貴方と私の獄中結婚
04
彼女は出て行き、男は残った。おれは『残れ』とは言ってない。
「そんな怖い顔することないだろ」
笑ってやった。でももっと怖い顔になったと思う。
「彼女、君が気に入ったようだよ。『飲みに来る』って言ってたじゃないか」
「変な仲間を連れてこなきゃいいんですがね」
「そう邪険に言わなくてもいいだろう。美人だし。君と気が合うと思ったんだよ」
「冗談でしょ?」
「本気だよ。君もわたしも、決して救われることのない人間だ」
本気らしい。
「せめてほんの少しでも、慰めがあっていいだろう。人間なんて愚かなものだ。正気でいたら、気が狂うよ。どうせ頭がおかしいのなら、楽しいやつと付き合わなきゃ」
「変なやつでも気が良けりゃいい?」
「そう思わないか?」
平べったいものをカウンターに置いた。DVDか何かの白ディスクらしい。
「なんですかこれ」
「ワイドショーさ。獄中結婚妻殺しの」マジックでそう書いてある。「退屈しないよ」
出て行った。おれはテレビのスイッチを入れ、録画されたものを見てみた。音楽に『カウボーイ・ビバップ』のサウンドトラックが使われていた。犯罪はみんなくだらない。それにしてもひどかったが、おもしろかったのでもう一度見た。それから電話の受話器を取った。
出た相手は、掛けてきたのがおれだと知るとこいつは驚きだと言った。
『どうしたんだ。復帰すんのか?』
「いいえ、ちょっと教えてほしいことがあるだけですよ。〈○町獄中結婚妻殺し〉って知りませんか?」
電話の向こうで相手が表情を変えるのがわかる。
『どこでその話を知った?』
「おやじさんだけど……そんなどえらい事件なのかな」
『そうじゃないがね。ちょっと賭けをしてるんだ』
あきれた。「やっぱりやってるやつがいるんだ? 詳しいことを教えてほしいんですが」
『まかしとけ。後でおたくの店に行くよ』
「え? 別に賭けるんじゃないよ」
言ったときには切れちゃってた。店を開けてしばらくするとやって来た。しょうがないから一杯奢る。この人物には、以前ずいぶん世話になった。今日は賭けのシステムについて教えてくれた。悪い遊びをする仲間がかなり大勢いるようだ。
「聞きたいのは賭けじゃなく、事件についてなんですけど」
「だってビデオ見たんだろ。それ以上何を知りたいことがあんだよ」
「『なんでそいつと結婚する女がいるのか』」
「ははは」笑った。「そりゃ、確かに最大の謎だ」
二杯目を出した。
「まさか、本気で聞いてんのか?」
「そう」
もちろん本気だった。知りたかった。彼女の言葉、笑顔の意味を。『わたしは幸せ、結婚して本当に良かった』――それはかつて、おれが聞きたいと願っていた言葉だった。見たかった笑顔だった。なのにそれが、今おれを通り越して、受け取る資格のない人間に向けられている。おれにはそれが許せなかった。
「そんな怖い顔しなくていいだろ」
笑ってやった。でももっと怖い顔になったと思う。
「まあね。気持ちはわからないでもないよ」
紙の束を取り出して寄越した。自作の資料で公判の日付や検事弁護士裁判官その他もろもろの名前が記され、細かなメモがついている。この男には、マスコミの記者も情報を買いに行くという。ヒマにまかせて裁判所に入り浸ってる傍聴マニアで、自分で見てない審理でも頼めば調べてくれるのだ。
もうひとつ紙の束をくれて、
「それに、これだ。まあ、あんたが知りたいことの答になるとは思えないが」
「なんですかこれ」
「そうだな。テレビドラマだな」
「はん?」
「だからさ、ドラマの法廷もんて、どれもみんな同じだろ。『本当のことを言ってください! あなたはひとでなしなんかじゃない。事実はこれこれこうだったのではないですか?』とか言っちゃって泣いて泣いて、みんなが泣いて判決は無罪。ラストで弁護士の助手が言う、『先生、世の中に本当に悪い人なんかいないんですね!』」
「見てんの? そんなの」
「見ちゃうんだ。とにかく、へっぽこ刑事やネチネチ検事なんかにはわかりっこない真実に主役の熱血弁護士だけがたどり着くことができたんだ、と。そういう仕掛けになってるわけだな」
「うん」
「ほんとの裁判でも、弁護士は同じように言うわけさ。『事実は検察の主張と違います。さあ今から、わたしにだけ打ち明けた通り話してください』と。ただドラマと違うのは、反対質問でボコボコにされる」
「だよね」
「これもそういう〈本当の話〉さ。ただ役者がまずかったね。弁護士の入れ知恵らしいのも混じっちゃいるけど、ほとんど独演になっちゃって」
「何それ。どういうことですか」
「読めばわかるよ。退屈はしないね」
退屈するものがいいと思った。イカレた話はもうこの辺でたくさんだ。次の客が入ってきたので話題を天気に切り替えた。それで資料はしまっておいて、最後の客が出てった後で引っ張り出して読んでみた。やっぱり頭がクラクラするようなシロモノだった。おれはウォッカをグラスに注いで飲みながら、本当にまったくなんでなんだって、なぜにどうしてこんなのと結婚する女がいるのか考えてみようとしたけれど、悪酔いすると思ってやめた。店を閉めようと立ち上がりかけた、そのときに、ドアを開けて女がひとり入ってきた。
おれは言った。「いらっしゃいませ」