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短編集94(過去作品)

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 休みの日には、朝のコースは決まっていた。近くにある喫茶店でモーニングサービスを食べるのだが、いつもは九時過ぎにしか行かない。その店は七時から空いているので、今から行けばちょうど開店時間だろう。
 実はそのことも計算に入っていた。
――明日は、モーニングを食べていくぞ――
 と最初から考えていたので、目覚めがすっきりとしていたのかも知れない。平日は仕事に行かなければならないという思い、そして日曜日は仕事から解放され、のんびりとしたいと思うことでどちらも目覚めをすっきりさせるものではないが、仕事に行かなくてもいい日で、しかも最初からその日の計画を立てていれば目覚めがすっきりする理由もおのずと分かってくる。学生時代に漫画を描いていた頃を思い出した。
 諦めは早かったが、漫画に没頭していた時期は真剣そのものだった。一日があっという間に過ぎてしまい、
――これが充実感というものか――
 と、充実感を始め、新しい感動を与えてくれた日々だった。それだけに諦めも早かったのかも知れない。同じ諦めるなら、ダラダラしていなかったのは潔さと、自分を冷静に分析する目を持っていたからだろう。
 だが、それも好きなことだから感じることができたのであって、熱中できることでなければ、なかなか自分の力量を判断するなど無理ではないだろうか。
「おはよう、マスター」
 乾いた鈴の音が店内に響く。その音は軽やかではなく、重々しさを感じさせるものだった。表は霧が出ていたが湿気を感じさせるものではない。それだけに店内に充満しているコーヒーの香りに重々しさを感じ、鈴の音にも重たいものを感じたのだ。
「早いね、中山君。今日はお休みかい?」
「ええ、たまには早く来るのもいいでしょう?」
「早起きは三文の得って言うからね」
 マスターからは中山君と言われている。下の名前で呼び合うことの多いこの店では珍しいのではあるまいか。マスターが中山君と呼ぶので、他の常連からも中山君と呼ばれている。
「学生時代から知っているからね」
 学生時代は真面目がとりえと言われるような連中としか、この喫茶店に来たことはなかった。漫画家を本気で目指しているような連中だったり、大学でも前の席でいつもノートを取っているような連中である。彼らは決して人の名前を下の名前で呼んだりしない。そして、中山も彼らに対して下の名前で呼ぶことはない。理由としては、親しみを込めているというよりも、相手が同等であるという意識を強く持ちたいという気持ちの表れであろう。
 彼らとはこの喫茶店に来た時、奥の席に座って、自分たちだけの世界を作っていた。マスターと話をしたこともなかったし、他の客を気にすることもなかった。元々この喫茶店を見つけたのだって、最初は偶然だったのだ。夏の暑い日に、暑さを逃れたいという気持ちで歩いていて、ちょうど出くわしたのがこの喫茶店だったというだけだ。
 中山が常連として一人でこの店に顔を出すようになったのは大学を卒業してから、それまでは誰にも気にされていないと思っていた。それだけにマスターの、
「学生時代から知っているからね」
 という言葉は嬉しかった。こちらは意識していないのに、意識してくれていたわけである。しかも、
「学生時代から見ていた」
 というのではなく、「知っていた」という言葉は、それだけ分かってくれていたということだろう。どんな印象だったのだろうか。
「皆、一生懸命に何かに打ち込んでいるって感じを受けましたよ。若さの特権なんでしょね。羨ましく見ていました」
「マスターも、こうやって店を構えているんだから、今実際に一生懸命に打ち込んでいることが、元々の夢だったんでしょう?」
「確かにそうだね。だけど、夢と現実は違うものだよ。それを実感させられたね。もちろん、そんなことも最初から分かっていたことだけど……」
 目をじっと見ていると、瞳に写った自分の姿が見える。
――まだまだ相手の心を読むなど自分には無理なんだな――
 と感じる中山だった。
 ここの喫茶店では指定席は決まっていた。マスターと話をする時はカウンターに座るのだが、それ以外は窓際に座ることが多い。窓が東側を向いているため、朝日がまともに差し込んでくる。そのため、朝はブラインドを下ろして、直接日が差さないようにしていた。
 中山は、表を見るのが好きなので、ブラインドを指で下に引いて表を見ることが多かった。刑事ドラマで、捜査一課長がやると恰好いいのだろうが、普通の学生が座って見ている分には、お世辞にも恰好いいとは言えないだろう。
――格子戸を覗いているみたいだな――
 小学生の頃まで住んでいた家の近くには、まだ木造家屋が多く残っていた。友達の中には先祖代々続いてきた旧家に住んでいるやつもいて、遊びに行った時など、格子戸が珍しく見えたものだ。時々覗かせてもらっていたりもした。別に何の変哲もない景色なのだが、冬など冷え切った木造住宅の中から見る風景は、どこからか吹きぬける風が余計な寒さを演出しているようだった。
 格子戸から見ていると、相手からは見えない設計になっているらしいが、こちらから丸見えだけに、本当なのかと疑いたくなってしまう。明るいところから暗いところ、暗いところから明るいところを覗き込むのと同じ理屈にも思うが、見られている感覚は格子戸の方が強かった。
 格子戸というと、京都の祇園などが頭に浮かぶ、坂になった道を舞妓さんが歩いている姿が想像されるが、それよりも、中山の頭には真っ赤な着物を着た女性が、表を歩く男たちを、キセルを使ってのタバコを吸いながら、眺めている姿が目に浮かぶ。そんな光景を今見ることは不可能なだけに、テレビドラマで見た印象が深かった。
 喫茶店を出ると、すでに朝日は昇っていて、暖かく感じられるほどになっていた。表に出てから喫茶店を覗くと、ほとんどの席のブラインドは下りていて、朝日に反射して眩しかった。眩しさを避けるために右手で庇を作りながら見ていたが、一箇所ブラインドが下りていないところがあった。
 そこからは一人の男性が表を見ていた。視線が合ってしまって思わず目を逸らしたが、もう一度視線を戻すと、どうも気のせいに感じられた。
――向こうは眩しいはずなので、こちらの視線までは分からないはず――
 と思ったからで、よく見ていると表情がまったく変わっていないようだ。中山が少し移動しても相手の視線は動くことはない。やはり中山を見ていたのではないようだ。
――それにしても見つめられていたように見えるというのも気持ち悪いものだな――
 と感じた。
 中山には今あまり悩みはないと自分なりに感じていた。ストレスくらいは溜まっているだろう。悩みも皆無ではない。しかし、ある意味生活に充実感を感じているのも事実、却って怖いくらいだった。
 仕事で感じる充実感ではない。会社ではトラブル続き、中山が原因で起こるトラブルも決して少なくはない。
作品名:短編集94(過去作品) 作家名:森本晃次