短編集95(過去作品)
それは和子にも十分に分かっていたことで、和子も同意見だった。二人が付き合っている頃、反省と後悔の話をしたことがあるが、一番最初に二人の意見の一致を感じたのが、反省と後悔についての考え方だったように思う。
二人が付き合っている頃、少なくとも後悔はなかった。反省することはいくつもあったが、その都度、お互いの気持ちが深まっていった。後悔は、お互いの距離を遠ざけるが、反省は、すればするほど距離を近づけ、気持ちを深めることに繋がる前向きの考え方なのだ。
「反省と、後悔って難しいね」
と話すと、和子も付き合っている時のことを思い出しているのか、
「まるでお酒とタバコみたいね」
と言い出した。
「お酒とタバコ?」
何となく言いたいことは分かるような気がするが、和子の口から聞いてみたかった。付き合っている頃も、和子の気持ちが手に取るように分かっていても、必ず気持ちを聞いてきた。それによってさらに和子への思いを深められるからだ。
「お酒って、百薬の長っていうじゃない。アルコールが入っているので、呑みすぎると身体に悪いけど、適度だったら薬にもなるのよ。それに比べてタバコって、百害あって一利なしって言われるでしょう? 今それを身に沁みて感じているわ」
と言いながら、和子はカバンの中をまさぐって、おもむろに取り出して咥えたタバコに火をつけた。
それを見ていて言葉が出てこない。カバンからタバコが出てくるなど信じられないという思いと、後悔という言葉から、予感があったように思える気持ちとが半々である。和子のいう二十年という歳月が本当であれば、分からないでもない。
だが、二十年などという気の遠くなるような歳月、一体どれくらいの長さなのだろうか。今、自分が感じている年齢、それは二十五にもなっていない。二十年前というといと、やっと記憶が定かになり始めた頃ではないか。これまでの二十年を考えると、過去が遠くなればなるほど、短く感じるというわけでもない。その時々にインパクトのあった事件があり、それを中心に記憶が広がっていくのだ。粉雪が頬に当たって、そこから溶けて広がっていくように……。
記憶というものの前後が不確かな時というのは、案外記憶しておきたいと感じていたときが多いようだ。過去を振り返った時に感じる長さが不正確なのはそのせいかも知れない。
夏の時期に比べて冬はあっという間に過ぎていたようにも思う。浩一は、夏よりも冬の方が好きだ。それは今も変わっていない。そして、思い出したいことのほとんどが冬だったように思う。冬には楽しいイベントがたくさんあったようにも感じる。
夏が苦手な理由の一つとして、浩一は海が苦手だった。物心ついた頃から海が苦手だったように思っていたが、果たしてそうだろうか。
今から思い起こすと、海水浴の思い出もあった。だが、海水浴など嫌いで一度も行ったことがなかったのではなかったか。あったとすれば中学の頃に学校から行った臨海学校、それだけである。
だが、海水浴で記憶があるのは、一人で泳いでいるところである。知っている人が誰もいない海で一人水平線を目指し泳いでいる。しかも泳いでいて気持ちがいいのだ。
波など立っていない海を一人で泳いでいく。真上から降り注ぐ太陽だけを感じながら、目的地が見えているわけでもないのに、ただひたすら泳いでいるのだ。
夢を記憶しているのだろうか。夢を現実のことのように記憶することだってないとも限らない。だが、それが海の光景だというのが信じられない。好きなものを記憶するというのであれば分からなくもないが、苦手なものを、しかも楽しい記憶として残っているのだ。今までの浩一の常識からは到底考えられることではない。
たったそれだけの記憶があるだけで、たくさんの思い出を持っている冬に比べて長く感じる。夢と同じで記憶というのもある程度曖昧なもののようだ。だが、そこには何らかの規則性のようなものがあり、やはり潜在意識の範囲内でしか考えられないもののはずである。
――夢と記憶――
それぞれ見えてこないところで、密接に繋がっているのだろう。
目の前でタバコに火をつけた和子、どう見てもおいしそうに飲んでいるという雰囲気はしない。タバコを吸わないとイライラしてくるので、禁断症状に陥る前に、無意識の元、火をつけてしまったとしか思えない。
――見たくなかったな――
こんな和子の姿は見たくなかった。
するとどうだろう。さっきまで二十代そこそこに見えていた和子の顔が、次第に老けてくるように思えた。タバコの煙が次第に広がってきて、白さで霧が掛かったようにぼやけて見えてきたのだ。
――浦島太郎の話に出てきた玉手箱のようだ――
タバコの煙が好きではない理由の一つに、白い煙に対しての思い入れがあったからではないだろうか。白い煙には何か魔力のようなものを感じていたのは、浦島太郎の話を思い出すからだ。
海をひたすら泳いでいるのを思い浮かべると、小さい頃に行った露天風呂を思い出した。
冷たい空気の中、身体だけは温泉で温まっている。次第に湯気に包まれてくると、首筋から暖かさが上がってきて、気がつくと顔が火照ったように熱くなってくる。
首から上と下が、まるで切り離されたような感覚に陥っていた。
首から上に神経を集中させれば、下が別人のように感じ、温かさを感じる身体に神経を集中させれば、首から上が別人のようだ。海水浴をしている感覚も同じである。
首だけが水の上に浮いている姿を遠くから見ていると、浮き沈みどころか、ほとんど上下せずに前だけを見て進んでいる首は、自分であって自分でないように感じることだろう。
自分の身体が途中から切り離されるような感覚を今までにも味わったことがある。
――あれはいつだったのだろう――
まるで他人事のように自分のことを感じる時、その時に感じたはずである。二十五歳になるまでに、自分のことを他人事のように感じたことなど一度もなかった。だが、この感覚はつい最近のように思えるのだ。
――夢で感じたこと?
和子の話した離婚の話を考えていた。
まるで自分のことのように感じているが、離婚に後悔がないなど信じられない。
――後悔するほどのことがなければ、離婚なんてしないさ。離婚したから後悔するんだ――
と思っている。
離婚に踏み切るまで、勢いのようなものがある。逆に勢いがなければ離婚などという大それたことをできるはずがない。勢いづいている時に、後悔などするはずがない。後悔しそうだと思えば、立ち止まって考えるはずだからだ。
反省しているつもりで、頭の中は自分を正当化しようとしているため、完全な反省などできるはずがない。反省のないところに後悔があるはずもなく、その意味からでも離婚に踏み切る時に、後悔など存在しえないのだ。
勢いで決めてしまった離婚。後から考えてみると、
「早まったことをした」
と考えない人などいるだろうか。よほど虐待などのハッキリとした理由がない限りは、憎んでも心底憎みきれるなどありえないだろう。少なくとも一緒になろうとした気持ち、そして一緒に住んできた時に培われた情というものがあったことに違いない。それを虫などできようか。
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次