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錯視の盲点

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 今の人たちは、人と関わることをあまりよしとしない。昔のように人と一緒にいないと生きていけないなどとは思っていないのではないだろうか。それとも、人と関わることの鬱陶しさが気を遣うことであると気付いたからなのかも知れない。
 もちろん、恭介の勝手な思い込みでしかないのだが、人と絡みたくないと思いながらもどこかで人を求めているのは、ひょっとすると、自分の育ってきた環境に反発を抱きながらも、どこかに答えを求めて彷徨っていたからなのかも知れない。
 恭介はその日、結局何もなかったが、それはそれでよかったと思っていた。人とかかわったことを別に気にしなければ何ともないことである。
「帰ってから、今日は作曲に勤しもう」
 と思ったのは、そういえば最近、あまり作曲に力を入れていなかったのを思い出したからだった。
 あれだけ毎日のように続けていた作曲も、ここ最近では一度一日何もしない日があると、翌日からは、タガが外れたかのように、もう作曲に目の色を変える気にはなれなかった。別に惰性で作曲していたわけではないのだが、一度戒律を破ると、気持ちが大きくなってしまうのか、今までの戒律に縛られていた自分が何だったのか、考えさせられる。
 戒律というのは大げさだが、毎日欠かさずにやっていると、行動すべてが戒律によって成り立っているかのような錯覚に陥ったりもする。
 また新たな戒律を作ろうとは思っていなかったが、少し薄れた興味を戻さなければいけないとは思った。生きがいとまで思っていたことだったので、新たに自分に課そうと思っていることは、戒律と同じ感覚ではあるが、余裕のあるものに見えてくるのだった。
 戒律などと大げさなものを課さない限り、余裕は生れてくる。戒律という言葉は大げさであり、大それてもいる。
「少しずつの積み重ねでいいんだ」
 と思うようになると、気も大きくなる。
 今では毎日しなくなったかわりに、少し離れていきかけている気持ちをいかにつなぎとめるかが問題であった。やはり、毎日だy惰性になるのか、急に一日開けてしまったりすると、急に興味が薄れた気になった。
 面白くないわけではないのだが、義務感があった方が自分で自分をコントロールできるという意味で、いろいろ発想も浮かんできたのかも知れない。戒律だと思っていたことも、実際には怠けようとしている自分を奮い立たせる身体の奥から湧き出してくる唯一の力だったのかも知れない。
 要するに、自分がどこを目指して進めばいいのか、分からなくなってしまっていたのだ。
 本当であれば、もっと若い頃に悩むべきことだったものを、この年齢になるまで引っ張ってきてしまったために、すでに悩みではなくなってしまった。感じることはできるが悩むことはできない。悩まなくてもいいすべを、悩むということから逃げることを、覚えてしまったのだろうか。
 ゆっくりと情景を思い浮かべてみた。目の前にどんな状況が浮かんでくるというのか、この日浮かんできたのは宇宙空間だった。頭の中に浮かんできたのは、ホルストの「惑星」だった。
 音楽は重低音を奏でているが、漆黒の闇の中に小さな光の点として点在している星たちは、かろうじて光を保っていた。しかし、その光の一つ一つは大切なもので、一つでも書けると、まわりの光が半分になってしまう。さらにもう一つがなければさらに半分、どんどん半分になっていっても、そんなに真っ暗になっていっても、一つでも光っているものがあれば、色が暗黒になるおとはない。
 暗黒の闇が訪れるには、すべての光が消えてなくならなければならない。それは死の世界でしかない。それを味わうには自分が死ぬしかないのだ。
「二度と戻ってはこれない死の世界、そこにも奏でられる音楽は存在するのであろうか?」
 恭介はそんな風に思った。
 星は毎回一つすつ光を失っているように思う。消えているわけではない。何度となく創造した自分の中の宇宙。その宇宙には光を発せず、まわりの光でも発光しない星があるという。きっと光を失った星の末路ではないかと思うのだが、光のない星は、死んでいると言えるのだろうか?
 きっと生物は死滅しているだろう。光がなければ生きることは不可能だ。きっと空気もないはずで、空気があるからこそ、光ることができるからだ。水も空気がなくても生きることのできる生物がいれば別である、例えば暗闇を食べる生物。
 暗闇はいくら食べようとも消えない、そして減らない。暗闇を食べる生物にとってはまるで永遠の命を与えられたも同然だ。
 人間などは、不老不死というものを夢見て、その想像を物語にして、欲望を形にしようとする。一種の芸術というべきなのだろうが、暗闇を好物にする生き物は不老不死は持っているが、完全なる下等生物だ。バクテリアにも匹敵するかも知れない。きっと地球と言う星が存在し始めて生まれた生物というのは、このようなものではなかったか。星が生まれて最後に死を迎えるのだとすれば、その間にどのような生物が存在しては消えていったかは別にして、最初と最後は同じような生物であるということは、どの星のどのような生まれ方であっても、その生物がどんな生物であったとしても、星の運命として変わらぬ神話のようなものなのかも知れない。
 想像力は尽きることもなく、果てしない。
生き物である以上、心臓のようなものがあり、規則正しく時を刻んでいる。その生き物の心臓の音によって生まれた時間という概念が、静寂の中で進んでいく星の営みに一定の抑揚を与える。
 生物は一つである必要はない。いくつもの生物が生まれ、その鼓動もまた早鐘のように刻まれていき、一つとして同じ感覚のものはなく、ただ、自分の中では規則正しくその鼓動を奏でている。
 これが、恭介の中での音楽の基本だった。
 中学の頃に聞いたクラシックの調べ、それこそ、いくつもの生物の鼓動。動物一つ一つが別の楽器であり、奏でられた音楽は一つの形になりながら、抑揚はメロディに変わっていく。メロディと規則正しい旋律は、新しい音を生み出す。曲を生み出す時に想像する世界は、消えることはない。夢は目が覚めると見ていたことさえ忘れてしまうが、音楽を作っている時に創造した世界は、決して忘れることはない。しかも、成長し続けているので、またこの世界に入り込んだ時には、世界は勝手に成長している。今ではゲームとして育児ゲームなるものが流行っているが、その発想も芸術を育む環境と似ているものなのかも知れない。
 音楽を創生していると、想像の世界なのか、妄想の世界なのか分からなくなってくる。想像の世界というのは、自らが意識している理想を育むもので、妄想の世界とは、意識している想像ではなく、何か別の力によって誘われた世界がそこに広がっている。
 想像の世界も、妄想の世界も、同じ、
「自分が頭の中で作り出すものだが、想像は作ろうとして作ったもの、妄想は勝手に頭の中から湧き出してきたもの」
 という思いがあった。
作品名:錯視の盲点 作家名:森本晃次