コントロールされた暴力
小学生の僕の暴力
僕が小学校の時にも、よくクラスで喧嘩が起こったものです。どこにでもジャイアンがいるから、いつも同じ生徒がいじめられているんです。この時、殴る蹴る。これが当たり前でした。
「チクショー!」
そう泣き叫ぶ男子生徒をみんなが見ていました。そこで女子が文句を言っても、暴力は振われません。ジャイアンみたいな子でも、子供なりに暴力の使い方をコントロールしていたんでしょう。つまり彼にとっては、いじめは遊びの一環だったのです。いじめられた子は可哀そうですが。
やんちゃな子には、先生からの“ビンタ”なんてこともあって、僕も大講堂の舞台に上がって遊んでいただけで、担任教師から平手打ちされたことがありました。当時はコントロールされた暴力に囲まれて生活していたのは事実です。
家の近所の子たちと、遊びの中で喧嘩になったりもしましたが、それは自己主張のぶつかり合いで、いい喧嘩だったと思います。弟と兄弟喧嘩もよくしました。原因は大抵、オモチャの取り合いです。
でも小学校においては喧嘩はしたくありません。そこでは行儀良くしようという心構えが出来ていたからです。これも暴力の使いどころをコントロールしていたってことなんだろうと思います。
だけど仲のいい友達が喧嘩していると、その助っ人に入って、僕より大きいやつにやられて、逆に泣かされてしまうなんてことも結構ありましたね。僕は自分のことを、クラスでは3番目に強いと思っていました。腕力で序列が決まっていたのです。
一方、女子をいじめるようなやつは、それほど腕力のあるタイプじゃない。そんな相手だと僕でも勝てます。
「木田、女子の味方すんのかよ! 女が好きなんだな。やらしー」
勝ち目がないと悟った相手は、粘っこい声で、こんな意味不明な反撃をしてきます。でも、確かに言われた通り、僕はその女子が好きでした。その恥ずかしさか、後ろめたさか、そんな気持ちを隠すように、僕はその相手に手を上げました。
「うるさい!」と、バチンと一発殴る。
すると相手はすぐに泣き出しました。一瞬にして自分が被害者になりきるためです。
(なんだこれ?)
こんな空気が教室に漂いました。それで相手が卑怯にも先生に言い付けたら、今度はいじめられてた女子が味方してくれるのを、僕は知っていました。つまり要領のいい喧嘩をしていたってことです。この方が卑怯だったかな?
作品名:コントロールされた暴力 作家名:亨利(ヘンリー)