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錯視の盲点

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「第一発見者は二人です。一人はこのマンションの管理人で、貝塚三郎、四十五歳。住み込みで管理人をしているようで、管理人になってから十年が経つそうです。そしてもう一人が樋口泰司。被害者と同じM商事のK支店に勤務しているとのことです。もちろん、正社員ですが、被害者とは大学が同じで先輩後輩にあたるようで、専攻も心理学と同じだったようで、結構気が合って、よく呑みに行っていたそうです。被害者はあまり呑めないようでしたが、彼はまあまあ呑めると自分で言っています」
「今日は確か、無断欠勤したと言っていなかったかい?」
「ええ、それで近くまで営業で来たので、立ち寄ってみたそうです。それで結局死体を発見する羽目になったということです」
「じゃあ、さっそく第一発見者に話を聞いてみようかな?」
 と門倉刑事は別室で待たせている第一発見者にもう少し詳しい話を聞いてみることにした。
「こちらは、門倉刑事です。申し訳ございませんが、発見時の話を門倉刑事にもお話願えますか?」
 と言われ、
「またですか?」
 と管理人はウンザリしていたが、もう一人いた樋口という男はさほど嫌そうな顔はしていない。
――これくらいのことは最初から分かっている――
 と言わんばかりであった。
 まずは樋口が話し始めた。話の時系列からいけば、樋口の話から入るのが当然であっただろう。
「今日、出勤予定になっていた新宮さんが出社してこなかったんです。会社の人が電話しても、派遣会社の人が連絡を入れても連絡が取れなかったらしいんです。自分が知っている限り、新宮さんが無断欠勤などするはずのない人であることは分かっていましたからね。私と新宮さんとは大学の先輩後輩にあたりということで、結構気も合って、一緒に飲みに行ったりもしました。その時、たまにですが、新宮さんのところに泊めてもらうこともあったんですよ。だからマンションも知っていましたし、それで近くまで営業で来たので、営業が終わってから立ち寄ってみたんですよ。それがそうですね、時間的にお昼過ぎくらいだったと思います」
 と樋口がいうと、
「そうですね。まだ二時にはなっていなかったような気がします」
 と管理人が細くした。
 警察に通報されたのが、二時過ぎくらいだったので、話の辻褄は合っていた。
「私は管理人さんに、新宮さんの様子を聞くと、まだ今日は見ていないという。きっと仕事がお休みなんじゃないかと思っているということでした。で、私はここから電話を入れてみたんですが、留守電になるこtもなく、電話はコールしたまま、誰も出ません。少し怖くなって、管理人さんに、部屋の様子を見てもらおうと、新宮さんの部屋に同行を願ったというわけです」
 という樋口氏に対して、
「ええ、私も扉を叩いてみたり、呼び鈴を鳴らして名前を呼んでみたりしたんですが、扉のところを見ると、新聞が挟まったままになっている、嫌な予感がしたので、ノブを回してみると、鍵がかかっていないじゃないですか。中からチェーンが掛かっているわけでもない。いよいよ変だということになって、もし、何かの発作か病気で倒れていたりしたら大変だと思ってですね、名前を叫びながら中に入ってみたんですが、すると、中の様子は発見された現場を見られたと思うんですが、あの通りです。新宮さんが逆さに吊るされていて、床には血痕が飛び散っているじゃないですか。しかも胸にはナイフが突き刺さっている。目が明いていて、いかにも断末魔の目でした。もう完全にダメだと思って、警察に連絡を入れたんです」
 と、最後は管理人がまくし立てるように言った。
 管理人は、どうやら言いたくて仕方がなかったような雰囲気だ。死体の第一発見者には、管理人のように、一気にまくし立てて言わないと気が済まない人もいる。その中には、
――一気に言ってしまわないと忘れてしまう――
 と思っている人もいるようだ、
 というよりも、
――一気に言ってしまって、見たことを忘れてしまいたい――
 と言った方がいいかも知れない。
 要するに、あんな衝撃的な場面を見たのだから、きっと夢にも出てくるに違いないという意識からか、
「喋ってしまって、そのまま忘れてしまいたい」
 という心理が働くもののようだ。
 門倉刑事は刑事として、そして樋口氏は心理学を専攻していた者として、管理人の心理を分かっていたのだ。
「警察を呼んでからは?」
 門倉刑事は勧めた。
 すでにここまで話をして興奮のピークを通り越し、少し疲れてきたように見える管理人を横目に、樋口氏が今度は対照的に非常に冷静に話し始めた。
「私たちは扉を閉めて、表にいました。警察が来るまでにそんなに時間もかからないと思いましたし、中にいて何も触らないようにしないといけないという意識もあり、さらに管理人さんもかなり興奮していることから、もはやこれ以上中にいるのは耐えられないとばかりに表に出ることを管理人さんに提案すると、管理人さんは何度も頭を下げて頷いていました。私の方も管理人さんが極度に怯えていなくて、自分一人の状態だったら、失神していたかも知れないほどです。実際に出ようとして表の扉のノブを触った時、手の震えが止まらないのを思い出したくらいですよ」
 と門倉英二に樋口氏は話した。
「じゃあ、中をほとんど物色などはしていないんですね?」
 と門倉刑事がいうと、
「ええ、もちろんですよ」
 と樋口氏は即答した。
「ところで、被害者についてですか、知っている範囲で構いませんが、彼は誰かに恨まれているというようなことはありませんでしたか?」
 という門倉刑事の問いに、
「いいえ、私の知っている限りではそんなことはないと思います。新宮さんは、仕事も真面目だったし、会社でも社交的でした。趣味もあったようですので、一人で籠っているというタイプではなかったですが、だからと言って人に恨まれるということもあまり考えられないと思っています」
「ところで趣味というと、何なのですか?」
「新宮さんは作曲のようなことをするのが好きで、クラシックのような音楽を自分で作曲していたようです。本当は映画音楽などを作曲するようなことをしてみたいとよく言っていました。インディーズっていうんですか? 新人発掘のようなところで作品を結構発表しているようですよ」
「映画音楽が好きだったということは、映画なんかも結構見られていたんでしょうね。その割にビデオやDVDDがないですね」
「レンタルだったんじゃないのかな?」
「なるほど、今ではレンタルだけではなく、ネット配信というのもありますからね。便利な時代になったものだ」
 と、門倉氏は感心していた。
「捜査としては、作曲の方にも手を広げなければいけないでしょうね」
 と若い刑事がいうと、
「そうだな、ただ、ネットなどでやっていれば、捜査は難航するかも知れないな」
 と言って少しウンザリした気分になった。
「だけど、やっぱり気になるのは、どうして死体が逆さまになっていたのかということでしょうね。何か意味があるんでしょうか?」
「まだ分からんけどな。意味があってくれた方が、ひょっとすると事件解決には早いカモ知れないぞ」
 と門倉刑事はほくそ笑んだ。
作品名:錯視の盲点 作家名:森本晃次