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ドーナツ化犯罪

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「綾音ちゃんは、心細くなることがあるの?」
「ええ、いきなり心細くなって、無性に寂しくなることがあるの。それはプチを見ていてもその気持ちが晴れることはない。そんな自分が怖くなることがたまにあるのよ」
「それは僕にも急に寂しくなることもあるよ。我に返るとでもいうのかな? そんな時は自分の中で、ちょっと鬱状態になりかかったエイルのかなって思うことが多いかな? 幸いにも次の日にはそんな気持ちは消えているので、問題はないんだけどね」
 と俊一は言った。
「私も次の日にはだいたい消えているんだけど、寂しさとは違う別のものが残るのよ」
「どんなもの?」
「それはその時々で違うんだけど、きっと前の日の後遺症というか、その影響が大きいと思うんだけど、自分ではハッキリと分かっているのか、それも何となく自信はないのよね」
 と、言って少しうな垂れていた。
「あんまり気にしない方いいと思う。あまり気になるなら神経内科に行けばいい」
 と言われて、かつて自分が神経内科に通っていたことを言おうかどうか迷ったが、結局言わなかった。
 喉元まで出かかっていたが、ギリギリになって堪えたのだが、それはそれでよかったのだろう。俊一という男性の本質をまだ分かっていなかったので、正解ではなかったかと思っている。
「うん、分かった」
 綾音はそう言って、また考え込んでいるようだった。
 精神内科という言葉は綾音をビクッとさせた。しかし、あの頃もそうだったが、実際にはそんなに大したことではなかったので、今ではあまり気にすることはないような気がした。それよりも、自分の身近に相談に乗ってくれそうな人、しかも男性がいてくれるのは心強かった。
 ただ、最近疲れやすいのか、時々前後不覚になってしまうことがあり、それが気になっていた。体調が悪いわけではなく、急に立ち眩みを起こしてしまったりするのである。貧血なのか、立ち眩みの一種くらいにしか考えていなかった。
 それからしばらくしたある日、綾音はいつものように編み物をしていた。テレビでは相変わらずのバラエティをしている。
「昔はゴールデンタイムと言えば、野球とかだったのにな」
 と、子供の頃を思い出していた。
 野球放送のため、見たいドラマが三十分や一時間遅れてしまい、小学生の頃は眠たくて結局見れなかったこともあった。ビデオに撮ろうにも、三十分までは延長機能があっても、それ以上はないので、中途半端な録画になってしまうこともあった。
 連続ドラマなどは、続けて見なければ意味はない、一話でも見逃してしまうと、途中のつながりが分からなくなり、それ以降は見なくなる、そこが特撮やアニメなどと違うのだ。
 ヒーローもののアニメや特撮は、基本的には一話完結である。だから、一週間くらい見逃しても、別に関係はない。
 それを思うと、
「どうしてドラマの前に野球中継なんか持ってくるのよ。延長なんかしなければいいのに」
 と思うのだが、野球ファンからすれば、
「どうして、そんな中途半端なところで終わるの」
 と、なぜかいつもちょうどのところで終わるらしい。
 結末が見れないのは、これほどストレスのたまるものはないらしく、特に野球中継を見ているのは家族の大黒柱である人が多いことから、最後までしないことで、家庭が不穏になるとも聞いたことがあった。
「たかがテレビで、そんなことになるなんて」
 と綾音からすれば不思議なことだったが、それほど世の中が平和だということなのか、それとも昔と時代も変わってきたということなのか、よく分からなかった。
 ここ十年くらいの間に、ゴールデンタイムで野球中継はしなくなった。その原因は分かっている。
 いわゆる衛星放送の充実が原因であった。
 衛星放送というと、普通に三十年以上前からあるのはあったが、二十一世紀に入って会社も増え、有料放送にすることで、視聴者の立場にあった放送ができるようになった。
 つまり、今までの地上波放送というのは、スポンサーありきで、主役はスポンサーだった。
 放送の資金を出すのはスポンサー、つまりテレビコマーシャルを放送することで、スポンサーが金を出す、だから、視聴者は無料で視聴できるというわけだ。
 だが、スポンサーがつかなければ、放送も成り立たない。かつてのバブル崩壊時、スポンサー契約が激減したことだろう。放送の危機でもあった。それを繋ぎとめたのが、
「有料放送」
 という考え方だ。
 月々いくらのチャンネル契約であったり、番組の契約であったり、放送局が増えてくると、それを組み合わせてのセット契約ができるように、ケーブルという有線での放送ももてはやされるようになった。
 こうなると、今までの中継問題は一挙に解決する。
 つまり、
「ちょうどいいところで終了してしまう」
 という問題はなくなる。
 なぜなら今まで終了していたのは、スポンサーの意向があったからで、今度は視聴者からの放映料金で賄っているのだから、視聴者が最優先の放送である。つまり、
「視聴者様は神様」
 なのである。
 だから、
「試合終了まで必ず放送します」
 とおう触れ込みができるのだ。
 しかも、チャンネルごとに贔屓のチームが決まっているので、贔屓チームを持っている人は、その放送局を選択してしまえば、試合開始前から終了後のインタビューやイベントまですべて見ることができるということになる。それで一挙にストレスは解決だ。
 綾音もケーブル契約をしていて、よく昔のドラマの再放送などを見ている。
 といっても、そのほとんどは画面がついているだけで、何かをしながらではあったが、それでも殺風景ではない。
 いくらプチがいてくれると言っても、ずっとプチと遊んでいるわけではない。今ではむしろ、プチがいてくれるというだけで癒しになっていて、お互いに何かを構うというわけではない。
 そして、今では俊一という自分を分かってくれる相手が現れた。プチもなついていて、毎日が充実していた。
 何も門内のないと思える順風満帆な毎日を、綾音は送っているかのように思えたが、何も悩みがないわけではない。
 最初に感じたのは、人の目だった。まず気になったのは、
「管理人さんの目」
 だった。
 管理人は男性で、年齢的には四十半ばくらいではないか。あまり男性の、しかも年上の人の年齢が分かる方ではないので、何とも言えないが、腰回りの肉付きや、脂ぎって見えるその目、そして、いつも汗を拭いている雰囲気から、自分が知っている最悪の形の中年男性のイメージに酷似していたのだ。
 最悪というイメージがあるからか、最初はさほどでもなかった管理人の目が、厭らしく感じられるようになってきた。
――あの目は淫蕩にしか見えない――
 と思うようになると、管理人を避けるようになってきた。
 その様子を管理人自身が気付いているかどうか分からないが、最初に不審に思ったのは、やはり俊一であった。
「どうしたんだい? 管理人に何かされたのかい?」
 と言われて、ハッとしてしまった。
 本当であれば、こんな視線を一番知られたくないと思っている俊一に知られてしまったのは、自分でもうかつだったと思った。しかし気付かれてしまったのなら、もう隠す必要もない。
作品名:ドーナツ化犯罪 作家名:森本晃次