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短編集95(過去作品)

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 坂崎の姿など眼中にないという連中がほとんどかも知れない。もし、坂崎が列の中にいて、いろいろ考えながら立っているとすれば、誰かが列を見つめていたとしても、ほとんど気付いていないだろう。列を作っている人の顔を見ても、坂崎を見つめる人の視線を感じない。皆無関心なのか、それとも坂崎のように何かを考えているのか、坂崎には分からなかった。
 寒さがさらに身に沁みて感じられる。並んでいる人はさらに寒く感じているだろう。そこから動くことはできないというプレッシャーが、さらに寒さを感じさせていることだろう。
――開き直りでもないと、後ろには並べないな――
 坂崎は自分にその開き直りを求めることはできない。いつもならさっさと踵を返すからだ。じっと見つめていても、そこに自分の姿を見て取ることはできない。やはり、開き直りを求めることはできないのだろう。
 ようやく重い腰を上げるかのように、坂崎は踵を返し、その場から立ち去った。踵を返すと、前方にはさっきまでと変わらぬネオンサインの煌きが坂崎を迎えてくれる。
――ビジネスホテルにでも泊まろうか――
 といつもなら考えるだろう。
 その時になって、どうして今自分が一人でいるのか考えた。
 他の連中は、それぞれ組みに分かれて三次会に赴くようだった。坂崎一人になった理由は、きっとタクシーに乗ってでも帰るだろうという考えが、坂崎はもちろん、他の連中も皆感じていたからかも知れない。
 実際にその時の坂崎は、
「じゃあ、俺は帰るわ」
 と言ってその場を離れた。誰もそれを見て、
「一緒に行きましょうよ」
 と誘う人もおらず、完全にそこから先は、個人の意志に任せられることになったのである。
――どうして一緒に行かなかったんだろう――
 一人になりたかったというのが本音かも知れない。一人になって何かを考えたかったのだろうか。一人になりたいということはそれ以外には考えられないが、何を考えたかったかというのは分からない。その時に分かっていて、忘れてしまったのか。それとも、漠然としていて、一人になれば何か思いつくと感じたのか、どちらなのだろう?
――今もこうやって考えているではないか――
 と思わず苦笑したが、こんなことを考えるために一人になりたかったわけではない。頭の中で考えが堂々巡りをしているようだ。
 先ほどのタクシーに並んでいた人の顔がちらついてきた。
――どうして皆あんなに無表情になれるんだろう――
 と思うくらいだった。
 全員の顔が無表情というのも不気味なものだ。その中に自分を想像できなかったのは、きっと自分だけが無表情な場面しか想像できないからに違いない。その方が却って目立つからだ。
――目立ちたいのかな――
 今まで感じたことがないと思っていたが、どこかで目立ちたいという気持ちを押し殺していた自分がいることにウスウス気付いていたように思う。
――寂しがり屋のくせに、誰もそばに寄せ付けようとしない――
 そんな自分の矛盾を感じているから、先ほどの列の中に自分を見つけることができなかったのだろう。
――誰かと話がしたいな――
 漠然と感じた。
 皆と別れてしまって、今は一人ぼっち、このまま一人でビジネスホテルへ行こうと考えていた自分はどこへ行ってしまったのだろう。寂しさを何とかしたいと思う自分がいるのに気付いたのだ。
 もう皆がどこに行ったのか分からない、追いかけることは不可能だ。とにかくネオンサインの中に感じる暖かさの中に戻りたかった。自然と早歩きになるが、それは寒さだけが原因ではなかった。
 気がつけば、飲み屋街に迷い込んでいた。居酒屋が並んでいて、その向こうにはスナックやバーが並んでいる。
 居酒屋も賑やかさのピークを超え、ほとんどが閉まりかけている。スナックやバーにしてもそうだった。
 赤提灯の消えかかっている飲み屋街の寂しさを初めてみた。
――何となく不気味だな――
 とかにながら歩いていると、一軒、喫茶店風のスナックがあるのを発見した。
 雰囲気はスナックで、表に置いてある看板も紫色と、少し暗めの雰囲気で寂しさを感じさせるが、営業時間は朝方までと書いてある。ほとんどの明かりか消えかかっていて、一軒だけついていると、まるでオアシスのように見えてくるから不思議だった。
 まるで吸い込まれるように扉を開けて入っていく坂崎、その様子をもう一人の自分が表から見ているような気がしていた。
 中に入ると、客は誰もおらず、カウンターの奥でママが一人佇んでいるだけだった。
「いらっしゃいませ」
 明るい声が飛んでくる。きっと、この時間までほとんど客はいなかったのだろう。薄暗い中でもママの顔は青ざめていて見え、客がないことをいつものこととして諦めの境地に入ったような顔をしていた。
――どうしてこれだけ元気な声が出るのだろう――
 もし、この時ママの声に感じるものがなければ、それ以降の坂崎の人生は変わっていただろう。それを考えると何とも口惜しいのだが、これだけ元気な声を出せるママに、最初から感じてしまっていた。
 声が元気だったからだろうか、それとも声自体に相手を感じさせる魔力のようなものがあるのだろうか。カウンターに座ってママの顔を見た時に、初めて入った店だと思えない何かがあった。
――こんな店の雰囲気を夢で見ていたのかも知れないな――
 と感じていた。
 夢というのは、覚えている夢はめずらしく、ほとんどが目が覚めると忘れてしまうものだ。記憶の奥に封印されてしまっているのだろうが、ふとした弾みでそれが表に出てくることがある。
――夢で見たんだー―
 と感じることは珍しいくらいかも知れない。どこかで感じたことがあると思っても、あまりにも漠然としていることであれば、それを信じることはできない。感覚の錯覚をいちいち気にしていては埒があかないと思っていた。
 しかし、夢というのが不思議なものであるという感覚はずっと昔から持っていた。
――夢で見たような気がする――
 と思ってみても、それがいつの夢だったかハッキリとしない。最近の夢だと思ってみても、ゆっくり考えて見れば子供の頃の夢だったり、昨日に見た夢が子供の頃の夢で、まわり皆が子供なのに、自分だけが大人だという意識を持っている。にもかかわらず、子供世界の常識だけで行動していて、頭の中にある大人の自分との違いに戸惑っている自分を客観的に見ているのが夢だったりするのだ。
 この店の雰囲気を夢で見たとしても、それはきっとかなり前ではなかっただろうか。少なくともここ数日ということはないような気がする。
 ママは饒舌だった。
 というよりも、ママが一人で話をしていたように思う。一旦覚めた酔いだったが、この店で水割りを呑んでいると、また酔いが回ってくる。しかも今度は酔いのまわりが明らかに早かった。
 理由の一つに店の中がやたらと暖かかいというのもあった。こじんまりとした部屋で、暖房を目いっぱいに利かせていたのだろう。汗を掻いてくるのを感じていた。背中にはじっとりと汗を感じ、気持ち悪いくらいである。
作品名:短編集95(過去作品) 作家名:森本晃次