錯視の盲点
少々高いが、その本は音楽を趣味にしている人間にとっては、バイブルのようなものだった。晴彦は中学時代に小遣いを貯めて、思い切ってそれを購入し、今でもお宝として部屋に飾っていた。
それと一緒に音楽関係の楽譜なども少しずつ収集し、やはりお宝本の近くに数冊置いていた。
さらに、これは大学に入ってからだが、キーボードを買い、自分でも作曲ができるようになっていた。晴彦が大学生になる頃には、すでにパソコンで作曲専用のソフトなどが発売されて、素人でも、簡単に作曲を楽しめるようになっていた。他に趣味というと、本を読むくらいなので、音楽と本であれば、そこまでお金を使うことはなかったので、少々音楽の本を買うくらいのことは大したことでもなかった。
ミステリーも、読むとすれば大正末期から昭和初期くらいの作品が多い。昭和も途中に戦争を挟むといういわゆる動乱の時代である。
ただ、日華事変が始まってから大東亜戦争が終わるまでの時代は、国家総動員法が可決され、戦時体制一色になったことで、小説、特にミステリーなどは検閲にかけられることが多く、ミステリーに限らず娯楽に分類されるものは、その発刊が難しくなり、すでに販売されているものも販売禁止になったり、廃刊になったりするという憂き目を受けることが少なくなく、それが日常になってしまった。
死、いわゆる殺人という世界を描く、ミステリー、昔でいうところの探偵小説は、戦時体制でいうところの、
「死というものを美化する」
という路線に逆行して見えるのだろう。
「お国のために、天皇陛下のために戦って死ぬこと、あるいは、虜囚の辱めを受けるくらいなら、自害を選ぶこと」
それが日本国民の義務であるかのように言われた時代である。いわゆる、
「戦陣訓」
と言われるものであり、戦争というものは、どうしても死と背中合わせの生は、あくまでも自分のものではなく、国家や元首のものだという考えであった。
もっとも、この時代は世界のどこに行っても戦争に巻き込まれる時代で、いwゆる「世界大戦」の時代である。
晴彦は歴史が好きだった。小学生の頃に歴史というものの障りを習ったが、その時点で歴史に魅了されていたようだ。
今までに興味を持った時代は誰もがそうであるように戦国時代から始まり、平安から鎌倉までのいわゆる「源平合戦」(今ではそうは言わないようだが)、そして、飛鳥時代、高校時代まではこのあたりには造詣が深かったが、他の時代はぼラックボックスだった。
室町時代、江戸時代以降はまったく興味がなかったのだが、大学に入って友達に幕末以降に詳しいやつがいて、彼との話の中で出てきた「南京大虐殺」というものを知らないという、
「歴史が好きだ」
と言っているやつが、南京大虐殺という言葉すら知らなかったということで、まさに、
「そんなバカな」
と言われるほどであった。
それをさすがに恥だと感じた晴彦は、幕末くらいから昭和初期くらいまで大いに勉強した。
「近代史を知るには、幕末から」
とその友達が言っていたので、その教えにしたがって幕末から始めた。
さすがに幕末というと、自分が考えていたよりも、結構面倒くさかった。覚えることも多く、その思想が難しかったのだ。
「尊王攘夷」、「大政奉還」、「明治維新」などの四文字の言葉が飛び交う。これはその後の明治、大正、昭和初期に一律にあるものであったが、戦国時代にも「風林火山」のように四字熟語も存在していることを思い出した。
日本の三大クーデターと呼ばれるものの二つはそれなりに知っていた。造詣の深い時代のものだったからだ。
「大化の改新(乙巳の辺)」、
「本能寺の変」
「坂本量あの暗殺」
それぞれに、謎が多く、いろいろな説が浮かんでいるが、この中で幕末というと、
「坂本竜馬の暗殺」
ということにあるであろう。
坂本龍馬に関しては人物としても謎が多い。歴史を見てきて、竜馬に対しての一番の謎は、
「彼が興した事業の資金源はどこなのだろう?」
ということである。
長崎で起こした最初の株式会社の設立資金。さらに京都を中心に活動するための潜伏お呼び旅費。さらに、日ごろの生活費。少なくとも脱藩した一浪人にそんな資金があるわけもない。きっと大いなる黒幕がスポンサーとしていたに違いないと思われるが、誰がスポンサーなのか、候補は多すぎるくらいにいるのだが、そのどれも信憑性からすると非常に薄い。それだけ、彼は一匹狼で、あったからだ、
晴彦は、そんな竜馬のスポンサーを、
「英仏以外の諸外国のどこか」
と考えていた。
国家ぐるみであれば、考えられないわけではない。さらに諸外国は幕府、朝廷とそれぞれにフランス、イギリスとついているので、日本での影響力を高めるには、そのどちらかだけでは難しい、まずは、一本にすることが中心であり、それが薩長同盟の発想の始まりではないかと考えると辻褄は合っている。
そういう意味で考えられるとすれば、アメリカ、ドイツ、ロシアなどであろうか。
それでも考えられるのは、アメリカ、ドイツくらいである。ロシアに関しては、まだ遠い存在だったこともあって、信憑性はないような気がする。
ただ、隣国の清国を始めとして、東南アジアの小国は、ほとんど漏れなくどこかの列強の植民地化していて、日本も朝鮮半島も秒読み状態であった。幕末の黒船来航もそれに由来してのことであるが、幕末の動乱が始まり、諸外国の暗躍がなかったというのは、考えられないことなので、竜馬の後ろについていたのが、諸外国であったと考えれば、その挙動も別に不思議ではないだろう。
幕末だけで、いや坂本龍馬だけでこれだけの発想があるのだから、ここから明治、大正、昭和と続く歴史がどれほど莫大なものなのか、考えただけでも大いなるものであろう。
それに伴って、幕末以降の本がたくさん販売されている。歴史の本を見るのも結構好きで、晴彦の場合は、歴史小説などは、ノンフィクションを読み、ミステリーやホラーなどは、フィクションを好んで読むようにしている。
昭和に近くなれば、映画も結構公開されていて、レンタル屋さんで戦争などのコーナーに結構立ち寄る、晴彦は音楽は洋楽がいいと思っているにも関わらず、歴史の勉強は日本史が中心である。西洋史に関しては古代が好きだったが、興味はなぜかそこまでだった。
中世に入ってくると、興味は日本史に移ってしまい、歴史が好きだという気持ちに変わりはないが、なぜ世界史に興味を持たなくなったのか、自分でもよく分からなくなっていた。
近代史のビデオを見ていると、イメージとしての音楽が中国、アジア系の音楽に倒傾していくのを感じた。クラシックを聴いていると、ルネッサンス時代の欧州を、そしてジャズを聴いていると、中南米のイメージを受けるようになり、プログレッシブロックや、テクノポップなどは、中国、アジア系を想像してしまっていた。プログレッシブロックから中国アジア系を想像するのは、その発展形であるテクノポップの第一人者であるバンドがアジアや中国系の音楽を奏でているからだった。