天才少女の巡り合わせ
綾子は事故現場に行ってみた。そして精神を集中させて、過去のその場で何が起こったのかを思い返してみたのだ。すると、綾子の中に何かがスーッと入り込んでくるものがあった。ひょっとすると、無念の思いの元に死んでいった被害者の霊が、綾子に語り掛けているのかも知れない。
犯人を特定することはできないが、車のナンバーなどは特定できた。それを綾子は武彦に話した。
ここで他の人であれば、まったく話を聞いてくれるはずもないのだが、武彦は聴いてくれた。
しかし、いくら何でも本当に見たわけではない証言をそのまま上司に報告するわけにもいかず、まずは自分でいろいろ調べてみることにした。
事故が起こってからまだ一週間ほどだったので、数は少なかったが、いくつかの目撃情報の中で、車の特徴だけは何となくだが分かってきた。その特徴と綾子が言った車のナンバーが酷似していたのだ。
しかも、近くの防犯カメラにその怪しい車が写っていたが、事故が発生した際、人間を轢いた弾みに、そのままガードレールにも接触していた。ガードレールがかなりの被害に遭っていたことで、相手の車もただでは済まないことは分かっていた。そのため、防犯カメラに映った車のナンバープレートは、完全に拉げていて、そのせいで肝心なナンバーが見えなかったのだ。
「なんてこった」
それを見た警察の捜査員は、どれほど落胆したことだろうか。捜査としては、大破している車をそのままにしておくわけにもいかないだろうから、修理工場や廃車の買い取りデンターなどを片っ端から当たってみるしかなかった。
警察の捜査がなかなか行き届かなかったことから、なかなか該当する車を特定することはできない。
そんな時、綾子の証言は大きな手助けになった。
武彦には、信頼できる先輩がいた。学校の先輩というわけではなく、刑事なのだが、その刑事が、一度特別講師として、警察学校に教えにきてくれたことがあったが、その時に話をさせてもらったのが、きっかけでそれからもたまにではあったが、連絡を取り合っていた。
その刑事は、門倉刑事であった。
作者の作品を見たことのある人は門倉刑事のことはご存じであろう。なるほど門倉刑事であれば、新人の巡査たちから信頼されるのも分かるというものだ。
門倉刑事も、真田巡査を見て、
「俺の若い頃のようだ:
と言って、頼もしく思ってくれているようで、そんな門倉刑事であれば、話をすれば分かってくれるのではないかと思い、捜査のアドバイスというには、おこがましいが、助言として聞いてもらった。
門倉刑事も、
「貴重な情報をありがとう」
と喜んでくれたが、果たしてどこまで信用してくれているか分からなかったが、今のところ事件情報として、それほど重要な話があるわけでもなかった。
そういう意味では、
「藁にもすがる」
と言ってもよかったのかも知れない。
しかも門倉刑事も、このようなひき逃げ事件を実際に許すことはできなかった。彼は本当は刑事課の人間なので、交通課とは違うので、本当の捜査権はなかったが、ここも貴重な情報提供ということで、知らせておいた。そのために、門倉刑事は武彦に、
「その話をしてくれた証人と逢わせてくれないか?」
ということで、二人は武彦を中心にして会うことになった。
「今日はどうも情報をありがとう」
と門倉刑事が話をすると、
「いいえ、私の方こそ、捜査の邪魔をしないようにしないといけないのに」
と謙虚にいうと、
「いえいえ、今はなかなか警察に協力をしてくれる一般市民の方も少なくなってきましたので、どんなに些細な情報でも寄せていただけるのは、本当に嬉しいんです」
という門倉に、
「そう言ってくださると私も嬉しいんです」
と言ってはにかんで見せた。
「お名前は何というのですか?」
「吉谷綾子と言います」
と綾子がいうと、
「なるほど、あなたのいうことであれば、それなりに信憑性があるかも知れませんね。僕はあなたに本当に感謝しているんですよ、あなたがこの証言をどれほど勇気を持ってしてくれたのかということは、その心情のすべてを理解することはできませんが、あなたのお立場から察すれば、かなりの勇気を必要としたことが分かります。僕は、今あななのその勇気にものすごく感動しています。お会いできて本当に光栄です」
と、あの門倉刑事がいうのだ。
武彦は、目をしばたたかせて、二人の様子を見ていた。武彦は綾子がかつての「天才少女」から一転して、「ウソつき少女」と呼ばれるようになった経緯をまったく知らない。自分を慕ってくれる妹のような女の子というイメージしかなかったのだ。
だが、門倉刑事の話しぶりでは、彼は綾子のことを知っているようだ。そして、綾子に対して最高の敬意を表して話したのだ。
綾子も門倉刑事に対して、
――今まで自分が接してきた大人の人と、まったく違う人だわ。こんな大人の人もいるんだわ――
と、涙が出そうに嬉しかった。
実際に涙が出ていたようだ。本人は涙が出そうだという意識はあったが、本当に涙を流しているという意識はなかった。綾子のように特別な力を持っている人は、普通の人間が普通に感じることに対して、感覚がマヒしてしまうことが往々にしてあるようだ。本人は気付いていないのだから、無意識の行動であった。
綾子が特殊な能力を持つようになった経緯としては、
「無意識と意識的な行動に曖昧な感覚を抱いているからではないのだろうか?」
という自分なりの認識を持っていた。
それが正しいのかどうかは、きっと科学的に証明もできないのではないかと思った。この能力が自分にとってどれほどのものなのか、綾子は考えさせられたのだ。
綾子の助言が功を奏したのか、ナンバーから割り出した犯行に使われた車はすぐに判明し、今は修理工場に回されていることが分かった。修理工場では、最初に何枚か写真を撮っていた。実際に修理を行う場所と、全体を写した写真である。それが決定的な証拠になった。
防犯カメラにはナンバーが写っていなかったが、破損状況を見れば、それが同一の車であることは一目瞭然だったのだ。
持ち主の男性にアリバイもなく、追及すると、簡単に白状したのだ。
個人的なことで急いでいたということだが、彼とすれば、被害者が完全に死んだと思い怖くなってその場を急いで立ち去ったというが、元々小心者だったことで、その後もビクビクして生活をしていたという。
「まともに眠れない日々だった」
というだけのこともあって、精神的にはギリギリのところだったようだ。
警察に自首も考えたが、自首する勇気すらなく、ただ、何もできずに覚える毎日だったという。
「こんなことなら捕まった方がマシだ」
という思いがあったからだろうか、警察が事情聴取にやってきて、少し語気を強めただけで、アッサリと自学下というから、事件としては本当に簡単に解決してしまった。
門倉刑事はその時の目撃者として綾子の名前を警察内部で残しておいた。実際に見たわけではない証言が証言として採用された最初ではないだろうか。
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次