短編集94(過去作品)
以前出張に来た時に、福岡支店の支店長が話していた。今は変わってしまったが、福岡に来れば同じ都会でも東京、大阪とはまったく違う文化を感じるらしい。だが、人情は厚く、うまくやれば住み心地は最高だが、一つ間違えれば住むには難しいかも知れないとも話していた。支店長クラスになって転勤が付き物になれば、嫌でも人間関係が付きまとう。その時の福岡は達男をどう迎えてくれるだろう。不安にもなるが、楽しみでもあった。住んでみたい街であることには違いない。
中洲とは読んで字のごとく、川の間に挟まれた地域を中州という。主流である那珂川が途中、薬院新川として別れ、その間に中州が形成される。全国にも中洲に公園があったりするところは珍しくないが、福岡の中洲は他のところとは少し趣が違う。夜の街というイメージが強いからだろうか。
中洲に掛かる公園で思い出すのは広島である。原子爆弾の爆心地が中洲の一番上のところにあたり、いわゆる原爆ドームが川のほとりに立っている。中州を縦断するとそこには原爆資料館が建っていて、中洲全体が平和公園になっている。福岡の中洲とはあまりにも違いすぎる。
運転手には、絵葉書に乗っているような景色を見せてくれるところと言っているので、
「福博であい橋のことですね」
とすぐに分かったようだ。博多駅の横を通り過ぎるようにして、反対側に出ると、そこには大きな通りが繋がっていた。
「祇園、呉服町と、ビジネス街ですね。昔は祇園界隈にはOA関係の会社が多かったんですが、今は福岡タワーの近くに移転してしまっていますね。でも、いまだにここで営業をしている会社もあるみたいですよ」
交通の便は明らかにこっちの方がよかった。達男の会社の福岡支店も福岡タワーの近くにあり、海が近くにあって環境はいいのだが、如何せん交通の便が悪い。どうしても都心部は土地の高さもあって郊外へと離れていくのだろうが、福岡タワーの近くにはももち浜があって、夏は若い人たちで賑わう。そんなところの近くにビル街があるというのも、まるで海外のように思え、爽快な気分にさせてくれる。
「このあたりまでが商人の街博多ですね。そして中洲の川を渡れば向こうは城下町にあたる福岡の街です。福岡城址には裁判所や公園だったりします」
まるで観光タクシーのように話してくれるのも、福博であい橋に行く客だからであろう。予約してある宿に荷物を置いてくる間、待ってくれているという客も多いのか、平気な顔で、
「かしこまりました」
と返事をしてくれた。
宿は中洲の近くに取っている。海に近い方にしたのは、あまり賑やかなところではないということと、中洲の川の流れ込む海を見てみたかったからだ。あまり期待はしていないが、博多湾自体が湾曲しているので、福岡タワーや、反対側に志賀島が見えればいいという希望に違いなかった。
宿で荷物を降ろし、中州へと向った。川のほとりでタクシーを降り、歩いて橋までやってくる。すでに日は西の空に傾いていて、ビルの一部に光が当たっているだけになっていた。
――想像していたよりも、小さいように感じるな――
実際には大きいのかも知れないが、あくまで個人の感じ方なので、一概には言えない。川の広さは却ってもう少し狭いと感じていたほどで、橋の上から川面を覗き込むと思ったよりも高いのでビックリもしていた。
地元プロ野球チームが優勝すれば、飛び込むことで有名な川らしいが、
――この高さから飛び込むのは勇気がいるな――
と感じさせられた。
福岡に来れば、中洲で橋の高さを見てみたいというのも以前からの願望でもあった。元々達男は高所恐怖症である。高いところから下を見下ろすのは苦手なのだが、橋の上から川を覗き込むのはどうなのだろう。
実は今までに川を覗き込んだことはなかった。気持ち悪いと思っていたからである。中州に来て見てみたいと思ったのは、根拠はないが、きっと違う土地に来たからなのかも知れない。
川の左側には絵葉書で有名なネオンサインが所狭しと並んでいて、艶やかさを醸し出している。その日は風が強く、寒くて震えてしまうほどであった。
――上着が必要だったな――
と感じさせたが、震えながら川面を見ていると、細く等間隔に紋を描いていて、ネオンサインがまるでモザイクが掛かっているように見える。
しかし、橋のたもとから真下に見る川面は完全に影になっていて、暗闇にしか見えない。覗き込むと吸い込まれそうな気持ち悪さを感じ、本当は目を逸らしたいのだが、暗闇を凝視している状況から逃れられないように思えた。
――何かを見つけることができないと目が離せないかも知れない――
それが何か分からないが、目を離すことができれば、その時に何かを発見しているかも知れない。それが何かを感じることができるのだろうか。できないように思えるのは、もし感じたとしてもすぐに忘れてしまうからだろう。
今までにも同じような思いをしたことが何度かあった。
何かを見つめていて、目を離すことができない。まるでかなしばりのようになってしまっているが、しばらくしてかなしばりから解かれると、
――何かを発見したように思うんだけど、思い出せないな――
と感じている。
後になって思い出すのかも知れない。だが、その時はかなしばりにあって、その呪縛から解ける時に何かを発見したという一連の流れが頭の中に残っているだけだ。その日も予感めいたものがあったのだ。
であい橋の上にはベンチがあり、そこに腰掛けることができるので、かなしばりが解けた達男はベンチに腰掛けた。お尻が冷たく、その日が体感気温よりもさらに寒いということを思い知らされたような気がした。
寒さが身に沁みてきたので、少し歩こうと思い橋の中央に目を向けると、さすが夕方の繁華街、会社が終わって人通りも増えてきた。
東京を出たのは昼過ぎ、大体これくらいの時間にであい橋に来てみたかったということでの逆算だったが、計画は予定通り、ちょうどいい時間に景色を堪能できた。
自然の醍醐味というわけではなく、ある意味人工的なものばかりを見ているのだが、それでも達男には嬉しかった。そこには庶民の生活が感じられ、さらには、商人の街博多を十分に感じることができるからだ。
橋を歩いている人の多くはサラリーマンやOLであるが、OL風の女性の後姿が気になっていた。どこかで見たような佇まいを感じたからである。
彼女は歩を緩め、であい橋の手すりに両腕からもたれかかってネオンサインを見つめている。その横顔はまさしく見覚えのある雰囲気、
――まさか、そんなことはない――
他人の空似には違いないと思いながら、達男は彼女をじっと見つめている。
達男はおもむろにベンチから立ち上がり、彼女に近づいていく。ネオンサインに視線を集中させている彼女には、近づいてくる一人の男性の存在は見えていないようだ。
「こんばんは」
声を掛けた自分がビックリした。近づいていって、それからどうしようかと考える前に声を掛けたのだ。今までの達男からは信じられないことだった。
作品名:短編集94(過去作品) 作家名:森本晃次