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錯視の盲点

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「確かにそうなんですよ。その音楽の進化論に関しては私も賛成ですし、実際にそう思っています。だけど、私が言いたいのは、自分の聴いているジャンルが好きであるならば、他のジャンルの音楽にどうして興味を示さないのかということなんですよ。演歌が好きな人は、音楽が好きなのではなく、演歌が好きなんですよね。きっと演歌が与えてくれるものが自分にマッチするという感覚、それが好きだという思いの本質ではないかと思うんです。だから否定はしないんだけど、見ていると、演歌を好きな人は若い連中が聴いているロックやポップスを毛嫌いしているように思えるし、逆にロックやポップスを聴いている人は、演歌などカビが生えているかのように思っているところがあって、偏見を抱いているように思えてならないんですよ。だから、私は学生時代にいろいろなジャンルの音楽を聴きました。今では珍しくなっているレコード専門店なるところに行って、廃盤になったレコードなども買ってきて、聴いてみたりしました。完全に音楽のジャンルを網羅したとはいいませんが、レコード専門店や、中古CD屋などのマイナーなジャンルまでも網羅したので、ある程度までの網羅には自信があります」
「それはすごいですね。それで何か分かりました?」
「はい、音楽の歴史、系譜というべきか、大体分かった気がします。実際に広義のジャンルや狭義のジャンル、さらには曖昧なジャンルなどもあって。私はそれらを結構聴いて、自分なりに歴史を感じていました。音楽の歴史は人間の歴史とあまり変わらない気がします」
「人類の歴史と音楽の歴史が近いということは僕も感じていました。僕も歴史という視点で音楽を見たことがありましたが、あなたのように研究するというところまでは行っていません。どちらかというと、歴史が好きなので、歴史という学問から入った感じですね」
 と恭介がいうと、
「そうですね、私も歴史は好きです。だから余計に音楽の歴史にも興味を持ったんですよ。心理学を専攻したのも、音楽とのかかわりが大きかったような気がします」
「音楽と心理学ですか?」
「ええ、そうですね。いろいろな実験に音や音楽を使うこともあります。何と言っても聴覚は人間の五感の一つなんですからね」
「いろいろな音楽を僕も聴きましたが、さすがに網羅するほどではないですね。私はクラシックから入ったものですから、クラシックの派生に走りました。でも考えてみれば、今ある音楽のほとんどはクラシックからの派生でしょうから、僕が網羅したと言っても知れているのかも知れません」
「私は、いろいろな音楽を聴いてきて、すでに限界に近づいている音楽もあると思っています。それらの音楽がどうなるのか、興味深いのですが、基本的には複雑化しているというのが、基本的な進化ではないでしょうか? リズム、メロディ、コードなどどんどん複雑になっていっているような気がするんです。そこで私は最後にはお経に走りました」
 というと、さすがに意表を突かれたのか、急に相手は脱力感に見舞われたようだ、
「お経ですか?」
「ええ、お経です」
 というと、彼はさらにため息交じりで、
「お経というのは、果たして音楽なんですかね?」
 という答えが返ってきた。
 これが他の人だったら、腹を立てていたかも知れないが、相手が恭介だというのは、腹を立てるものと次元が違っていた。
「もちろん、音楽ですよ、リズムも抑揚もあります。そもそも音楽というのは宗教色が強く、儀式や祭りの時に音楽が演奏されることが多かったではありあせんか。つまりは奉納という意味もある音楽は、神や仏を呼び出したりする意味もあったはずです。お経だって、仏前で唱え、人類の平和を祈ったり、自分たちの都合よく祈りを捧げるという儀式的な意味で、お陽はれっきとした音楽だと思っています」
 晴彦の説得力は結構なものだった。
 圧倒されてしまった恭介は、
「そう言われてみると納得できる部分は十分にありますね」
 と言ったが、その言葉から受け取った本心は、
「理屈は分かるが、自分には承服しかねる」
 と言っているように感じる。
「そこで考えたのが、音楽の演奏時間という考えです。お経も規則正しいスピードで、淡々と歌われます。これほど淡々と演奏される音楽はありません。だから、これを音楽として認めようとしない人が多いのではないかと思うんです」
 と晴彦は力説する。
「なるほど、僕も演奏時間の話には興味がありますね。確かに最適な演奏時間があってもよさそうですよね。新宮さんは何か見つけましたか?」
 と恭介がいうと、
「私が興味を持ったのは、やはり、ジョン・ケージの四分三十三秒という曲が何か引っかかる気がするんです。その秒数何も演奏されないのに、どうしてそんな演奏時間が算出されたのか、それをかんがえると、実に面白いのではないかと思いました。それで、私はまず、四分三十三秒という時間を分析して、そこから作曲に取り掛かろうと思っているんです。この秒数には何か大きな秘密があるんじゃないかと思ってですね。もちろん、決まっているのは秒数だけですから、どんな曲を作ろうともそこは自由ですよね。最適な秒数に最適なメロディを当て嵌められるか、そんなところから初めてみようと思っています」
 という晴彦に対して、
「じゃあ、僕はまず秒数を考えずに自由に作曲してみて、次第にその秒数に合うように調整していく方を選びますよ。そもそも僕の作曲方法はどいうところから初めていきましたからね。大まかなところから固めて、次第に核心部分に落としていく。漠然としているように見えますが、絵を描く時の感覚がこんな感じだと聞いたことがあります」
 と恭介はいうと、
「なるほど、絵を描く時の考えですね。実は私も絵を描く時の感覚を画家の人に聞いたことがあったんです。その人は逆に中心から広げていくそうです。ただ中心からとなると、目安や遠近感という意味でバランスが非常に取りにくい。だから、最初に理論的なことを詰めるんだって言っていました。なるほどと思いましたよ。しかも、その考え方が自分とそっくりなので、さらにビックリしました。でも、同じような考えの人が寄ってくるというのは、これは伝説としてもよくあることで、心理学でもよく話に出ますが、以心伝心、言葉にしなくても分かりあえる何かがあるんでしょうね。私はそれも音楽の一つであり、温覚も言葉だと思っています。そういう意味で言えば、言葉も音楽だと言えなくもないと思いますよ」
 恭介は、晴彦の話を聞いていて、どこか気狂いしてしまうのではないかという気がしてきた。
 音楽というものを突き詰めていき、最後にはお経に辿り着いたと言ったが、ここからは理論に挑戦しようと考えているようだ。
 その最初が演奏時間について。ジョン・ケージという人だけではなく、演奏時間に注目する人もいるんだということを当のジョン・ケージは知っているだろうか・
作品名:錯視の盲点 作家名:森本晃次