短編集95(過去作品)
自分に言い聞かせるが、後悔とは違う。どちらかというと反省するための第一歩だった。
――後悔と反省――
前者が後ろ向きな考えに対し、後者は前向きな考えだ。だが、その一言で片付けられないこともある。まだそのことを浩一は知らなかった。
寒い中、公園のベンチに久しぶりに座ってみた。夏の時期との最大の違いは風の強さだった。頬を切る冷たさは、すぐにでも立ち上がって逃げ出したいほどだったのだが、まわりを見れば他のベンチにも何人か人がいるではないか。
――こんな寒い中、よく我慢できるな――
と思って見ているが、どの人もまるで動いていないように思える。小刻みに震えているのは感じるが、手や足はまったく動いていない。白い息が上がっていくのが見えるが、それだけである。
――まわりから自分はどんな目で見られているのだろう――
きっと、自分がまわりを見ているのと同じ光景として見られているに違いない。
身体の感覚が寒さで麻痺してくる。夏と違って湿気などまったくなく、乾燥しているので、唇がカサカサになってくるのを感じていた。舌を出して濡らしてみるが、冷たさですぐに唇の感覚もなくなってくる。
頭を上げてネオンサインを見つめていると、ネオンサインが煌いているように見える。
――どこかで感じた覚えがあるな――
そう感じると、すぐに思い出した。小学生の頃に家族で行った温泉旅行。露天風呂から見た無数の星が煌いていた光景を思い出したのだ。
都会のネオンサインとはまったく違う光景だが、煌いている光にはどこか共通点を感じる。
――空気が乾燥しているからに違いない――
まさしくそのとおりだろう。
露天風呂で見た空、手を伸ばして星を取ろうとしていた。今にも落ちてきそうな星空、手の平を翳せば、いくつかの星を掴み取ることができるのではないかと感じたほどだ。
子供心が頭を擡げる。
ネオンサインに向って手を翳してみる。取れるはずのないネオンサインを掴み取る仕草をしてみると、急に暗く感じられた。手の平で包み込めるネオンサインなどたかが知れた範囲でしかないはずなのに、急に暗くなるなど信じられなかった。
――目の前にあるネオンサインって本物なのだろうか――
おかしな考えが浮かんでは消える。
ネオンサインすべてがなくなれば真っ暗になるという気がしないのだ。もしネオンサインがすべて消えてしまえば、その向こうには真っ暗な空が控えている。しかし暗くなった空に次第に無数の星空が浮かんでくるのを予感していた。
――今度こそ手で捕まえることができるかも知れない――
ネオンサインのすべてを消してしまうなど、到底不可能なことだ。ましてや星空を掴み取るなどもっと不可能だ。
――夢の世界じゃあるまいし――
夢の世界でもできることではないだろう。
夢とは潜在意識が見せるものなので、理性をしっかり持っていれば、
――不可能なことと可能なことの区別くらいはつく――
と無意識に夢の中で感じることだろう。
もし、夢の中で星を掴み取ることができたとしよう、だが、掴み取った手を開いてみると、そこにあるのは、金平糖だったなどというオチがせいぜいではないだろうか。
夢を見ている時は、
――夢を見ているんだ――
という意識がある。それだけに、何とか潜在意識から脱皮したいという気持ちがあるのも分かっている。そのジレンマから生まれる結果は……。結局中途半端なものに終わってしまうだろう。後から考えればこれほど滑稽なものはないと思うのも無理のないことである。
顔に冷たいものが当たる。
――雨が降ってきたのかな――
と感じたが、この痛さはあられのようなものだ。もし、風が止んでいれば雪になっていたかも知れない。雪を感じたい気分になってきた。
――風が止んでくれないかな――
と思っていると、風の勢いが弱まってきた。
――雪にならないかな――
すると、顔に当たる痛さがなくなってきた。顔に降りてきた冷たい玉が、ゆっくりと広がって消えていく。まさしく雪の玉だった。
冷たさを感じる。これは紛れもなく夢などではない。実際に起こっていることだ。
ベンチから立ち上がってイルミネーションに向って歩き始める。街の明るさが目に沁みるほどである。
相変わらずのクリスマスソング。街の喧騒とした雰囲気とは別に、耳には静かな曲がこだましていた。
「あら?」
たったそれだけだったが、聞き覚えのある声だ。まるでタイムスリップしたかのように感じるほど懐かしいその声に、すぐには振り向くことはできなかった。
スローモーションでゆっくりと振り向くと、そこに立っていたのは和子である。昔別れたままの和子がそこに立っている。その顔立ちも表情も、まったく時の流れを感じさせないものだった。
「久しぶりだね」
浩一のその言葉は、果たして懐かしさから出てきたものなのだろうか。自分でも分からない。
「そうね。もう二十年ぶりくらいになるかしら?」
「二十年?」
今年会社に入ったばかりではないか。二年しか経っていないのに、二十年とは一体どういうことなのか。何よりも和子のその顔は二十年も経っている顔ではない。どんなに若く見えるとしても、二十代後半が限界ではないか。
「二十年か、一体その間に何があったというんだろうね」
事情が分からないまでも、話に合わせてみることにした。
「そうね、その間に私は一度結婚して、しばらくして別れたわ。あなたも結婚したって聞いたのは、私が別れてから少ししてのことだったわね」
和子とは、近い将来、必ずどこかで再会できる予感があった。予感の中でも、自分としてはかなり信憑性の高いものとして認識していたが、
――やはり――
と思う気持ちと、
――どうしてこんなシチュエーションなんだ――
という戸惑いの気持ちが半々である。
やはり夢を見ているのだろうか? だが、夢にしては鮮やかな感覚だ。和子が言った二十年という言葉がウソではないか。そして、和子が妄想の世界に入っているのではないか。もしそうであれば、もう少し付き合ってあげようと思った。
「結婚って、どんなものだったんだい?」
結婚について考えたことは何度もある。しかし、あまりにも漠然としていて、想像できることは新婚の甘い生活だけである。目の前に見えていることだけが真実だなんて、若さゆえの考えに違いない。
だからだろうか、一見信じられないような出来事であっても、夢として片付けず、もう少し付き合ってみようと感じたのは……。夢だとすれば、目の前にいる和子も浩一の妄想が作り出した絵空事、夢でないとすれば、和子が作り出した絵空事、どちらにしても、どこかに本音と願望が見え隠れして、それを感じることができるのではないだろうか。
――本音と願望を同時に感じるなど、できるのだろうか――
半信半疑だが、信じる方が少し強い。
「結婚ね、人に説明するのは難しいわ。でも、後悔をしたくないという思いが一番強かった時期だったかも知れないわね」
――反省はするけど、後悔はしたくない――
これは昔から浩一の感じてきたことだった。
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次