短編集93(過去作品)
彼も絵を描いていたそうだ。もっとも今は身体も丈夫になったので、絵を描くよりもスポーツに勤しむ方が多くなったようで、陸上をやっているという。本当は野球やバスケット、サッカーのような球技がやりたかったという。
「でも、元々身体が弱かったせいもあって、団体競技だときっと自分の中で頑張れる気がしないんですよ。身体にトラウマが沁みこんでいるように思えてならないんだ」
陸上競技は個人成績、誰に迷惑が掛かるわけではない。リレーや駅伝などのような種目を選ばなければいいのだ。
最近では体調もよくなって、他の人と同じような生活を営むことができるようになった幸子だが、
――人に迷惑を掛けるんじゃないか――
という危惧はずっと持ち続けている。
人に迷惑を掛けるというよりも、迷惑を掛けたあとに、
「いいのよ、あなたは心配しなくても」
と口では言われても、
「あの娘は身体が弱いから仕方がないんだ」
ということを影で言われていることを思うとたまらなくなってくる。被害妄想に違いないのかも知れないが、その気持ちは同じように身体の弱い人でないと分からないだろう。
誠が最初どういうつもりで幸子に話しかけたか、幸子には聞く勇気はない。あれから誠は幸子の彼氏になった。ある意味必然で、ある意味偶然のように思える。
最初こそ必然だと思っていたが、出会いから付き合うようになるまでがあまりにも自然だったので、偶然ではないかという思いが強くなるのも当たり前かも知れない。しかもお互い異性と付き合うのは初めてで、それにしてはぎこちなさを感じない。
――偶然の中に必然があるのかしら、それとも必然の中に偶然があるのかしら――
と感じる幸子だった。
きっと同じようなことを誠も感じているに違いない。根拠があるわけではないが、彼の考えていることが分かるような気がする。
最初に感じた、
――どこかで見かけたことがあるかな――
という思い、今さら思い出される。
――そうだ、白馬に乗った王子様のイメージだわ――
ハッキリと顔が確認できない王子様、雰囲気もあまり夢の中ではいいものではなかったはずだ。何かを言おうとしていて、それが気になって仕方がない幸子なのに、王子様は黙して語らない。しかも遠い存在で、同じ空間に存在していることを不思議に思うほどだった。
それだけ神秘的だとも言える。誠にも同じような神秘性を感じるのだろう。夢の中での王子様の存在がきっと今までも幸子の中には残っていて、いずれ自分の前に現れることを予感していたに違いない。
そう感じると思い出すのは日記のことだった。
日記は想像していることをまるで小説のように書いていた。自分に起きたことを書けるほど変化のある毎日を遅れているわけではない。何しろ毎日がベッドの中での生活なのだ。だから日記を読み返すと、続き物の小説を書いているのと同じである。
書いている時は続きものを書いているという意識はあまりなかった。
――想像していること、頭に浮かぶことをそのまま書いている――
まるで「徒然草」の冒頭のような気持ちだった。
ベッドの中で何もすることがない時は、よく本を読んだものだ。文章作法は数多く読んだ本で自らが学んだもので、ある意味我流だが、後から読み直してみると、それなりに文法の評価はできる。
そこでの主人公はもちろん幸子自身なのだが、出てくる登場人物はおばあちゃんと白馬に乗った王子様だ。後は、その日にまるで日替わりのように出てくる人がいるのだが、ほとんどが脇役で、目立つ存在ではない。しかし、それでも毎日書き続けているのだから、今から考えれば当時の想像力はすごいものだったに違いない。
今では日記は書いていない。書いていた時期の内容を小説にすれば何篇の小説が出来上がるだろうか。恋愛モノもあればSFチックなものもある。どれも甲乙つけがたい作品で、すべてが自分の作品なのだから、すべてに愛着があるのも当然である。
最近、その日記を読み返すことが多い。それも誠と知り合ってからだ。
誠と知り合って感じた白馬に乗った王子様との類似、それは顔だけではなく、雰囲気も似ているところがある。
時々見せる寂しそうな表情は、幸子を見つめながら、焦点の合っていない視線を感じる。視線のその先が、
――まるで私の身体をすり抜けて、さらに遠くを見ているようだわ――
と感じる。同じ空間に存在している人とは思えないところが、夢の中に出てきた白馬に乗った王子様を思わせるのだ。
もちろん、そんなところだけが似ているわけではない。それだけならあまりにも寂しいというものだ。
一日に数回分の日記を読んでいる。約一週間分くらいだろうか。ちょうど一週間で一つの物語が出来上がっているように思う。きっとそれがその時の幸子にとって一サイクルだったのだろう。
小学生の頃の日記は他愛もない内容が多かった。
――やっぱり小学生だわ、今から考えただけでも顔が真っ赤になるほどの内容で、これは間違っても人に見せられる内容じゃないわね――
と読みながら苦笑していた。
日記なのだから誰にも見せる必要はないのにそこまで考える自分が何となく恥ずかしく、思わず苦笑してしまった。
小学生の頃の日記を読み進んでいくと、当時のことを思い出してくる。思い出してくると、何となく不思議な感覚に襲われたのだ。それがどこから来るのか最初の頃は分からなかったのだが、
――日記の一日分が抜けていたんだっけ――
ということを思い出した。抜けていたことは意識の中にあったが、どの話を書いている時でいつ頃だったかは定かではない。日記を読み返そうという気持ちになったのも、ひょっとして抜けている部分を探してみようという気がなかったとは言い切れない。誠と出会ったことで思い返そうと感じた白馬に乗った王子様、そして読み返すことで抜けている部分を自分で感じたいと感じた。主人公と相手役を一気に感じたいと思ったからである。
それにしても、まだそこまで進んでいないのに、よく思い出したものである。それだけ日記の一日分が抜けていることを気にしていたということだろうか。幸子にとっての日記とは、当時の生活では絵画とともに生活のすべてを司っていたのかも知れない。
そろそろ中学生になりかけているところまで差し掛かってきた。
――このあたりから、少し内容も変わってきそうだわ――
SFチックな、本当に子供が見た夢をそのまま再現したような内容から、感情の篭った恋愛小説へと変わりつつあったのだ。
そう学生の頃は、感情があまりなく、舞台も時系列もバラバラで、唐突な内容が多かったように思える。それでも毎日書き続けたのだから、かなりの想像力だったのだろう。
恋愛小説風に変わるまでは一日たりとも抜けているところはなかった。したがって抜けているのは、自分が感情移入をしている恋愛小説に入ってからである。
ここまで読み込んでくるまでかなり掛かった。誠と知り合ってからどれくらいが経ったのだろうか?
作品名:短編集93(過去作品) 作家名:森本晃次