短編集95(過去作品)
と思えてならない。誰にだって一つや二つ、誰にも言わずに自分の胸だけに暖めている考えがあるはずではなかろうか。
――俺にはありすぎるな――
そう考え、思わず苦笑いをしていたことだろう。
社会人になっても、その頃のことをまるで昨日のことのように思い出す。思い出したくないと感じることもあるが、いろいろ考えていると、一番先に浮かんでくる思い出が、その頃のことである。
新入社員の頃、鬱状態に陥らなかったのは、きっと就職活動の時に、
――就職活動っていうのは通過点に過ぎない――
という思いが強かったからだと思っている。もし、就職活動をゴールのように思っていて、やっと就職できたと感じてしまうと、脱力感が襲ってきたことは容易に想像できる。脱力感は安心感を呼び、脱力感によって呼ばれた安心感は、なかなか抜けるものではない。
就職してしまって、始まったものの大きさに気付かぬまま研修期間に入ると、すぐにそのギャップに苛まれてしまう。それがいわゆる「五月病」といわれるものではないかと佐川は感じていた。
――こんな時、福山なら何というだろうな――
大願成就、第一希望の大企業に一発合格した福山を思い出していた。彼だったらいくら周りが相当な競争率を突破して合格してきた猛者どもが相手とはいえ、今もそつなく仕事をこなしているに違いない。その姿が目に浮かびそうだ。
それだけに連絡を取るのに戸惑ってしまう。
遠いところに行ってしまったように思うからだった。同じ学年の同じ新入社員という立場でも彼だけは違うのだ。彼と知り合いであるということだけで、誇りに思える。
まわりの新入社員と自分も違うという意識はあった。きっと他の連中は、就職活動をゴールと思っていた連中だろう。
――そんな連中に負けるはずはない――
という自負がある。
会社に入って最初の半年、つまり研修期間中は、それほどパッとする方ではなかった。会社の仕組みを覚えるだけに必死で、会社のために自分に何ができるかなど、考えたこともなかった。
そんな自分がまさか監査部などに行くことになろうとは思いもしない。
――支店で営業をこなし、いずれは営業本部に引き会下手もらえばいい――
というくらいにしか考えていなかった。
初めて監査部への辞令をもらった時にはビックリした。入社式では、他にも優秀な連中がたくさんいたはずである。
実際に入社式でのパーティで、
「俺は一番に本部で仕事ができるようになりたいんだ」
と豪語していたやつがいたが、確かにそれだけのことが言えるほどの学生時代から実績があった。成績も優秀で、体育会ではキャプテンをしていたという。一流企業の将来を担うに相応しいやつである。
彼と二人だけの本部だった。彼を見ていると、学生時代の友達だった福山を思い出す。少しタイプこそ違え、貫禄の大きさはまさに福山を思い起こさせる。
福山は身体も小さい方で、体育会系というにはあまりにも貧相だった。だが成績に関しては申し分なく、そばにいて滲み出てくる自信にいつも感心させられていた。
一緒に本部に引き上げられた男は、斉藤というが、斉藤は福山と違ってあまり余計なことを話すタイプではない。どっしりと構えている中に貫禄を感じるのだ。
むしろ貫禄という意味では見た目、福山よりも斉藤の方がはるかに大きい。だが、一緒にいる期間が長かったせいか、福山に感じた貫禄の大きさは、大きいだけではなく、奥深さがあることを感じていた。
福山の場合、話せば話すほどに貫禄を感じる。要するに言葉に説得力があるのだ。
福山には人を動かす力があった。相手をしっかり見ていて、その人がどうすれば動いてくれるかということを的確に分かっていたのである。その最たる例が、他ならぬ佐川自身であったことは、かなり後になって気付いたことだ。
「君はおだてられると弱いからな」
笑いながら福山が話していた。確かにおだてに弱いことは子供の頃から分かっていた。
「おだてに乗って行動しても、それは本当の力ではないからね」
と授業中に自分の意見として先生が話したことがあったが、小学生だった佐川は、その言葉を信じてしまって、自分の性格を一時封印してしまった。
――おだてに弱い性格って、いけないことなんだ――
と思ってしまっては、最初に感じた自分の性格がおだてに弱いということだっただけに、その言葉が小さなトラウマとして残ってしまっていた。
そんな気持ちを和らげてくれたのが、福山だったのだ。おだてに弱いという性格を彼なりに巧みに利用していたと言ってしまえばそれまでだろうが、それを感じさせず、知らず知らずに自分に自信がつくようにいろいろと示してくれた福山には本当に感謝している。
彼と一緒にいて心地よさを感じることができたのは、そんなさりげなさの中に優しさを感じるからだった。なれもしないのに、
――福山のようになりたい――
とまで考えたくらいだ。
大学時代まで一緒だった福山と別れて別々の会社に就職したわけだが、最初はさすがに不安がいっぱいだった。
「君はコツコツ型だから、それをうまく使っていけばいいさ」
と福山から言われて、目からウロコが落ちた気がした。
――そうなんだ。別の人になる必要はないんだ。俺は俺でいいんだ――
確かに就職活動の時は、入社試験や面接のために違う自分を演じることを余儀なくされたこともあったが、それはあくまでも就職するというためのもの。自分で考えていたとおり、通過点へのステップのためだった。就職してしまえば、そこから先は自分の個性を生かしていけばいいのだ。
――今始まったばかりで、先は長いではないか――
と自分に言い聞かせた。
その通りに、会社では一生懸命に仕事に打ち込んだ。研修期間中ということで、勉強することが多かったが、メモを取ったり勉強することは昔から嫌いではない。ただ、寡黙になってしまい、それをまわりがどのように判断するかというのが問題として残るだけである。
同じ会社の斉藤は、佐川とはまったく正反対の人物だった。まるで営業をするために生まれてきたような男で、身体の大きさに比例して声も大きい。
「営業というのは、声の大きさも必要なんだぞ」
と先輩セールスが話していたが、ピンと来なかった。
子供の頃は営業が好きではなかった。勝手に押しかけてきて、押し付けがましいイメージがあったり、また反対に、腰をいつも低くして、相手に何と言われようともただ頭だけを下げてお願いしているような、だらしなくも情けないイメージがあった。
だが、それはあくまでも訪問販売しかみていないからで、営業にもいろいろあることを知ってからは、営業こそ花形ではないかと思うようになっていた。ひょっとして思い込みが強すぎるのかも知れないが、少なくとも営業に対しての偏見はなくなっていた。
思い込みの激しさは、今に始まったことではない。思い込みの激しさは時には早とちりを生み、人に迷惑を掛けたり、自分に跳ね返ってきて損をすることもあった。
――損な性格なんだな――
と感じていたが、これももって生まれた性格なのか、中々治らない。
「真剣に治そうという気がないからだよ」
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次