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短編集93(過去作品)

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白馬の王子様



                白馬の王子様


「白いドレスがよく似合っているね」
「ありがとう。あなたっていつも私のそばにいてくれるのね。嬉しいわ」
「僕は君のナイトだからね。いつだって白馬に乗って駆けつけるさ」
 という会話を耳の奥で感じながら目が覚める。
「はぁ」
 一言溜息をつく幸子は、いつも同じ夢しか見ることのできない自分が悔しかった。
 小さい頃から身体が弱く、学校にもまともに通うことができない。中学に入ってこそ毎日ではなくなったが、小学生の頃は毎日の病院通いも苦痛だった。
――どうして私ばっかり――
 と思わない日はなく、特に秋になって寂しい時期になると、その思いが募るばかりだった。
 家は裕福な家庭で、白壁の屋敷に広い庭、幸子の部屋からは庭に作られた池を見ることもでき、風が吹くと池の水面に浮かぶ細かい波紋を見ているのと少しは気分が晴れた。気がつけば一時間、二時間見ていることもしょっちゅうで、ベッドの上での死ぬほど退屈な毎日の中で唯一気が紛れる時間でもあった。
 小学生の頃は学校に行きたくてたまらなかった。小学校入学前に買ってもらった赤いランドセル、おばあちゃんが買ってくれたのだが、そのおばあちゃんも今はいない。小学校二年生の時に亡くなった。
 一番幸子を可愛がってくれていたのはおばあちゃんだった。会社社長をしている父親の補佐という形で母親も忙しく、なかなか娘に構っている暇もなかったようだ。まだ小さかった幸子は、父親の会社がどれほどのものか知る由もなく、忙しいのは仕方がないと子供心に割り切っていた。
 ただ、こんなに弱い身体に生んでくれた両親を心の底では恨んでいたに違いない。もちろん、そんな顔は表に出すわけはなかった。
 そんな思いがあるからだろうか、幸子は思っていることを顔に出すタイプではない。しかもベッドで暮らすことの多い幸子は、ほとんど表情を変えることもなく過ごしている。
 時々行く学校でもそうだった。控えめな幸子は、友達が楽しそうに遊んでいるのを見て羨ましいと思うが、見ていて自分と重ね合わせて見ていることもある。本当はそれだけで満足できるはずもないのだが、見ているだけで楽しくなってくるのは、それだけベッドの中での生活が長いからだろう。
 なまじ起きて身体を動かせる時間があると、少しの間であっても身体が覚えているため、身体が反応してしまう。耐えられないほどのやるせなさに苛まれ、自分の肉体的な成長に気付きながら過ごしていくのは辛いものだ。
 幸い小学生低学年の頃は、まだ自分の肉体的な成長に気付かない。四年生、五年生くらいになると急激な身体の変化に驚くことになることをおばあちゃんは恐れていた。
 医者からそのあたりの話を聞かされた両親が、いつも一緒にいるおばあちゃんに話していたのだ。忙しさにかまけてなかなか面倒を見てあげられないまでも、両親は心配しているのだ。
「幸子って皮肉な名前よね。幸せって何なのかしらね」
 まだ小学校の頃、幸子は話していた。
「まだ人生これからなのよ。大丈夫、養生していれば幸せは向こうからやってくるものなのよ」
 と言い聞かせたのもおばあちゃんである。
――まだ、小さいのに、そんな心配しないといけないなんて、かわいそう――
 と心の中の目頭が熱くなる思いだった。
 幸子の病気は、養生していれば大体は治る病気である。それほど重たい深刻な病気ではないのだが、治るまでにどれだけ掛かるかが未知数なのだ。分かっていればおばあちゃんの言葉にも説得力があるのだが、分からないだけに、おばあちゃんも心が痛む。
 小学生というと一番知識を吸収しやすい頃で、これから経験するいろいろなことに耐えていけるだけの精神力や体力を養う時期である。そんな時期に起きることはできるが、ほとんどが寝たきりの生活を強いられているのは見ている方も胸を針でつつかれるような思いである。
 幸子は毎日変わらぬ景色を見ているが、同じ景色であっても、見えている大きさが毎日違っている。天気が毎日微妙に違うように、日の高さによっても影の長さも違ってくる。特に毎日同じ角度で見ている景色なだけに、ちょっとした違いであっても、かなり違っているように思えるようだ。
 何もしないでずっといるのも辛いこと、ある日おばあちゃんが買ってきてくれた雑誌に綺麗な風景画があったのが印象的だったが、毎日見る同じはずの景色の違いに気付いてから、絵を描いてみたいと思うようになっていた。
 軽い趣味として絵を描くようになった。主に被写体は庭の風景で、幸いにも庭には被写体となるべき風景がたくさん転がっていた。日本庭園を思わせる一帯に、西洋風を感じさせる一帯、幸子はそのどれもが好きだった。
 特に幸子が好んだのは池のまわりだった。
 池のまわりは森のようになっていて、毎月植木職人が綺麗にしていくこともあって、いつも綺麗に池が見えている。
「私が幸子のことを思っていつも綺麗にしてもらっているんですよ」
 おばあちゃんの心遣いもあるようだ。いつも一人で見ている先が庭の池だということを分かっているのだろう。
 最初は幸子も池をそのまま描いていた。
 池の表面に写る波紋が好きな幸子なので、風のある日など、いつも表を見ていたのだ。
 最近では、池をそのまま描くのではなく、想像力を逞しくさせている。池を湖のように見立て、湖畔に建っている西洋の城をイメージしてみたり、屋敷に見えるがホテルであったりするという、まるでストーリーが頭の中でできてしまいそうだった。
 イメージが膨らむのは絵を描いている過程においてもである。最初にイメージしたものが描き上がって見てみると最初にイメージしたものではない風景が出来上がっていることも往々にしてあった。それが幸子にはおかしくて仕方がないようだ。
「動けないだけに、発想だけは豊かみたいなの」
 とおばあちゃんに言うと、普段と変わりない笑顔が返ってきたのが嬉しかった。
 絵を描いていると時間を忘れる。寝たきりの幸子にとって、これほどいい趣味はない。何かに没頭すると嫌なことを忘れられるという思いを持たせてくれたのが絵画だった。
 絵画を趣味に持つと情景描写がうまくなるだけではなく、ちょっとした変化にも敏感になる。いつも眺めていることでもちょっとした違いを感じるのだ。
 身体を動かせる人には意外と感じないことかも知れない。固定観念があるからだ。自分の中の固定観念が邪魔して、伸びる才能を自分で殺している人もいるはずである。
 幸子は絵を描きたいと思うようになった頃からずっと続けていることがあった。それは日記を書くことである。それまでにも書こうと思ったことはあったが、きっかけが見つからなかっただけだ。しかし絵を描こうと思ったことがきっかけになって、日記も続けるようになった。
 日記も毎日書くのが億劫だと思っていたのだが、逆に毎日書いていれば日課となって、生活に張りも出てくるというもので、書かない日があれば却って気持ち悪いものがある。
 毎日書いているものが、一日、二日書かないと、
――かなり書いていなかったようだ――
作品名:短編集93(過去作品) 作家名:森本晃次