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ドーナツ化犯罪

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 その中で部屋の中というワードを見つけた時、
「あっ、プチのために何かを探してあげないと」
 と思い、部屋の中で涼しく感じられるものを探してみた。
 普段自分が仕事でいない時は、クーラーをつけっぱなしで出かけるようにしているので。多分大丈夫なのであろうが、イヌというのは、自分で体温調節がうまくできないので、いつも口を開けて、ハァハァやっているものだということは知っていた。見ているだけで、こっちも暑苦しいほどである。
「お前も汗が掻ければ楽なんだろうけどな」
 と言って、飲み物を与えながら、頭を撫でてやったものだ。
 その日は、プチのためにいつもよりも長い間用品店にいた。その場所がちょうどクーラーが直接当たるところだったようで、気が憑けが、意識が朦朧としていた。
 しかも座って商品をずっと見ていたので。立ち上がった際に、立ち眩みを起こしたようだ。
「大丈夫ですか?」
 とまわりに人が寄ってくるのが分かった。
 どうやら倒れてしまったのだろう。騒がしい声が聞こえていたが、次第に遠くの方でしか聞こえなくなっていた。
――どうやら気を失うのかしら?
 その考えに間違いはないようだった。
 綾音が気が付くと、そこは暗くなった部屋だった。
「私、あれから、本当に気を失ってしまったのかしら?」
 と思い、身体を起こそうとすると、頭が重たく、まだまともに起きることもできないかのようだった。
「確か、閉店時間が近かったような気がする用品店に立ち寄ったような気がする」
 という記憶はあった。
 時間としては、午後七時を過ぎていたくらいだったか。客の数は数人いたくらいだったような気がする。確か八時までだったので、少し急いで見ようと思っていたはずが、座っている時間が思ったより長かったのだ。
「これはヤバい」
 と自分で気付いた。
 そしてそのまま気を失ったのだが、それからの自分がどうしたのか、気が付けばこの真っ暗な場所に横になっていた。
 時計を見ると、午後十一時。
「えっ? もうそんな時間? 三時間近くもここで休んでいたの?」
 と思い、もう一度身体を起こそうとすると、やはり動かなかった。
――どうしたのかしら?
 と思っていると、奥から人影が見えた。
「大丈夫ですか? 気を失ったようなので、こちらで休んでいただきました」
 と言って、一人の男性が電気をつけてこちらにきた。
「ありがとうございます。少しまだ頭が痛いみたいですが、起きれるので、もう帰ります。遅くまでご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
 といっと、
「いいえ、こちらこそです」
 と言って、男の顔を見ると、何とも淫靡な表情になっているではないか。
 ゾッとするようなその顔を見ていると、記憶を失った後、一度記憶が戻りかけたのを思い出した。すると、目の前にその男の顔があり、何か口に冷たいガーゼかハンカチのようなもので押さえつけ、今度はその時の鼻を突くような薬品の匂いで強引に眠らされたようだった。
 その時、胸や身体がスース―した記憶があるので、まさか裸にされていたのではと思うと、もう身体から震えが止まらなかった。
 それを咎める勇気などあるわけもなく、記憶を振り絞って思い出そうとすると、もうロクなことしか思い出すことができない自分が悔しかった。
 綾音は屈辱と羞恥で顔が真っ赤になったり、恐怖と不安で顔が真っ青になったりしていたことだろう。
 男は何も言わずに、綾音を見送ると、ただ、ニヤニヤしていた。何しろ綾音が何もできないことを分かっているからだろう。
 彼女が警察に駆け込んでも、現行犯ではない。薬を嗅がされたとしても、時間が経っているので照明もできない。身体に暴行の跡があったとしても、気絶していたので、犯人を特定もできない。それよりも何よりも、綾音であれば、警察に駆け込むようなことはないとタカをくくっているに違いない。
 すべて計算しての犯行に、綾音は悔しくてたまらなかった。ただ救いは綾音が最後の一線を越えられていないということは分かったことである。
 綾音は処女だった。処女なので血は出ないとしても、その衝撃は身体に残っているはずである。そういう意味で、やつは最後の一線を越えることができない小心者であるということが唯一の救いだというのは、あまりにも情けなくて、綾音はこの怒り、戸惑い、憔悴感をどこにぶつけていいのか、どうしようもなかった。誰かに知られることが一番嫌なので、しばらく誰とも会わずに一人で籠っていることしかできないと思うのだった。
 部屋に帰り、ずっと心配して待っていたプチの顔を見ると、涙が溢れてきた。その涙の意味を分かったのだろうか? もしこのことを誰にも知られたくないと思う綾音だったが、誰か一人に知ってほしいという思いがあったのならば、それはプチだったに違いない。本当は一番知られたくないと思う相手でもあるのに、知ってほしいと思う相手でもある。そう思った時、
「やはり私にとって一番大切なのは、プチなんだ」
 と、いまさらながらにペット以上のものをプチに感じていた。
 プチを見ていて感じたことは、
「この子は私の子供であり、私も分身でもあるんだ」
 という思いであった。
 それだけ、プチに対しての愛情は本物であり、余計に人間というものの浅ましさを思い知ることになった今日という日を、皮肉なものとして引きづっていかなければいけないという屈辱感に溢れていた。
 それからの綾音は少しでも平常心でいようと心がけた。平常心でいればいるほど、俊一に会うのが怖い。
――この感情はどこから来るのだろう?
 と綾音は思う。
 好きになってしまったということを否定する気はないが、人を好きになってしまったがゆえに、今の自分を見せたくないという感情は実に皮肉なものだった。愛しているがゆえの気持ちなのか、それとも愛してはいけないという気持ちからなのか、今の自分では判断ができなかった。
 そんな綾音は、とりあえず、俊一に会うことはできるだけ控えようと思った。本当はその胸に抱き着いて、思いのたけを打ち明けたい。そして、ひどい目にあった自分を慰めてほしいと思った。しかし、それは現実味に欠けているように感じた。なぜなら、いくら最後の一線は超えていないとはいえ、男性に襲われたなどと知られると、自分に対してどんな気分になるか、想像がつかなかったらである。
 だが、フラれるか、それとも同情されるかの二つに一つだと思った。潔くフラれてしまった方が楽なのかも知れない。同情されてしまい、それがお互いに重荷になってしまうと、お互いにぎこちなくなると、見えてくる結末は、破局しかない。それを思うと、どちらにしても、綾音には選択肢はなかった。
「じゃあ、どうすればいいの?」
 自分で自分に問うてみた。
 嫌われるように自分から仕向けることはできるだろう。しかし、自分の性格からしてそんなことができるだろうか。綾音は自他ともに認める。
「気持ちが顔に出てしまうタイプ」
 なのであった。
 正直者と言えばいいのか、それとも融通が利かないと言えばいいのか、自分では前者だと思っていたが、今回に関しては、前者であっても、同じことだ。相手に間違って伝わってしまっては、元の木阿弥というものである。
作品名:ドーナツ化犯罪 作家名:森本晃次