貴方と私の獄中結婚
05
「ごめんなさい。もう閉めるとこだったんでしょう?」
と彼女は言った。確かに美人だ。でなきゃ似合わない。白いシャツに、黒いスカート。おれも似たようなものだから、ヘタすりゃパンダのお見合いになる。止まり木にすっと腰を下ろした。にっこりと笑う。パンダには悪いが、大人の時間だ。
「いえ。こちらこそ、昼間は失礼しました」
商売用の笑顔を作った。商売は抜いて、ビターを入れて。世間では苦笑というのだろう。
「奢りますよ。どうせ閉めるところですから」
強い酒がいいと言われた。おれはボトルを三本並べてシェーカーを取った。
「カルヴァドスにシャルトリューズにベネディクティン。それにビターをワンダッシュ」
「凄い贅沢。なんていうお酒?」
「〈ウィドウズ・キス〉」
「わたしの夫は生ける死人」
「よく笑ってられますね」
おれは泣きたい気分だった。本当なら二千円は取らなきゃいけない。
「だって、幸せなんだもの」
酒を作る動きを見つめながら言う。
「人を愛することを知る。それって、とても辛くて苦しいことよ。愛さないのは幸せなの」
シェーカーを振る。振ってる間しゃべれない。彼女の言葉の意味もおれは攪拌していた。カクテルはとても微妙だ。味が変わる。
出来た。「どうぞ」
「ありがとう」
おれにかざして一口飲んだ。美人からこういう眼で見られると、普通の男は自分に気があるのじゃないかと変な錯覚起こすだろう。バーテンダーは違う。『まずい』と言って突き返すのじゃないかとヒヤヒヤ考える。
「とてもおいしい」
ほっとした。
「けど、一体なんなんです? なんだって今日はいらしたんですか」
「あら。それは、連れてきてもらったからじゃないですか。『あなたに紹介したいから』って」
「まず、そこからわからないんだ。あの人は、ぼくにさんざん厄介事を押し付けてきててね。ここしばらくはやってないけど」
「あの人の娘さんと結婚するはずだったんでしょう?」
「認めてくれずでしたけどね。大きな会社で人事の仕事をしてるとかで、『君はどうして料理の道を選んだのかね』なんて聞いてきた」
「なんて応えたの?」
「『たまたまバイトに誘われて、やってるうちに気に入ったから』」
「気に入ってはもらえなかった?」
「実は未だに、どう応えるべきだったのかわからない。何かマニュアルがあるんでしょうね」
「今は面接の達人も信用してないようだったけど」
「かもしれないな。あのときは、おれが彼女と結婚したい理由も気に入ってもらえなかった」
「それもマニュアルがあるのよ」
「あなたはどうしてやつと〈結婚〉したんです?」
「それは、『幸せになりたくて』」
「そう」と言った。「おれもそうだった」
「なら気に入ってくれるでしょう?」
「そんなわけないでしょう。こちとら〈犯罪被害者の会〉だ。あの人はこの辺りのリーダー格ですからね。もしあれが起きたのが、おれが彼女と一緒になった後ならば……」
「あなたがリーダーになってたの?」
「ま、それはないですね。あのおやじさんは何しろ見かけが立派だから。カメラの前で話すのにはああじゃないと」
「あなただっていい男なのに」
「そりゃどうも。でも、ぼくじゃあどう見たって水商売だ。正義だの社会に対する主張だのっていうのも性に合わなかったし。だから、裏方にまわったんです」
「厄介事ね」
「そう。調査とか護衛とか。結構悪どいこともやった」
「悪どいことって大好き」
「あんまり期待されても困るが……執行猶予や保釈で出るやつがいたら尾行するとかね。やつらすぐ無免許飲酒運転なんかしやがるから、動画に撮って通報するとか」
「素敵」
「そう?」
「あたしって、檻に閉じ込められた男性に惹かれるの」
「ははあ」
「どうして今はやってないの?」
「まあいろいろあって」刺されると痛いとわかったのだ。「ぼくのことはいいでしょう。なんであなたがここに来たのかと聞いてんだから」
「あなたのことが聞きたいから」
「そりゃないよ」
「いいえ。だって聞いたんですもの。『あなたならわかってくれるだろう』って」
「おやじさんから? 『わかる』って何を」
「あたしが幸せだってこと。人はみんな思うものじゃないですか。幸せなら、それを誰かに知ってほしい。祝福してもらいたい。心から理解してくれる人に」
「それがおれ? 冗談じゃない」
「でも、あなただってそうだった。あの人に認めてもらいたかったんでしょう。奪い取る立場だったから」
グサリときた。
「ははは」
おれは笑い出してた。そうしなきゃ泣いていたかもしれなかった。だからグラスにウォッカを注いで呷って飲んだ。だんだん怒りがこみあげてきた。
「ふざけんなよ」
ため息をついた。「ほんとにわかってほしい人に認めてもらうって難しいのね」
「あんたなんかになんにもわかるわけがない」酒を注いでまた飲んだ。「おれのことが聞きたいと言ったな? おれは昔、コックの仕事してたんだ。よく言われる言葉があるよね、『プロの料理人はみんな男だ。だから男の方が料理が上手い』って。でも本当は、コックが男ばっかりなのは、あれが体力仕事だからさ。やってた頃はきつかったね。でも楽しかった。彼女がそばにいてくれた。『愛さないのが幸せだ』と言ってくれたな。あなたに何がわかるもんか」
言うと彼女は考え顔でカクテルを啜り、
「確かにあなたじゃ、あたしを幸せにできないわね」
「はは」まったく言ってくれるよ。「どうせそうでしょうね」
「ねえ」グラスを置いて、「どうしてあたしと前の四人が、彼と獄中結婚したか知りたくない?」
ウォッカが揺れた。
「ね? あたしにも、ちゃんとわかることがあるのよ」
「いや……」首を振った。「まともな理由なんてあるわけないでしょう」
「そうかしら」
「最初の〈妻〉は失踪して行方知れずだ。二番目は自殺。三人目はサッサと別の男を作ったようだし、四人目はコレ」
おれは両手を首にやった。絞殺だ。
四番目の〈妻〉は〈夫〉に絞め殺された。それがすなわち〈○町獄中結婚妻殺し事件〉。
「それはあくまで結果でしょ。結果だけで考えてたら、理由を知ることはできないわ」
「その理由もバラバラじゃないか。最初の〈妻〉は悪に憧れてだったらしい。次のは更生させられると信じて。三人目は自分で自分を薄幸させちゃうタイプの女だ。四番目はちょっと変わった女だったみたいだが……」
「やっぱり結果で考えてるわね」微笑んで言った。「四人目の女が〈妻〉になった理由がわかってないんじゃない?」
「わかってるさ」おれは言った。「頭がイカレてるからだ」
頭の中でワイドショーのBGMが鳴り響いた。