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短編集95(過去作品)

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白装束の女



                白装束の女


 数人乗りの狭いエレベーターを降り、赤いカーペットが敷き詰められた通路をゆっくりと歩くと、摺り足で歩いている音が響くほどの静寂が心地よかった。
 両側には扉がいくつもあり、目線のあたりに部屋番号が示されている。手に持っているカードが示す「三○三」という部屋番号はすぐに見つかった。重たいカバンを一度通路に下ろし、静かにカード入れに通すと、
「カツン」
 という音でロックが外れたのを確認できた。すぐにカードを抜き取って真っ暗な部屋の中に入ると、寒さが足元から忍び寄ってくる。部屋の中でさっそくカードを入れて、明かりをつけた。
 佐川英輔がビジネスホテルに泊まるのは初めてではない。むしろ多い方かも知れない。さすがに全国エリアに拠点を持つ営業マンのようにビジネスホテル暮らしとまではいかないが、一ヶ月に数回ビジネスホテルを利用している。
「初めて利用した時は、勝手が分からず困ったものだったな」
 何度泊まっても、カードを使うことに違和感を感じた最初の頃が思い出されて、思わず苦笑いをしてしまう。それこそ初めて泊まったビジネスホテルの物珍しさに、自分が社会人であることの証明であるかのごとく、
――大人になったんだな――
 などと、他愛もないことを考えていた自分が一番子供だったように思え、今でも顔が真っ赤になるほどだ。
 出張はいつも同じ都市というわけではない。支店が全国各地にあって、それぞれの出先拠点の営業活動や、業務活動を審査する意味で設けられた会社の部署に所属している関係で、全国各地に回っている。部署には数人の社員がいるが、別に管轄が決まっているわけではない。さすがにしっかりと監査する目を養わなければできる仕事ではないので、最初の一年ほどは上司や、先輩社員と行動をともにしていた。そして、部署配属二年目にしてやっと一人で回るようになったのだ。
 さすがに気持ちは複雑だ。一年先輩たちを見てきたので、一人でも大丈夫だと思う反面、どうしても不安は付きまとう。期待があればその裏に不安が付きまとうのは当然のことなのだが、やはり不安の方が少々大きいのではないだろうか。それほどシビアな仕事なのである。
 ビジネスホテルに入ってくると、安心感で顔もほころんでいるが、支店にいる時の自分がどんな顔をしていただろうかと思うと、想像もつかない。元々支店から本社へ呼ばれたので、支店に来ることに違和感はないが、一人で来る時というのは、支店の人たちが自分を見る目も今までとは違っている。
「本部から、監査に来ているんだ」
 というだけで、緊張感が身体に走る。
 考えてみれば自分が支店にいた頃を思い出せば分かることだ。まだ新入社員で右も左も分からない頃、初めて見る本部の偉い人たち、彼らをまともに見れたかどうかも覚えていない。
――新入社員の自分とは、あまり関わりのない人たちばかりだ――
 と感じたことだろう。いずれ関わってくる人たちに違いないと思ったが、まずは自分が会社の仕組みを覚え、独り立ちすることが先決だ。自分のことだけで精一杯であった。
 当然、出張でやってくる人たちも同じように、
――新入社員などに関わっていられるか――
 という目で見ているように見えた。完全に見下しているような目を感じたからだ。しかし、自分がその立場になれば少し事情が違っている。
 確かに、
――新入社員などに関わっていられるか――
 という気持ちに間違いはないのだろうが、彼らも彼らで、自分のことで精一杯なのだ。特に経験を積んでステップが上がっていくにつれて、大変なことが増えてくる。新入社員では分からないことだ。
「上司はいいよな、椅子に座ってふんぞり返って威張っていればいいんだから」
 と新入社員同士の親睦を深めようと、入社ちょうど半年経って、近くの支店の新入社員連中と呑みに行った時に聞いた会話である。
 さすがにそれは極端な意見だと思いながら聞いていたが、自分の気持ちの中にまったくないわけではない。まだ研修期間中だという甘えが、皆の心にあることが分かって、安心した。なぜなら、自分も同じ気持ちが抜けていなかったからである。
――そんな自分が今は支店の監査に向うんだから、面白いよな。本当にいいんだろうか――
 と考えた方だ。
 支店にいたのは研修期間の半年だけである。新入社員は、最初の半年、各支店で現場を覚え、そしてその後、実際に赴任地が決まってくる。会社の事情を含んだ中での配属になるのだろうが、中には僻地に行かされて、数ヶ月で辞めていった者もいる。
 親睦を深めようという考えがあったのは、研修期間のみ、配属されてしまえば、後は野に放たれたウサギも同様であった。
 佐川が本社に呼ばれることになるとは意外だった人も多いだろう。入社式の時でも、研修期間中でも、それほど目立ったわけではなく、むしろ寡黙に仕事をする方だった。いわゆるコツコツ型なのだろう。
 もっとも、本部の監査の仕事というものがどんなものか分からなかったので、不安はあったが、心配はしていなかった。むしろ心配よりも、言い知れぬ不安に苛まれることの多かった佐川である。時々陥る鬱状態が自分で恨めしいと感じていた。
 幸い、研修期間中に鬱状態に陥ることはなかった。一番鬱状態が長かったのは、大学四年生の頃だっただろう。就職活動をしている時だった。
 とにかくやり方が分からない。学校の試験とはまったく勝手が違う。面接重視で、相手にいかに自分をアピールできて、しかも独創的な部分を出せるかが勝負だとは思っても、「それができれば苦労はないよな」
 と友達と話していたように、中々就職活動という水に馴染めない。
 友達の中には水を得た魚のように、就職活動という大きな池を縦横無尽に泳ぎまくる人もいた。だが、それも自分に自信があってこそできることだ。佐川にはそれが見つからなかった。何がセールスポイントか分からない。
――就職活動っていうのは通過点に過ぎない――
 という意識が強かったのも事実だ。
「とにかく、会社に入ってしまえば勝ちじゃないか」
 という楽天的な考えができる人が羨ましかった。会社に入っても、自分の望んだところ、いや、それ以前に自分の活躍の場があるところなのか分かりもしないのに、やりたい仕事の分野というだけで、数ある中で同じ業界の会社を闇雲に受けるというのはいかがなものかと、ついつい考えてしまう。
「お前は考えすぎなんだ。だから、いざ勝負どころというところで実力が発揮できないんじゃないか」
 と心許せる友達から言われたものだ。
 名前を福山というが、彼に言われれば怒る気にはなれない。彼の言うことには一理も二理もある。時には忘れていた大切なことを思い出させてくれるありがたい助言をしてくれることもあった。
 福山は大手企業一本を目指していて、どこの業界というよりも、自分を試すことのできるより大きな会社に入社することを考えていた。それを何度も話してくれたが、彼ならどこに入っても通用するだろうと信じて疑わなかった。
――きっと俺にも話してくれていないところで、一人で考えていることもあるんだろうな――
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次