短編集94(過去作品)
里美を見る目、里美が達男を見る目、次第に変わっていったことだろう。里美が達男を意識する時が来ても、何ら不思議のないことだ。
だが、達男はそれを恐れていた。
――きっと里美は苦しむに違いない――
と思ったからで、自分が苦しんだように、兄として慕ってきた時期が長ければ長いほど思い出は深いはずだ。
達男が思っているほど、里美は固い考え方ではなかった。兄として慕いながらも、兄の中に見えてくる男性を感じずにはいられない。
「お兄ちゃんに素敵な彼女ができたら、私が一番に祝福してあげるね」
と言っていた里美、達男にはその時の里美の言葉を素直に受け止めていた。
「お兄ちゃんも、早く里美に素敵な彼氏ができればいいと思っているよ」
お礼のつもりで発した言葉だったが、何となく引っかかりを感じた。寂しさと言ってもいい。
里美が北海道に友達と旅行に行くという。
「お兄ちゃんもどこかに旅行に行けばいいのにね」
ちょうど旅行を考えていたところだった。それも一人旅。里美が友達と旅行に行くのなら、達男は違う方向への旅行にしたかった。
福岡なら出張では赴いたことはあるが、プライベートではない。最近の仕事の忙しさは、旅行に行くことを楽しみにしていたので、それだけがやりがいだった。集中はしていたが、そう長く緊張感が続くものではない。仕事が面白くないと言えばウソになるが、旅行の楽しさとは比べものにはならない。仕事はそれだけ厳しいものだ。
一段落してみれば、少し気が抜けた気がしてくる。緊張感が続かないと思っていても、ずっと続けてきたのだろう。一日の流れに身を任せるような気分になっていた。
休暇は最初からもらうつもりでいた。プロジェクトの参加者は、皆仕事が一段落すれば、まとまった休暇を取っていた。会社もそれは容認していて、達男のように旅行に出る者もいるであろう。
二泊三日くらいのつもりで考えれば、福岡あたりが一番最適である。
福岡といえばラーメン、屋台が並んでいるシーンがガイドブックの表紙に載っている。川面に写ったネオンサインが賑やかで、その場所に行ってみたいというのが、一番の目的だった。
ガイドブックは買ったが、中身は読んでいない。旅行当日まで読もうとは思わなかった。元々旅行は計画を立てて行く方ではない。行った先での新鮮な情報で判断してきた方で、それこそが一人旅の楽しみ方だと思っていた。
福岡空港に着いたのは、午後四時を回った頃だった。空港内はさすがに人が多く、タクシーに並ぶ者、迎えを待っている者、さまざまである。一人旅の達男は、予約している宿にとりあえずは向いたかった。タクシー乗り場へと足を向けたが、最初たくさん並んでいたと思ったが、タクシーの数もかなりいるので、どんどん人が乗り込んでは発車していった。あっという間に自分の番になり乗り込むと、一路宿へと向った。
空港ビルの向こうでは、ひっきりなしに着陸してくる飛行機を見ることができる。ビルに隠れて着陸が見えないが、巨体が猛スピードで建物に隠れていく光景を見るのは圧巻である。まさに空港の醍醐味、これを見ることができただけでも飛行機を選んで正解だった。
ホテルは博多駅の近くに取った。別にどこでもよかったのだが、博多駅の向こう側に空港が見えるとパンフレットに書いていたので、そこに予約を入れた。
飛行機も好きだが、新幹線も好きである。線路の軋む音を最小限に抑えながらも響いてくる音は小気味よく、何よりも睡魔を誘う揺れは疲れている時には耐えられるか自信がないくらいである。
里美は達男が福岡に来る二日前に北海道に経った。友達三人との旅だそうだが、同じように羽田空港から飛び立って行ったのだと思うと、複雑な気持ちだった。
――もう会えないかも知れない――
何という不吉なことを感じたのだ。自分の頭を叩いて戒めたが、そんなことを冗談にも考えることは今までに一度もなかった達男だけに、一抹の不安を感じたままの一人旅になった。
さすがに都心部、そう簡単には進まない。信号が青になってもなかなか進まないのは慣れていて、後ろで次々に着陸してくる飛行機に意識は集中していた。まだ飛行機に乗っているような感覚があったのかも知れない。
博多駅までの道は、上を都市高速が走っている。
――まだこれなら東京と変わらないかな――
と感じたが、旅行先だという思いもかなりあった。
飛行機に乗って違う土地へ来たという感覚があった。東京と変わらないと思いながらも違いを探していると、郷土色豊かなネオンサインもよく見かける。これも空港の近くのお店を思わせ、
――自分は大都会の東京から来たんだ――
という思いも強く、福岡といえども東京からくらべれば田舎にしか思えなかった。
――福岡も次第に都会の仲間入りをしてくるな――
最初に福岡を訪れた時に感じた。あの時も、タクシーで同じ道を通ったはずなのだが、感じ方はかなり違っていた。むしろ仕事で来た時よりも、福岡が田舎に感じる。九州という土地柄で見ているからだろうか。本州ではないというだけで違った目で見るのは、いかにも偏見であろう。タクシーの窓から流れるネオンサインを見ながら、
「やっぱり福岡も都会なんだな」
と思わず呟いてしまった。
「お客さん、東京から?」
「ええ、そうです」
「福岡が都会になってくるのは嬉しいんですが、本心としては、田舎のままでもいいと思っているんですよ。東京から来られた方はお客さんのように思わず呟いてしまうことも多いですね。不思議なことに、無意識なんでしょうね。指摘されると自分で何と呟いたか覚えていない人も多いくらいで……」
と、タクシーの運転手は話したが本当だろうか。覚えていないというよりも、つぶやいてしまったことの照れ隠しに覚えていないと話したのかも知れない。だが、中には本当に無意識の人もいたかも知れないと感じるのは、都会には共通した光景が随所にあり、どうしても比較してしまうからだろう。今の達男も運転手に言われなければそのまま忘れてしまい、呟いたことすら記憶の奥にしまいこまれてしまったに違いないないからだ。
「福岡の中洲っていいところですよね」
「中洲は夜の街ですからね。最近では昼の顔も持っていて、ところどころ改装中のところも多いですよ」
それは都会の繁華街であれば当たり前だが、福岡というところ、博多駅から中州、そして天神と賑やかなところが繋がっているというのも面白い。ある意味大都会の特徴の一つではあるが、歴史的な意味合いを考えると、それも不思議のないことだった。
まだまだ昔かたぎの人が多い福岡の街、その象徴が中洲だと聞く。博多どんたく、山笠祭りと勇猛な男たちの祭りとして全国的にも有名なのも、昔かたぎの人が多いからに違いない。
「きっと昔からの伝統なんでしょうね」
作品名:短編集94(過去作品) 作家名:森本晃次