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ドーナツ化犯罪

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「もうこんな時間になっていたのか」
 と感じたが、結構充実した時間であったことには違いない。
 雑談も結構あったが、そのほとんどは事件に関する話であり、ただ横道に逸れたというだけでそのたとえ話も門倉刑事の中で噛み砕いて考えれば、自分を納得させるに十分な話だったような気がする。綾音の自殺か事故かという発想から始まり、モルヒネについて、密室について、そしてイヌのプチについての話と、門倉刑事の頭の中でモヤモヤしていたものを、解きほぐすだけの材料になっていた。
 まだ、それらがうまく結びつかないので、事件解決といいゴールは見えてこないが、ここからは一つ一つ積み重ねていくことで、それらが事件解決のヒントになるような気がした。
 今まであれば、どんなに新たな事実が出てきたとしても、整理できていない頭で考えたとしても。結論の出る考え方が浮かんでくるはずもなく、ゴールどころか、どこを目指しているのか分からくなることだろう。
 そういえば鎌倉氏も言っていたではないか、
「難しく見える事件ほど、分かってみると単純なことはない。ただしどこから導くかによって、間違った道に進むかも知れないので、そこが要注意だ」
 言葉に違いはあっても、ニュアンス的に似ているだろうと理解していた。
 そんな一歩間違えればミスリードさせられてしまいそうな話が翌日の聞き込みから明らかになったのだが、まだその時はよく分かっていなかった。
 翌日の相変わらずに聞き込み捜査だった。地道でお世辞にも楽な仕事ではないが、これが刑事の仕事の代表のようなものだ。聞き込みに関しては警察に協力的な人もいれば、警察というだけで、胡散臭い顔をする人もいる。
「警察は、人を疑うのが商売だというが、本当にそうだよな。自分たちが何を置いて一番偉いとでも思っているのか、殺人事件だということになれば、こっちが言いたくないことであっても、『人が殺されているんだぞ』と言って恫喝すれば、いくら相手のプライバシーの奥深くに入り込むことでもしゃべらせていいと思っていやがる。いくらそれが事件に関係がないかも知れないことでも、いくら、それを喋った善意の第三者の家庭でその夜離婚騒ぎになり、最終的に離婚などという最悪の結果を招いたとしても。誰もその保証なんかしてくれないからな。何様のつもりなんだよ」
 という話を聞かされたことがあったが、実際にそうかも知れない。
 普段は、
「市民のための警察」
 などと謳いながらも、自分たちが捜査のためには特別に許された特権でもあるかのように振る舞い、証拠はなくても、アリバイがないというだけで拘留して、阿漕な取り調べで白状させようとしたり、警察にお取り調べを受けたというだけで、世間は白い目でみるということを分かっていないのかと思われている。
 法律は、
「疑わしくは罰せず」
 ということになっているので、罰するためには白状させるしかない。
 ただ、実際には白状して、検察に渡されることになれば、そこから先は検察と弁護士の戦いになるが、その時の取り調べが大きな問題になることもある。
「警察から拷問のようなものを受けて、ウソの自白を強要された」
 などと裁判の時点で言い出す場合もあるからだ。
 そのため、今は取り調べに関しても昔のように閉鎖的ではなく、ちゃんと正規の取り調べが行われたということを、警察側が立証できなければいけなかったりする。そういう意味で事件解決において、自白というものの信憑性がかなり低いものになっているのも分かるというものだ。
 警察はよほど確証を持っていない限り、自白をそのまま信用してはいけないと思っている警察関係者もいるかも知れない。
 自白を早めにしておいて、起訴させた後で、裁判でひっくり返すということもあるだろう。何しろ問題は証拠であって、裁判で争われるのは、ほとんどがその証拠の信憑性であろう。
 それは証人に対しても言えること、事件に利害関係の存在しない第三者の証言が決めてとなることも多いカモ知れないが、それも冤罪を生むという意味で、取り扱いには十分に注意をしなければいけないだろう。
 地道な捜査を続けていると、なかなかうまく証言を引き出せない時もあれば、偶然に聞いた話がヒントになることもある。これはまさにそんな状況にピッタリであったかも知れない。
 あれは、あらかた近所の聞き取りも終わり、門倉刑事が、
「現場百篇」
 という言葉を再度行った時だった。
 現場百篇とは、犯罪捜査の基本と言ってもいいが、
「犯罪現場には、必ず何か事件を解くカギとなるきっかけのようなものが残っているので、百回現場に訪れてでも、慎重に調査すべきだ」
 という意味での犯罪捜査のバイブルと言ってもいいくらいの言葉である。
 さすがに百回というのは大げさであるが、一通りの捜査で事件解決への道が開けなかった時や、糸口すらつかめない時は、現場に戻るという発想は、この言葉がなくても、警察官のような捜査のプロであれば、無意識にも行うことではないだろうか。
 それを思うと、門倉刑事は再度自分が現場に戻るたびに、
「俺はやっぱり刑事なんだな」
 と感じるのだった。
 その日は、凶器が発見された場所にも再度訪れて、
――どうしてこんなとこるに凶器を放置しておくんだろう?
と感じたが、これも単純であるが、感じるべき疑問であった。
 本来であれば、犯人は凶器を隠すか、それともどこか分からないところに捨ててしまうかという選択をすることになるのだろうが、どうしてこんな見つかりやすいところに放置状態にしてしまったのか、それがどうにも腑に落ちない。
 そもそも凶器から足がつくことが多い。指紋の問題もあれば、その入手方法、さらには犯行に用いるまでに誰かに同じものを持っていることを知られる可能性がある。
 となれば、考えられることとしては、
「凶器を見つけてもらいたかった。しかし、すぐに見つかっては困る」
 ということで、少し離れたところで見つかるように細工をしたという考え方である。
 それであれば、
「凶器を隠さない」
 という理屈は分かるのだが。
 凶器を隠さないという行動への理屈にはならないのだ。
 必ず行われたことに対して何らかの意図はあるものだ。凶器を見つけてはほしいがすぐに見つかっては困ると考えるのは、一見矛盾しているように見えるが、そうでもないのかも知れない。
 凶器をすぐに見つけられたくないというのは、、まず凶器から分かることをできるだけ遅くして、死亡推定時刻などを曖昧にするとかであるが、しかし、死体はすぐに見つかっているのであるから、それはありえない。次に考えられることは、やはり、凶器から着く足をなるべく遅らせたいという気持ち。だがそれなら持って行ってしまった方が早いだろう。ここにも凶器が発見されないと困るが、早くては困るという矛盾が、引っかかってくる。
 ただ、凶器が見つかったというのも、ある意味偶然ではなかったか。見つかった凶器は公園に捨ててあったのだ。誰かが探して見つかったわけではなく、子供が偶然に見つけたものだ。
作品名:ドーナツ化犯罪 作家名:森本晃次