短編集93(過去作品)
と感じるだろうと思っていたが、実際はその逆だった。数日前のことがまるで昨日のことのように感じ、その間に感じたことが何もない寂しさを感じる。身体を動かせる人ならそれでもいいのかも知れないけど、動けない幸子にとって、それは悩みの元になる可能性は十分にあった。
小学四年生くらいから書き始めた日記、時々読み返してみる。
学校には数日に一回は行けるようになっていた頃だった。もちろん激しい運動などできるはずもないが、皆が楽しく遊んでいたりするのを見ているだけで楽しい気分になれるのは、きっと絵画の影響だろう。いつも動かないものばかりを見ているので、広い校庭が狭く感じるほどである。
羨ましいと感じるのは当たり前だが、そんな気持ちを察してか、友達が気を遣ってくれる。そこに嫌味はなく、一緒に眺めてくれるだけなのだが、その友達は、まわりから少し変わっていると見られている娘だった。
「皆と一緒に遊んできてもいいのよ」
と言っても、
「いいの。こうしているだけでいいの」
としか答えない。横顔だけだが、その視線はまるで自分を見ているように輝いて見える。
――私もあんな視線なんだろうな――
と思うと隣にいてくれるだけで嬉しくなってくる。
学校に行った日の日記はその友達のことばかりである。名前は洋子というが、彼女もどこか自分にない感性を持っているような気がしてならない幸子だった。
日記は相変わらずこまめに書いている。
――よくこれだけ書くことがあるわ――
と自分で思うほどで、あれだけ毎日を長く感じているにもかかわらず、日記を読み返せばそのすべてがまるで昨日のように思い出される。変化がないばかりが原因とは言えないはずで、池の波紋のように、まったく同じ光景でもどこかが違うんだと思ってみている証拠だろう。
時々池のほとりにいる自分を想像することがある。池のほとりから、今眺めている窓を見上げ、絵を描いている自分を垣間見ているのだ。
そろそろ女の子としての身体に変化が訪れかけた頃、幸子の身体にも変化が訪れ始めた。胸は大きくなり始め、お尻の張りも感じるようになってきた。さすがに初潮を迎えた時はビックリした。恥ずかしくて誰にも言えなかったくらいである。
しかし、おばあちゃんには分かっていたようだ。その日の夕食にはお赤飯が炊かれていた。
「このお赤飯は?」
「さっちゃんが大人になる第一歩を祝したものなのよ。さっちゃんは何も心配しなくてもいいの」
と言ってニコニコしている。
きっと幸子は顔を真っ赤にして立ちすくんでいたことだろう。意味も分からずおばあちゃんのいつもの優しそうな顔を見ているだけで、安心感が湧いてきた。
そういえば、幸子はほとんど家にいるせいか、男の人と一緒にいることはない。学校に行っても遊んでいるのを遠くから見ているくらいで、体育の授業もほとんどが見学、男性というものを子供心にも意識したことがなかった。
家では父親とたまに食事をするくらいで、意識をすることもない。晩餐の中に一人、父親が鎮座しているというだけだ。
身体の変化は顕著だが、気持ちが身体の変化についていけてない。それは幸子にも十分分かっているが、理由までは分からなかった。男性を意識したことない自分をまだ分かっていなかったのだ。
毎日が平凡に過ぎていく。意識しているわけではないのに、毎日の行動パターンは判で押したように同じだ。順番も同じなら、掛かる時間も同じである。そのわりに毎日の時間が少しずつ違って感じるのは、それだけ集中できる時間がその日の体調によって微妙に違うからだろう。
絵画も自分で納得しながら描ける日と、そうでない日とのバランスが違う。それでもかなり上達していることは分かっていた。
最初の頃は、絵を描いているだけで満足だった。
――他の人がしていないことを、自分はゆっくりできるんだ――
寝たきりをずっとマイナス思考の考えしかできなかったのに、その時はすべてがプラス思考だった。たった一つの趣味が幸子のすべてを変えたように思えたくらいだ。だが、それも紛れもない事実である。
絵画を始めてから日記を書くのも楽しくなってきた。その日の満足感に浸っているそのままに日記を書ける。それが満足感を持続させてくれる。満足感に浸れる時間が長ければ長いほど、充実感を味わえる。
日記を読み返すことはあまりなかったが、初潮を迎えて自分に女を感じ始めると、読み返してみたくなる自分を感じていた。
それが小学生もそろそろ終わりに近づいていた頃だったのだ。
日記を読み返すのは一日に対して一日分、つまりある日を境に日記だけは同じ日にち分過去を見つめなおしていくのだ。
一日に何日分も読まないというよりも読めないからだ。一日分を読んで、その日のことを思い出す。読んでいくうちに記憶がどんどんよみがえってくるのだが、ある程度その日の気分に浸れるようになるまでに一日掛かる。だから一日分を一日掛かってゆっくりと読み返すのだ。
中学に入ると、学校に行く日が楽しみになった。小学校とはまったく違って感じるからだ。何が違うといって、制服に身を包んだ自分が本当に大人になったように感じるからであって、表を歩いているセーラー服のお姉さんたちが、羨ましく見えていた。
――女性の私から見ても素敵に見える――
今度は自分が見つめられる番だ。家を出てから駐車場までの間、自分の部屋の窓を見上げると、そこには小学生時代の自分に見つめられているようで、恥ずかしいという思いと、舞台に上がった女優のような晴れやかな気持ちになっていた。
読み返している日記は、空想に憧れていたことを思い出させてくれるものだった。白馬の王子様が池のほとりに立っている。そんなイメージが日記を見ていると思い出させるのだ。
――よくこんな恥ずかしいことを書いたわね――
日記を見ていれば今でもその時の気分がハッキリと思い出される。それだけに恥ずかしい気持ちはさらに深くなり、本当に顔が真っ赤になっていたことだろう。それだけ身体が女の身体へと変化を遂げてきている証拠でもある。
中学に入って、少しずつまわりが見えてきたように感じた。それまでは本当に自分のまわりの一部しか見えていなかった。それは小学生時代の自分でも分かっていたことだが、それも少しずつ見えるようになった今になって気付いたことなのかも知れない。身長も小学生の頃より急激に伸びてきた。視線の高さが少しでも違うことに気付くと、見えてくる世界がこれほど違ってくることに、その時初めて気付いた幸子だった。
王子様が立っているのは、庭の池のほとりである。
夢でよく見るシーンは、池をイメージしてなのか、絵画の時に思い浮かべる湖を思い出す。空には雲ひとつない青空が広がっていて、遠くに見える山が湖面に写っているのだ。その光景は、絵を描くことを志すものなら誰でも描いてみたいと思うものに違いない。そんなシーンを夢に見るのも当たり前だが、その時の幸子は白いドレスを着ている。
白い帽子に白いドレス、自分の身体が丈夫で、行きたいところにいつでも行けるようなら、きっとしているだろうと思う恰好を思い浮かべている。
――まさにお嬢様だわ――
作品名:短編集93(過去作品) 作家名:森本晃次