
と感じていた。
小学生の頃は甘えたくても甘えられない。
「あなたに全国の人が注目しているのよ」
と、よく母親に言われていたが、まさしくマインドコントロールに掛かっていた。
そのおかげで、ウソつき呼ばわりされた時も、
「私は注目されているんだ」
と思うことで、まわりの人から、
「綾子ちゃん、あまり意識しない方がいいわよ」
と言われても、そんなことができるはずもなかった。
意識しない方がいいというのは、あたかも気にしていないといけないと言われているのと同じことだと思い込ませるに十分だった。
親からも、
「気にしちゃダメ」
と言われたが、その時に感じたのは、
「じゃあ、どっちなの?」
ということであった。
まわりの人が注目していると言ってみたり、気にしちゃダメと言われてみたり、確かにまわりの様子が変わったのだから、臨機応変というのは必要なのだろうが、肝心な部分はブレがあってはいけないと思っていた。
「あれは何年前だったしから? 確かお兄ちゃんがこちらに赴任してくる少し前くらいに殺人事件があったような気がするんだけど、私の気のせいだったのかしら?」
と綾子がいうと、
「僕が知る限りではこの交番の近くで殺人事件があったという記憶はないんだけど、でも綾子ちゃんがそういうのならあったのかも知れないな。後で調書を調べてみようかな?」
と武彦は言った。
「うん、私、今日急に気になったので言ってみたんだけど、お手間をおかけしてごめんなさい」
と綾子は恐縮していた。
「ところで、綾子ちゃんが記憶しているその事件というのはどんな事件なんだい?」
「漠然としてしか分からないんだけど、どこかに空き地でだったと思うんだけど、そこに絞殺された女性が埋められているという事件が頭をよぎったの。実はこれは昨日の夢で見たんだけど、その埋められているシーンを思い出したのよ。だから、信憑性があるものではないんだけど、少なくとも私がこの交番にまったく興味のなかった頃のことだから、きっとお兄ちゃんがここに来る前のことではないかと思うの」
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次