短編集94(過去作品)
どこかで見たという思いが、お化け屋敷と関係があるわけではない。空を見上げると、雲の流れの異常な早さが目に付いた。天気が崩れる時の早さではない。SF映画で見たタイムスリップを思い出していた。雲の流れが早く、水平線に吸い込まれるように流れていたかと思うと、あたりが真っ暗になって、異次元空間へのトンネルが現れる。そんな現象が頭のどこかに残っていて、幻を見せているように思うのだ。実際にそんなことがあるはずないと思えば思うほど雲の流れから目が離せなくなってしまった。
そんな現象も夢の中でのことだった。気がつけば雲はどこかに消えていて、たった今の出来事だったにもかかわらず、遥か前に見た光景だったように思えた。
――きっと夢で見たことを思い出してしまったのだろう――
という意識しか残っておらず、衝撃的な光景は次第に記憶の奥に追いやられていくのを感じた。
――夢というのは目が覚める寸前に見るものだ――
という言葉の通り、意識がしっかりしてくるにつれ、見ていたと思った時間が薄っぺらいものに感じてくる。
目の前に見た異次元の入り口、三次元から四次元を見ていたが、夢が平面である二次元だとすれば、その先に見ていたのは我々のいる三次元なのかも知れない。夢の世界から見ればこの世界も異次元、そう考えれば、タイムスリップの夢がリアルだった理由も頷ける。
大きな門構えを横目に見ながら歩き始めた。数軒の大きな屋敷が両側に並んでいて、門構えの両側には自分の背よりもかなり高い頑丈な塀がまるで城壁のように続いている。かなり昔の屋敷であるにもかかわらず、真っ白に塗られた壁は真新しく見え、雲が晴れた空から容赦なく降り注ぐ太陽に照らされ煌びやかに光って見える。
少し行くと、真っ白な壁が途切れ、中から表を覗けるようなところに出てきた。そこには格子戸が続いているではないか。
――こんな光景、どこかで見たことがあるな――
漫画サークルの同人の中に、時代物を専門に描いているやつがいた。その中にはたくさんの武家屋敷が描かれていて、格子戸を描いたものもいくつかあったのを思い出した。
――見たことがあると思ったのは、漫画のことだったのかな――
確かにリアルな絵だった。だが所詮は絵である。実際の映像とは比較にならないだろう。どこかで見たという記憶は残っていたが、どこでだったかハッキリと思い出せなかったのは、漫画だったことが影響しているに違いない。
漫画は完全に二次元の世界、写真だとどうだろう? 三次元とまでは行かないが、明らかに二次元でもない。立体感さえ掴むことができれば三次元といってもいいほどの記憶を残すことだってできるに違いない。
同人の描いた漫画の原点は、この武家屋敷にあったのかも知れない。内容まではハッキリと覚えていないが、なぜ覚えていないかも分からないのだ。
その漫画の内容は非常に怖い内容だったように思う。その漫画を描いていた人は、どちらかというとホラー、恐怖といった内容を得意としていた。普通に生活している人が、ふとしたことで陥ってしまう恐怖、それを描きたいと常々話していたのを思い出していた。
漫画家を志している者なら、一度は考えてみる恐怖モノ。中山には信じられない世界である。元々シビアな考え方をする方だと自覚している中山にとって、経験からの話しか描くことはできなかった。
自分に早々と限界を感じた原因はそこにあった。経験から一歩踏み出した想像や発想がどうしても出てこない。
――臆病な性格が災いしているのだろう――
と思えてならない。
――いつも誰かに見つめられているような気がする――
最近でこそ、その思いは薄れてきたが、学生時代までは、目に見えない何かに絶えず見つめられていたようたな気がして仕方がなかった。
――誰に見つめられているのだろう――
武家屋敷に格子戸があるなど、あまり想像できるものではない。この街に来る前に、本当は格子戸などないだろうという思いが強く、それを確かめたかった気持ちもあった。
――どこかで見たことがある――
という思いの元にやってきたのだが、ここまで来てやっとどこで見たのか思い出したのも、半信半疑だった思いは実際に見ないと思い出せないことを表しているようだ。
実際に自分の目で見たり、触ったりしたものでないと信じないのも中山の性格である。臆病なくせに、信じられない世界を見てみたいと思うのもそんな思いが強いからだ。
格子戸を横目に見ながら歩いていると、実際に人に見られているように思える。怖くて直視できないが、格子戸の向こうは真っ暗で、二つの点が怪しげに光っている。明らかに人間の目である。
歩きながら何を想像しているか、中山には分かっていた。
中山は歩きながら、意識は格子戸の中にいる。格子戸の中から表を見つめる視線に、意識は集中しているのだ。
表は雲が立ち込めていて、今にも雨が降りそうな天気だが、まず雨が落ちてくることがないだろうということを知っている。厚い雲が嵐のように流れていき、見つめていると吸い込まれそうになるので、決して見ないようにしていた。その時にも、異次元の入り口を感じていたに違いない。
見つめられてオドオドしている自分を、意識が見つめている。何と不思議な感覚なのだろう。漫画を最初に見た時もそうだった。あの時も意識は格子戸の中から表を見つめているような感覚に陥っていたように思う。格子戸の中は蒸し暑く、重たく湿った空気が背中にのしかかってくるようだ。格子戸の中ではまったく身動きがとれず、背中にのしかかる重たさに耐えていたが、次第にその感覚が麻痺してくるのを感じた。
感覚が麻痺してくると、雲が次第に晴れてくるのを感じた。晴れてきそうなのを感じた瞬間。一気に光が差し込み、表を歩いている人の顔を一瞬垣間見ることができた。
――まるで般若の形相――
表を歩いている人は自分なのだと、心のどこかで分かっていたはずなのに、光が当たった瞬間に見た顔は、自分とは似ても似つかぬ般若の顔だったのだ。
これにはさすがに驚いて目を逸らしてしまった。
だが冷静に考えてみると、臆病な自分が見た幻なのかも知れない。
――そうだ、これは夢なんだ――
それが夢であることに気付いた瞬間だ。夢だと分かれば開き直りもできるもの。男の顔をしっかりとみつめてやろうと思ったが、次の瞬間には明るさで相手の顔がハッキリと見えなくなっていた。
それでも見つめようと必死になって見ていると、男の顔に表情がなくなっている。
――のっぺらぼう――
次第に明るさに慣れてきて、相手の顔の表情を確認できるに十分な明るさだったはずだ。だが、じっくり見つめているが、いつまで経っても相手の表情を垣間見ることができない。
――目も鼻も口もない――
と感じると、夢であると感じているにもかかわらず恐ろしさで背中に汗を掻いていることに気付いた。
熱さも冷たさも感じない汗、明らかに夢の中だという証拠だというのに、それが冷や汗であることは分かっている。
般若の形相に驚いたのは言うまでもないが、のっぺらぼうというのがこれほどまでに恐ろしいものかということを痛感させられた。
――顔がないのだから表情だって分かるはずがない――
作品名:短編集94(過去作品) 作家名:森本晃次