錯視の盲点
「クラシックが小学生の頃から好きで、ちょうど僕たちの頃の小学校って、授業の合間とか、給食の時間とか、クラシックを流していた学校も結構あったと思うんだ。その影響からか、よくクラシックを聴くようになって、かといって、歌謡曲は聴かなかったんだ。皆が聴いているのを一緒になって聴くというのはあまり好きじゃなくてね」
と恭介がいうと、
「僕もそうなんですよ。僕の場合は、組曲というのが好きでしてね。バレイ音楽なんかにあるじゃないですか。例えばチャイコフスキーのようにですね。一つの曲の中で、まったく違うような曲があるところに魅力を感じるんです」
というのが、晴彦の発想であった。
「僕も映画音楽に凝ったのは、組曲で構成されているものもあったからなんだけどね。アメリカのSF映画だったと思うんだけど、壮大な宇宙をテーマにした映画でね。それが素晴らしかった」
「なるほどですね。でも、僕の興味は少し変わったところにあるんですよ」
と晴彦は言い出した。
「どんなところだい?」
別に深い意味などないだろうと、タカをくくって聞いてみたが、
「何分何秒という時間が、曲において絶対的なものであるというものを証明したいと思っているです」
「どういうことかな?」
「曲って、リズムがあるもので、表紙もある、だからある程度決まった秒数の倍数になると思うんですよ。その中で作曲に適している秒数を見つけ出して、その秒数の曲をいかに作れるかというのを自分で立証し、立証できた秒数で、どんどん作曲をしていきたいという思いですね。きっとその秒数を意識すれば、作曲も考えているよりもスムーズにできるんじゃないかって思うんです」
「でも、その考えは危険じゃないかな? 何か束縛されているような気がするんだけど」
と恭介がいうと、
「いいえ、僕は客に作曲は難しいという固定観念を払拭させたいんです。そのためには、一つの目安になる何かを見つけることが大切だと思うんです」
「それが、何分何秒という時間だというのかな?」
「ええ、その通りです」
「発想としては確かに面白いと思うね。僕も同じように時間を意識して作曲してみようかな?」
と、恭介は思った。
最近の恭介は作曲から少し離れていた。
毎日やっている時はそんな気分にならないが、一日しなければ、ずっとやっていないような錯覚に陥り、すぐにできる状態にならなかった。これは作曲に限らず、他の創作活動全般にいえることではないかと思うのだった。
「そういえば、ジョン・ケージの四分三十三秒という名前の曲があるって聞いたことがあるな」
と晴彦は呟いたが、
「知っているよ。名前だけだけどね。何か無音の音楽らしいんだけどな」
名前だけなので、どんな音楽なのか分からない。無音というだけに、そもそも音楽は存在するのだろうか?
ただ、晴彦は別のことを考えているようだ。
「曲には最適な秒数という者が存在するとすれば、それを割り出して、割り出した秒数の曲を作れば、最高の音楽ができるのではないかという発想と、最適な秒数を目指せば、音楽は苦もなく作ることができるようになるかも知れないという考えが存在すると思うんです。僕は後者を証明したいと思っています」
「じゃあ、君は、前者と後者とで違う発想なので、秒数は違うと思っているのかい?」
「ええ、僕はそう思っています。まずは後者を見つけたいと思っているんですよ」
と、晴彦は自信を持って答えた。
「僕は前者を考えたことはあったけど、後者はなかったかな? 実際に探してみたこともあったんだけど、意識として自分しか信じていないことだと思うと、気合が入らなくて、結局すぐに探すのをやめてしまったんだ」
「それはもったいないことをしましたね。今からでも遅くないですから、探してみればどうですか? 僕も後者を探しますので」
と、晴彦がいうと、
「そうだね。競争のようなものだね。何か楽しみになってきたな」
と二人は、いつの間にか、音楽談義をするつもりが、目標設定に変わっていた。
「でも、やはり目指しているのは、クラシックなんでしょう?」
「僕はクラシックが音楽の始まりのようなもので、最終的にはまたクラシックの世界に音楽が集約されてきそうな気がするんだ。もうあちこちのジャンルで、限界が見えてきたんじゃないかって思うんだ」
「音の開発よりも、人間の耳が慣れてくる方が数段早いから、そういうことになるんだろうね」
「そうだと思います」
二人は、時間を忘れて音楽談義をしていた。
この日は気分を変えて、バーでの食事となった。
「一度前に寄ったことがあったので」
と晴彦の紹介での店だった。
ワインでは恭介は物足りなかったが、晴彦にはちょうどよかった。
「さっきの音楽の話なんですけどね。僕は中学の頃からいろいろな音楽を聴いてきたんですよ。クラシック、ジャズ、日本の音楽から、ワールドミュージックまでですね。もちろん演歌も聴いたし、軍歌も聴きました。それぞれに時代があっていいなとは思いましたが、それは他の人が聴く、その音楽が好きだという感覚とは違っているんです」
と、晴彦が言い始めた。
さらに続ける。
「そのジャンルが好きだというのは、他の音楽を知らないからではないかというのが私の意見なんですよ。演歌しか聴かない人は、最初から演歌だった。クラシックを好きな人は最初からクラシックしか聴いていない。少し乱暴な言い方になりますが、他の音楽がまるで敵であるかのように思っているから、好きだと思えるのではないかと思うんですよ。例えば軍隊の士気だって、仮想敵があればこそ、盛り上がるものではないですか。つまり、自分の好きになる音楽というのは、他の音楽を否定するところから入っている人が多いと思っているんですよ」
その話を聞いて、恭介は少し驚いた。見た目穏やかに見える晴彦が、こんなに語気を強めて、しかも何かの批判に走るというのは、果たしてどういうことなのだろう? それを考えていると、すぐに返事ができずに戸惑っている自分がいた。
「なるほど、そうかも知れないですね。でも。音楽というのは、生物と同じで、最初は一つの何かで、そこから派生していったものが、クラシックであったり。ジャズであったり、演歌であったりするんじゃないですか? それが歴史であり、そう考えると、敵対というのは、少し乱暴すぎるような気がしますね」
というと、