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錯視の盲点

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 その時に脳裏に浮かんだのは鎌倉探偵の顔だったが、自分も今までの経験から推理に関してはいい線行きそうな気がしていることからのほくそ笑みだった。
――この事件には恨みだけではい、別の何かもあるんじゃないかな?
 恨みの路線はあくまでも捨てず、他にも何かの要素が含まれているというイメージを門倉刑事は抱いていた。そしてその発想は、当たらずとも遠からじであったということは、しばらくしてから判明するのであった。

              作曲と時間

 作曲家である新宮晴彦が殺されたのが発見されるまでの、まだ生前にお話を戻してみよう。
 電車の中で気分が悪くなって、恭介に介抱されたのが、彼が殺される半月前のことだった。その日から晴彦は仕事はいつも通りこなしながら、それまで少し休んでいた作曲活動を再開させた。
 それまで休んでいたのは、少し自分の中で、
「スランプだ」
 と思っていたからだ、
「スランプなどという言葉は、本当のプロが使う言葉で、俺たちのようなアマチュアには向かない言葉だ」
 と思っていたことから、なるべく自分ではスランプなどということを感じないようにしていたが、それでも、何も浮かんでこない時はあるものだ。
 逆に、何をやっている時でも、勝手にアイデアが浮かんでくることがあるように、一つのことからいくらでもイメージが湧いてくることもあった。まるで自分が天才にでもなったかのような錯覚であるが、そんな時のアイデアなど、誰も認めてくれるものではなかった。
 精神的に鬱状態になりかかっているのを何とか堪えながら、気分転換に躍起になっていたのだが、立ち眩みを起こしたのはそんな時だった。
 自分を助けてくれた相手との再会は、それから少ししてのことだった。
――二度と会うことはないんだろうな――
 という思いが強かったのに、よく出会えたものだ。
 もっとも、あの時彼が助けてくれたおかげで、何か自分の中の違和感が取れたような気がして、その日から作曲を再開できるようになったのは、彼の中に作曲という意味で、同じ匂いを感じたからなのかも知れない。
 あの日、見たつもりはなかったのだが、途中で眠ってしまって目が覚めた時、瞼の裏側に花火の残像が残っているような気がした。
 確かに花火を見たという記憶はないが、潜在意識が過去に見た花火を今見たかのように思わせているのかも知れない。それはデジャブに似た感覚であったが、同じ過去に見たかも知れないと思うことであっても、微妙に違うような気がした。
 根拠はないが、もし、自分が花火を意識して見にいっていれば、見たかも知れないソックリの光景を、潜在意識が見せてくれたのかも知れないと感じたのだ。
 潜在意識という言葉を聞くと、まず思い浮かぶのは夢である。
「夢というのは潜在意識が見せるもの」
 というのをよく聞くが、果たして潜在意識というのがどういうものなのか、漠然としてしか分からなかった。
 しかし、心理学を研究していると、潜在意識というものが無意識と同意語であるということを学ぶ。
 夢というものの定義にしても、
「人は睡眠中にその日の記憶や経験を、過去の記憶と照らし合わせ、いるものといらないものに整理する」
 というもののようだ。
 それを行っているのが潜在意識であり、無意識の意識であった。
 考えてみれば、夢で覚えていることというのは、自分に都合のいいものだとは限らない。逆に都合の悪いものの方が多く、特に怖い夢の方が、強烈に印象が残っているため、
「残さなければいけない」
 と判断するからであろうか、記憶として残すことになる、それが封印されるかどうかは、潜在意識が無意識ということなので分からない。
 つまり、
「夢というものは、無意識という潜在意識が見せるものなので、自分のものであるにも関わらず、自分の思い通りにならないことなので、不思議な感覚として頭が考えてしまうことになる」
 と言えるのではないだろうか。
「ひょっとすると、同じことがデジャブにも言えるのかも知れない」
 デジャブというのも、理論的に解明されていない部分が多く、
「初めて見たはずのものを、過去に見たような気がしてしまう」
 という現象で、これも潜在意識が見せている夢のようなものだとすると、一定の理解ができる気がする。
 つまりは、
「寝て見るのが夢であり、起きている時に感じるのが、デジャブなのではないか」
 という解釈も成り立つのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、自分に起こっている不思議なことは、そのすべてを潜在意識のせいにして、解釈すればいいように思えるが、果たしてそうであろうか。
 ただ、思いが成就することもあるようで、そうなると、これは潜在意識とは別の意識が働いていたと言えなくもないだろう。もっとも、同じ路線を使っているのだから、出会わないはずもないとも言えるのであって、意識していればどちらかが気付くかも知れないというレベルには、発想が達していたのかも知れない。
 気が付いたのは、恭介の方だった。
「やあ、この間は大丈夫だったですか?」
 本人とすれば、
「助けてやった」
 という自負があるのか、気が付けば声も掛けやすい。
 それとも、普段からあまり人と接触することのなかった恭介が、
「この人なら」
 と感じたことで、再度会ってみたいという思いが相手と共鳴し、その実編を果たしたのか、どちらにしても、恭介からすれば、
「都合よく出会えた」
 と言ってもいいだろう。
「確かに、わざとではなかったはずだ」
 と本人が後から再認識してみたほど、偶然というには都合がよかったかも知れない。
 なぜなら、出会った場所は、前と同じ電車の同じ車両であり、ただ、今度はゆっくりと座れたので、まったく同じ環境というわけではなかった。
 だが、同じ車両にわざと乗ったわけではない、ただ、あの時と同じで、電車に乗る時はいつも降りてからのことを考えるので、降りた時、階段や改札に一番近いところに乗るようにしているが、この間もそうだったが、その日のように、電車にギリギリで乗ってくると、どうしてもこの車両になる。
 実はこの車両。晴彦にとっては、恭介のいう、
「いつもの車両」
 だった。
 つまり、晴彦が降りる予定の駅では、この車両がちょうどよく、いつもこの車両だった。だから偶然という言葉を使うのであれば、恭介にしか使えないのではないかと思えた。
「いつもの車両でいつもの電車」
 である、晴彦には当てはまらないからだ。
 だが、見つけてもらった晴彦の方も嬉しかった。
「この間はありがとうございました。おかげさまですっかりよくなったみたいです」
「それはよかった。私も心配してましたからね」
「ええ、しかも、あの日まで少し気が滅入っていたりしたんですが、あの日を境にいろいろ吹っ切れたみたいで、それもあなたに助けてもらったおかげではないかと思えているくらいなんです」
 そう思っているのは事実だった。
 確かにあの日から音楽への創作意欲も増してきて、鬱状態を脱したかのようだった。だが、本当の躁鬱症ではなかったので、軽い鬱からの脱出だったことは、その日のうちに分かるわけではなかった。
作品名:錯視の盲点 作家名:森本晃次