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短編集93(過去作品)

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減算法と加算法



                減算法と加算法


 田舎から出てきて十年が経った。門田隆二が教師になろうと心に決めたのが高校生の時、なぜ教師になろうと考えたかさえ、すでに忘れかけていた。隆二は忘れっぽい性格で、そのことを、ずっと気にしていた。
 忘れっぽい性格と、試験などにおける記憶力とはあまり関係ないようである。暗記物のテストはいつもトップクラスで、それよりも応用問題など、汎用的な知恵が必要なテストは苦手だった。
「融通が利かないのかな?」
 と言うと、
「お前は性格が素直すぎるからな」
 と友達に言われていたが、その言葉をそのまま信じ、まんざらでもないという気持ちになること自体、隆二という男、ある意味実直な性格なのだ。
 だが、いい意味での素直さではない。本人にいくら言っても結局遠まわしでは分かってもらえるものではない。素直な性格だと思い込んでいることで、感覚が鈍感になってしまっているのだ。素直な性格がそのまま
――人を疑ってはいけない――
 ということに繋がっているだけに厄介だ。本人にはこれっぽっちの疑念はない。
――綺麗なものは綺麗、白いものは白い――
 これ以外には考えられない性格を中学時代までは持っていた。
 どちらかというと何不自由なく育った田舎での生活、都会に憧れるクラスメイトを見て冷めた目で見ていた中学時代だが、高校になって、将来のことを考え始めると、都会への興味が少しずつ湧いてくる。
 自分の性格が減点法だと思い始めたのもその頃だった。
 小学生の頃からの幼馴染に斉藤というやつがいた。斉藤はまわりに流されない性格を自負していて、一匹狼のようなところがあった。しかし、考え方はしっかりしているので、まわりからとやかく言われることもなく、却って信頼を受けているくらいだ。彼くらいになればさすがともいうべき風格のようなものがあり、隆二も一目置いていた。
「俺はここから離れる気はないんだ」
 皆が都会に憧れを持っていた頃、斉藤は田舎での生活を早々と宣言していた。
 都会の空気に圧倒されることもなく我が道を歩んでいけるであろうと思っていただけにビックリだった。だが、ある意味斉藤らしいといえば斉藤らしい。決断の早さにはいつもながら驚かされる。
「俺は教師になりたいんだ」
「どうしてだい?」
 ハッキリとした理由があるわけではないので、言葉に詰まってしまった。斉藤の顔を見るとニコニコしている。その笑顔の真相は分かっている。
――僕には分かっているんだよ――
 と言わんばかりの笑顔である。
「君は算数が好きだったからね」
 算数は確かに好きだったが、なりたいのは歴史の教師だった。なぜ斉藤は算数の話を持ち出したのだろう。
「確かに好きだったけど、どうしてだい?」
「数学は好きじゃないんだよね?」
 まるで見透かされているようだった。斉藤は続ける。
「型に嵌まったことは好きじゃないけど、漠然としたのも嫌なんだよね。何となく分かるよ」
 算数というと答えが決まっていて、その答えを導き出すためのプロセスが大切なのだ。いろいろな発想が許される。これは他の教科にはあまり当てはまるものではない。それに比べて数学は答えが決まっていて、それを導き出すためのプロセスも大方決まっている。
 過去の数学者が発見してきた数々の法則、それに基づいて導かれる答えは、どんなに難しい問題であっても、一つだけなのだ。
 人の引いたレールの上を歩くことを虫が好かないと思っている隆二、そんな隆二の気持ちを斉藤は分かっている。分かっていて、
「教師になりたい」
 と言った言葉そのまま返すのではなく、彼独特の感性で返してきたのだ。斉藤にとって教師と隆二の組み合わせは、考え方の許容範囲だったのかも知れない。
 型に嵌まったことが嫌いで、型破りな考え方といえば、斉藤の方が専売特許とも言える。
 普段はあまり自分から話す方ではなく、いつも控えめなのだが、何か問題が起こると急に彼の存在が大きなものに感じられる。そう思っているのは隆二だけではないだろう。
「足したり引いたり、算数って面白いよね」
 まるで他人事のように話すが、聞いているだけで同じようにのんびりした気分にさせられる。
 斉藤に話をした時は、大体腹は決まっていた。隆二は人に話をする時というのは、大体腹が決まっている時が多い。
 人に話をするのは腹を決めている時だというのは、斉藤にしてもそうかも知れない。だが、それはまったく違う性格から来ているように思える。
 隆二の場合、人に何かを言われて決意が鈍ることを恐れるあまり、腹が決まってからでないと話をしないのだ。それだけ自分に自信がないのだろうが、そのくせ決めてしまったことへの決意は固いとも言える。
 斉藤の場合は、自分に自信を持っていることは明らかだ。人に相談をするということがあまりなく、自分ですべてを決めてしまうという気概が強い。そのため、腹が決まるまで自分の世界を作っているようだ。斉藤が話していた。
「俺は自分の中で自分の世界を作って、そこで考えるんだ。きっと君のように実直じゃないので、自分を見つめていないと結論が出ないのさ」
 と話していた。
 褒められているのかどうなのか、分からないだけに苦笑いをするしかなかったが、斉藤のいうことは、いちいち的を得ているように感じる。
 高校を卒業すると、都会の大学に入学した。クラスメイトの半分は都会に出てきたようだ。大学に進学した者、就職した者さまざまだが、五月の連休くらいまでは連絡をそれぞれ取り合っていた。
 しかし梅雨が近づくにつれ、連絡の途絶える連中がちらほら出てきた。特に就職した連中は研修期間も終盤に向って忙しいようだったが、それでも、連絡を取れないのは、五月病のせいではないかと思うようになっていた。
 最初は五月病と言われてもあまり意識をしていなかったが、五月もそろそろ終わりになりかけていた頃に一抹の寂しさを感じた。
 どこから来る寂しさか分からなかったが、一つ何か矛盾のようなものを感じると、そこからできる綻びは、次第に大きくなってくる。
 布キレに火がついたように、燃え上がってしまう火が見えているようだ。真っ赤に見えることもあれば、黄色く見えることもある。その時々での心境の違いを表しているようで、一瞬一瞬の精神状態の違い、それが五月病を泥沼に追い込んでくるように思えるのだ。
 田舎に住んでいる頃に感じたことのない思い、鬱状態というのは話には聞いたことがあるが、これほど自分を苛めるとは思ってもみなかった。
――実直な性格が災いしているのかな――
 実際に自分で実直な性格だと思ってはいたが、その性格のいい悪いについてはあまり考えたことがなかった。初めて五月病になった時に考えたといってもいい。
 田舎の頃の自分が都会の生活に馴染むための通らなければならない道なのかも知れないと感じた時、スッと身体の力が抜けていくのを感じた。それが五月病が治るきっかけだった。
 五月病を治すには何かのきっかけしかないと最初から感じていた。下手に自分で動いても悪い方にしか考えが向いていないのだから、ロクなことはないはずである。じっとしているに限るのだ。
作品名:短編集93(過去作品) 作家名:森本晃次