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短編集95(過去作品)

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 初めて和子を抱いた時にそのことが証明されたではないか。
――大丈夫だ。自分さえしっかりしていれば――
 と感じて望んだはずなのに、結果は和子にリードされるハメになってしまった。理由は分かっているつもりだ。
――一瞬の躊躇がリズムを狂わせたのだ――
 一大決心をした時に、最初に計画していたとおりに進めるには、これ以上ないというほど緻密に考え、そのとおりに行動しなければならない。途中で躊躇してしまったら、最初から計画を立てていないよりもさらにパニックに陥ってしまう。ここが浩一の持って生まれたと思っている性格の落とし穴であった。
――中途半端なことができない性格がどれほど辛いかを、今思い知っているのかも知れない――
 二十歳になって大人になったような気がしていたが、実はまだ中途半端だったのだ。もし本当に大人の仲間入りをできると気が来るとすれば、それは就職してからに違いない。
 気持ちで言い聞かせていた。
 自分のことを分かっていないのに、人のことが分かるはずがないというのも浩一の性格だった。その思いが和子にも伝わっていたのだろう。浩一の気持ちを刺激しないようにしてくれていた。だが、浩一も和子が社会人の中にいることで、自分に対してそんな温かい目を注いでくれていると思っている。もしお互いに学生だったら、浩一もこれほど余計なことを考えないだろうが、見えていないことに気付いてもいない。どちらが幸せなのかとも考えてしまう。
 そんな浩一も無事社会人になることができた。
 無事というには語弊があるかも知れない。成績があまりよくなかった浩一にとって、就職活動は困難を極めていた。まわりの人たちが自信に満ち溢れているように見えて、自分だけが取り残されているのではないかと感じてしまう。要するに気後れしていたのだ。
 人と違うことをしたいという性格が功を奏したのだろうか。個人面接ではあまりよくなかったが、数人でのディスカッションの場で反対意見を唱える側に立つと、意見が次から次に出てくる。反対意見は、必ずしも正論ではないにせよ、自信を持って意見を言えればそれが通ることもある。それで説得力を見ることができるのだろう。とにかく浩一も社会人の仲間入りを果たすことができた。
 社会人一年目、それは勉強の毎日だった。勉強すること自体はそれほど嫌いではないので、苦痛ではなかったが、それ以外のことはあまり考えないようにしていた。
 和子とは結局自然消滅に近い形で終わってしまい、後悔もない。その時はそれどころではなかったのだ。
 和子に未練があったのかなかったのか分からない。そんなことを考える余裕はなかった。一つのことに集中すると他のことが見えなくなるのは浩一にとって最大の欠点である。自分でも分かっているが、なかなか治すところまで自分を理解していない。
 半年が経ち、だいぶ落ち着いてきた。気がつけば秋も深まっていて、精神的に寂しい時期を迎えていた。その時になって、一人でいることを痛感していた。
――ああ、和子とは別れてしまったんだな――
 今さらながらに感じたが、後悔はしていないつもりだ。
 反省はしていた。それは別れてしまったことに対しての反省で、ひいては一つのことに集中していて、まわりが見えなくなってしまった自分への反省である。仕事は何とかこなしている。しかし、心の中にポッカリと空いてしまった大きな穴に今まで気付かなかった自分が口惜しい。
 急に寒くなった日があった。手が悴んで、風の強さに朝起きる気持ちが萎えいでしまう。
空気が乾燥して咳が出るが、一年前の冬を思い出して、年末の慌ただしさを感じさせた。
 まだ十一月だというのに、この寒さはどうしたことか、山肌は雪で光っていて、ところどころの窪みにボンヤリと薄く影が映っている。
 街はそろそろクリスマスイルミネーションが鮮やかになる頃、例年であれば、寒さが本格的になる前なので、ピンと来ないが、今年は明らかに年末の寒さを予感させる。
 バレンタインデーの頃の寒さとは少し違う。それまでが暖かかっただけに、余計寒さを感じるが、急に寒くなったことで、冬がつい最近だったように思えてくる。
 バレンタインデーと言えば、初めて和子を抱いた日を思い出していた。あれから数年経っているなど信じられない。まるで今年の冬だったように感じる。
 身体が季節を覚えているのか、この間まで半袖だったという記憶はあるが、思い出そうとすると暑かった時期を思い出すのは困難だ。そのためか、寒かった時期のことが最近に感じるのだろう。
 社会人になって初めての冬、街に出るとクリスマスイルミネーションが輝いている。
 通勤に毎日使っている道ではあるが、まるで初めて歩く道のような錯覚を覚える。
 夏の時期も仕事が終わるとすっかり日が暮れていて、ネオンサインや広告塔を見上げながらの帰宅だった。最初の頃は新鮮で、漠然とであったが、どの会社の広告塔が派手なネオンなのかを感じながら歩いていた。
 会社の上司に誘われて呑みに行くこともあったが、元々上司もあまり呑めない人だったので、強引に酒を勧められることがなかったのは幸いだった。ほろ酔い気分で帰宅できるのは却ってありがたく、駅までの徒歩が酔い覚ましにはちょうどよかった。
 途中にある公園のベンチに座ってネオンサインを見上げたこともあった。ベンチに座るだけではなくブランコに揺られたこともあったくらいだ。
――そういえば、和子とも公園のブランコに座って話をしたことがあったな――
 和子との思い出に浸れる唯一の場所が、帰宅途中の公園でもあった。
 夏の公園は、湿気があったように感じた。あまり風も吹いてこない。ビルに囲まれた場所なのだから、もう少し風が強くてもいいのではないかと感じたのは、和子と一緒にいた時にいつも風を感じていたからかも知れない。しかし、その風は冷たさを感じるものではない。暖かさを含んだ風で、夏であれば生暖かさが気持ち悪さを感じさせるほどだった。
「気持ち悪いわね」
 和子が何気なく言った一言が今でも思い出される。
 風がないのも気持ち悪い。ただ座っているだけで汗が吹き出してくる。
 額から、背中から、そして足が浮腫んでくるような気がするのは、まるで風邪の引き始めを思わせる。
 気分が悪いわけではない。ただボーっとしてくる。早く離れたい気持ち半分、和子との思い出にもう少し浸っていたい気分半分、結局もう少し佇んでいることになるのだった。
 毎日ではないにしても、日課になっていた時期があった。思い出に浸るといっても、和子とは自然消滅であった。引き止めようとすれば引き止められたかも知れない。それをしなかったのは、和子の顔を見たからだろう。潔さというべきか、あまりにもアッサリした表情だったので、言葉が出てこなかったのだ。出てきたのは心にもない笑顔、それが自分でも屈託のないものであるのが分かった。
 その時の心境はあっさりしたもので、後悔など絶対にしないと言い切れるほどだった。確かに後悔などしていない。
――本当にこれでよかったのだろうか――
 この思いはずっと付きまとっている。
「それって後悔していることじゃないのか」
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次