短編集93(過去作品)
誠とはかなり親密な関係になってきていると幸子は感じているが、誠自身はどうだろう? 実際に話を聞いたわけではないので何とも言えないが、聞くのが怖いというのが幸子の本心だろう。下手に聞いてしまって、彼のオトコとしての部分が顔を出してしまっては怖いと感じている。
恋愛小説風に入って感じたのは、
――よくこれほどのことを感じることができたな――
と感心するほどだった。
SF風の小説は、夢に見たり想像したりしたことが多くても不思議はないのだが、恋愛小説というと、経験に基づいた想像でなければ書けないものだ。もちろんずっと家にいて恋愛経験などない幸子なので、後から読み直すと赤面しそうな大袈裟な内容だと思っていた。それが読み進むうちに自分の小説の中に入り込んでしまうような気分になるのはなぜだろう? 文章の上手下手だけで気持ちが引き込まれるようなことはないだろう。
――今読み返すからいいのかな――
と感じた。書いている時の幸子は自分の世界に入り込んでいる。絵画にしても日記にしても同じことで、それだけにその時の感情に戻ることは不可能に近い。
だが、今読み返している幸子はまさしくその時の自分が分かるのだ。
――まるで読み直すことを予期して書いていたような気がする――
今読んでいる自分に対してのメッセージが多分に日記の中には残されている。日記と小説の違いは、誰かが読むことを念頭において書いているかどうかだろう。日記は自分だけのもので他人を意識していない。たとえそれが未来の自分であっても、書いている時の自分から見れば他人には違いない。
読み進めば進むほど、誠と知り合った時の心境を思い出させてくれる。
――初めての男性との出会い――
それは誠にとっても同じことで、お互いに新鮮だった。
――今ならきっと恋愛小説を書けるかも知れない――
と感じていた。
「人生は三百ページの本と一緒かも知れないわ」
と以前におばあちゃんが話していた。自分の何倍も生きてきたおばあちゃんのセリフなので、それなりに説得力がある。あまりにも説得力があるだけに、幸子にとっては他人事でもあった。
「三百ページの本?」
「そうよ、どんなにいろいろなことのある人生でも、何もないと思って過ごす人生でも、その人にとっては三百ページに纏めることができると思うのよ。だからさっちゃんも今はその中の何十ページかあたりを書いているのと同じなのよ」
この話をしたのは日記を書き始めてすぐのことだった。まだおばあちゃんには自分が日記を書いているということを話す前だったので、よく覚えている。あまりにもタイミングが良かったからだ。
「じゃあ、三百ページを寿命だとすれば、今の年齢で何ページか逆算もできるのね」
「でも寿命っていくつか分からないでしょう? だから、自分で三百ページの本を書くことは不可能なのかも知れないわね」
「でも書いてみたいわね」
「今のさっちゃんと同じ年のお友達も同じように書いているとしても、きっとページは違っているでしょうね、これは寿命が皆違うという意味以外でね」
「どういうこと?」
「自分の人生は後になってからじゃないと分からないということなの。過去があって今があって未来がある。未来が今になった時に、今のことが分かってくるものなのよ。皆自分がどのあたりのページか分かるのも後になってからなのね」
「終わってみないと分からないこともあるもの」
「そういうことでしょうね。でもさっちゃんがそのことに気付く日は自分で分かっているかもね……」
何やら難しい話だったが、その時の会話を日記にも書いていた。空想物語の合間に書いているので、却って後で読み返すと印象深く残っている。
幸子にとっての白馬に乗った王子様である誠を意識し始めて、彼の部屋に行くまでにはかなり掛かった。幸子が彼を自分の家に招く前に先に彼の部屋を見てみたかった。
知り合ってから半年、この期間が長かったか短かったか、今から思い返せば短かったように思う。
「僕の部屋に遊びに来るかい?」
という言葉を聞くまでは、相当長かったように感じたが、実際に言われてみると、付き合い始めた頃がまるで昨日のことのように思い出される。そのことも後から読み直した日記に書かれていた。
日記を読んだから、あっという間だったように感じたのかも知れない。
「僕の部屋に遊びに来るかい?」
と言われたのは、日記がちょうどそのセリフに差し掛かった頃だったからだ。
偶然なのか必然なのか、またいろいろと考えてしまう。しかし、その頃の幸子は偶然も必然も、どちらであっても気にならないようになっていた。偶然の延長が必然ではないかと思うようになったからである。
――夢に見るのも偶然なら、夢に見たことが起こったとしても、それが必然でないとどうして言える?
とまで感じるようになっていた。日記を読み返すようになってから感じたことだった。
初めて行くはずの彼の部屋。前にも来たことがあるような気がするような懐かしさを感じる。今まで他の人の部屋を夢の中であっても想像したことはなかった。自分の部屋が自分の世界だったからである。
夢というのは潜在意識が見せるものだと思っている。所詮、想像の範囲内でしか見ることができないということを意識している人がどれだけいるだろう? どんなに突飛な夢を見ようとも意識の範囲内で、潜在的な意識の中に眠っているものだ。いたちごっこなのである。
六畳の部屋なのだが、想像していたよりも狭く感じた。綺麗に片付けられている部屋の奥には本棚が置かれていて、本がぎっしりと詰め込まれている。
「どうぞ、腰掛けて」
と言って差し出してくれた座布団の上に腰掛けてあたりを見渡すと、最初に感じた狭さが何だったのかと感じた。想像していたとおりの広さである。
だが、狭く感じたのは目線の高さのせいだけではなかった。元々誰もいない部屋を想像していたので、そこに彼と自分の二人がいるのだ。狭く感じられて当然である。
「何となく懐かしく感じているんじゃないのかい?」
誠の表情は優しさに満ちていた。
「ええ、そうなの。よく分かったわね」
「君との出会いは偶然じゃなかったと思うんだ。前から君が僕の目の前に現われるような気がして仕方がなかったんだ」
というではないか。
「どうしてなの?」
「どうしてなんだろう? 僕も前からあまり身体が強い方じゃなくって、部屋からあまり出たことがないんだ。この部屋と部屋から見える表の風景だけが自分の世界だったんだよ」
と言って、部屋を開けて表を見せてくれた。窓の向こうには公園が広がっていて、ちょうど池がすぐ目の前に見えている。幸子の部屋から見る池に似ているわけではなかったが、風が吹いていて水面に浮かんだ波紋がまるで木の幹のように見えていた。いわゆる年輪というやつだ。
自分の部屋から見た時に感じたことのない年輪、ここで初めて感じた。何かが繋がったような気がした。
「僕は以前から日記を書いているんだけど、その途中が一日分抜けているんだ。君もじゃないかい?」
幸子は愕然とした。
「どうして知っているの?」
作品名:短編集93(過去作品) 作家名:森本晃次