短編集95(過去作品)
その時々で、必ず思い出があったはずである。だが、それを浩一は思い出せない。
知り合った時、バレンタインデー、初めて身体を重ねた時、そして、結婚を決意した時、すべてが思い出の中にあるはずなのだ。
今、浩一は二十年ぶりに出会った和子を目の前にしている。身体の火照りは昔のままだ。
和子を目の前にしていると、不思議と記憶になかったと思っていた別れた妻との思い出が記憶から吐き出されてきた。だが、それは子供の頃の思い出と輻輳してしまっていた。
「私、今、浩一さんを目の前にしていて、昔のことをやっと思い出せたような気がするの。すっかり忘れていて、まるで二十代の頃の自分が今までここにいたのよ。あなたも二十代の頃のまま。お互いにまったく違う人生を歩んできたはずなのに、同じような人生を過ごしていて。近くにいたはずなのに、お互いに気付かなかった。それは私があなたの少し前を絶えず歩いていたからなのね。もちろん、私もそのことをずっと知らなかった。私は少しだけ立ち止まったの。過去を見たいと思ったの。過去に帰りたいわけじゃなくって、過去を見たいと思っただけ。そうすると、そこにいたのがあなた。私はすべてを理解した気がしたわ」
和子の話はあまりにも常識を超越していたが、分からないでもなかった。ひょっとしたら、自分が彼女の前を歩いていたかも知れないからだ。
「次元の違いを感じるね」
「そうね。同じ世界でも時間が少しずれているだけで、絶対に出会うことはないの。でも、立ち止まることができたら……。そう考えるとあなたに会えた。それが今日だったのよ」
過去のことが走馬灯のように駆け巡る。まるでこの日を待っていたかのように……。
首にだけ焼けるような熱さを感じる。首から下の感覚が麻痺していた。足元から伸びている影に、首から上が写っていないことに和子は気付いているだろうか。 公園の表は一体どうなっているのだろう?
一瞬頭をもたげたが、二人だけの世界が及ぼした影響についてなど、想像などできるはずもない。
二人は出会った瞬間に戻っていた。首と身体が分離していて、感覚はまったくなくなっていた。
一歩踏み出せばそこに何があるか分からない。そんな世界が二人のまわりには広がっていることだろう……。
( 完 )
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次