錯視の盲点
さらに時期的にも各地で花火大会が催されていて、普段はあまり乗降客のいないこの駅が年に何度かホームに溢れんばかりの人を収容する日があっても、いいのではないだろうか。
今年は梅雨が長く、梅雨が明けたのが八月に近づいていた時期であった。そのせいもあってか、いきなり気温がうなぎ上り、梅雨に慣れていた身体が急に襲ってきた猛暑に耐えられず、倒れる人も少なくなかったようだ。
天気予報ではお盆の前あたりからこの暑さのことを、
「残暑」
と表現する。
暑さを感じるようになってまだ半月も経っていないのに、残暑というのもおかしなものだが、お盆が過ぎて花火の時期になると、気のせいか、少し気温が下がってきたかのように思えるから不思議だった。
昼間は相変わらずのうだるような暑さだったが、朝だけは爽やかな感じがする。夜になってもまだ三十度を超えている日もあるくらいなので、夕方から宵の口は、まだうだっているのだが、花火の日は、気分的に少し涼しかったような気がしていたのに、このものすごい人出で、せっかくの涼しさが台無しだった。
しかも、その日は会社を出たのが遅かったので、ちょうど花火大会の終了時間と重なってしまったのか、電車に乗る人はハンパではなかった。
普段なら余裕で座れるはずの車内は、まるで朝の通勤ラッシュを思わせた。彼の仕事はシフト制で、普通のサラリーマンのような九時出勤というようなシフトは稀だったので、朝の通勤ラッシュを味わったことはほとんどなかった。そのせいもあってか、この日は電車の中が鬱陶しさ以外の何物でもない気がして、その覚悟の元、電車に乗り込んだ。
ラッシュの時、座ることができない時の自分の立ち位置はいつも決まっていて、一番最後に乗り込んで、閉まる扉にもたれかかるというイメージで電車に乗る。さすがに多いとは言え、立っている人に押されてドアに押し付けられるというような超満員というわけでもないので、幾分か余裕があった。それでも、電車がカーブすると吊革につかまっていても、遠心力で外側に流されてしまうので、圧迫を感じることもあった。そんな時、自分の前の扉と壁の分け目あたりに立っていた一人の男性の様子が少し変であることに気が付いた。
顔色はどう表現していいのか分からないほどで、しいて言えば土色と表現すればいいのか、まるでそこだけモノクロ映像になったかのようだった。
よく見ると額から汗が滲んでいるようで、次第に表情が苦悶の表情に歪んでいるかのように見えた。
「大丈夫ですか?」
と声を掛けると、
「ありがとうございます。まあ、何とか」
とそこまでいうと、苦悶の表情から噎せ返っているのか、咳き込んでしまった。
――おのままではいけない――
と思い、
「次の駅で、ちょっと降りましょう」
というと、
「ええ」
と、納得したように、背筋を曲げて、何とか自分が楽になる姿勢を模索しているようだった。
そんな状態を他の誰も見てみぬふりだった。
――誰も何も言わないんだ――
といまさらながらに思ったが、その理由を考えてみた。
一つは、彼に最初から誰も気を付けておらず、そんな状態になっていることに気付いていない場合だ。そしてもう一つは気付いてはいるが、関わることになってしまうのが面倒くさくて、何も言わないという場合、この時はきっと恭介のように誰か声を掛けてくれる人の出現を待っているという人もいるかも知れない。ただ、気付いていて何も言わないくらいなので、そんな人の出現を待っているようなこともないだろう。
ここにいる連中がどれくらいの割合なのかはよく分からないが、一人が声を掛けなければ誰も掛けないという集団意識のようなものがあることはよく分かっている。もし誰かが声を掛けようものなら、自分も掛けなければいけないのではないかと思っている人がいるとすれば、自分が声を掛けてしまったことで、他の人から恨まれるというそんなおかしな感情に見舞われるのではないかと感じたのは、自分の考えすぎではないかと思った。
その証拠に自分が声を掛けた時、誰一人としてこの場に自分の存在感を示そうとする人はいなかったではないか。しょせん、世の中というのはそういうもので、誰か一人が差し伸べれば、最終的にその人だけがまるで人身御供のようにまわりから置き去りにされてしまうのではないだろうか。
あまりにも極端な考えであるが、最近の恭介は極端な考えを抱くことが多くなった。
――それだけ年を取ったのかな?
と思えてくるくらいで、老人というにはまだまだだが、若い連中から見れば、すでに若さを感じなくなっていると思われてることだろう。
年齢的に中途半端な自分だったが、なぜこの日はこの人を助けようと思ったのか、自分でも不思議だった。普段なら、さっき自分が考えたような自分の気配をその空間から消してしまい、決して目立たないように群衆の中に入り込んでしまい、人とのかかわりなどありえないと言わんばかりの雰囲気を醸し出していることだろう。もちろん、無意識にである。そんな感情を持ってしまうことを自分で警戒するが、それはそんな感情を持ってしまうと、まるで正夢であるかのように、目の前に災いが降りかかってくることが分かるからだった。
災いというのは、この日のように、目の前で誰かが気分を悪くして、目の前にいるというだけで面倒を見なければいけないという義務感に苛まれてしまうことだ。
その人の面倒を見なければいけないということは、それほど苦痛ではない。自分が感じた義務感というものに苛まれることが、自分の中で嫌なだけであった。
つまりは、義務感さえなければ、別に気分が悪くなった人の面倒をみるくらいのことは別に苦痛でも何でもないと感じるからだ、
だが、その日の恭介は何となく人が多くて、嫌な気分になっていたのは最初からのことで、言われてみればであるが、
「予感めいたものがあった」
という意識があったからだろう。
その予感は、
「覚悟ができていた」
ということだったのかも知れない。
恭介は自分がこんなことをよく考えている気がする。いつ頃からこんなことを考えるようになったのかということも気になっていた。
「少なくとも大学時代まではそんなことはなかったはずだ」
と思っていた。
これを一種の精神的な病のようなものだとは思わない。精神的な病というと、考えられるのは躁鬱状態を繰り返しているような時だった。その時には、躁鬱が襲ってくる時、循環する感情が自分でも分かっている。
「自分の感情が分かること、それが心の病に罹っている証拠ではないだろうか」
と感じていた。
いわゆる精神疾患とでもいうべきであろうか。
ただ、躁鬱症になる時と、今のように自分を冷静に精神分析をし、自己嫌悪を誘発させてしまうような精神状態の時とでは明らかに違っていることに気が付いていた。
自己嫌悪は確かに鬱状態への入り口であった。しかし、鬱状態への入り口である自己嫌悪と、冷静に自己分析をしている時の自己嫌悪では、まったく違っていることに気付かされた。