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短編集92(過去作品)

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 と、すでに思えなくなっていた。そんな時の自分の表情が自分ではないと思えてならない。鏡というのは、見つめているだけで摩訶不思議な感覚に襲われ、理不尽とも思える余韻を自分の中に残してしまう。それでも見つめるのは、気持ちに余裕を持ちたい一心だったに違いない。
 高校時代は小説が好きで、よく読んだものだ。不思議な気持ちにさせられる小説が好きで、テーマとしてモチーフに使われるものに鏡の世界が多かったのも、陣内の中に鏡の世界が不思議なものだという感覚を植えつけた証のようであった。たいていの話は鏡の世界はこちらの世界とはまったく違う世界で、その証拠に左右対称であるということを謎解きに用いているのが多い。しかし陣内は違った感覚を持っていた。
 左右対称ではあるが、鏡の世界とは繋がっている。それは最短距離ではなく、丸い円の中で遠回りして表れる、いわゆる背中からの世界のようなものだという感覚である。それを友達に話すと、
「お前は独特の感覚を持っているな」
 と言って感心してくれるが、どこまで話が通じているか分からない。感性という意味をなかなか理解できていないのかも知れない。
 一生懸命に話し始めると、自分の世界を作ろうとするあまり、自分だけで暴走してしまう。相手がどこまで分かっているかなどお構いない、そんな話を聞いてくれる友達は少なかったがいるにはいた。
 類は友を呼ぶというが、同じような考えの人が集まるというのは、あながち嘘ではないようだ。最初は気付かなくとも、
「お前も同じ考えなんだな」
 という会話になって、今まで言い訳が嫌で話をしなかったのに堰を切ったように口から出てくる。お互いに会話の世界に入りこんで時間を忘れていることが多い。そんな友達はどこにいても一緒にいるように思えるが、きっと相手も同じだろう。
――話をしなくとも相手の気持ちが分かる――
 そんな関係に違いない。
 歳を重ねるうちにいろいろな考えが頭に巡ってくるが、気がつけば無難なところで落ち着いてしまうようだ。
――二十歳過ぎればただの人――
 と言われるがまさしくその通り、成長過程にあっては、過去に考えたことはすべて未来へのステップのように思い、現在よりも考えが劣っていると思っているにもかかわらず、決して疎かにはしない。しかし、ある程度まで来ると疎かにできないという気持ちは薄れてくるのに、今よりも劣っているという考えだけは残ったままである。いつまでも成長過程にあるという考えの元だろう。
 鬱状態に陥る間隔も短くなる。鬱状態とは周期的に訪れるもので、バイオリズムの底辺が鬱状態ではないかとも思える。心身ともに同じラインに達した時、鬱状態が忍び寄ってくる。
 鬱状態は訪れも判れば、解消される瞬間も判る。何度も経験しているから経験で判るのだろうが、それだけではないものがある。目の前に見えるものが小さく見えたり、色がオレンジ色掛かって見えたりすることを最近になって気付いた。それも鏡の中の自分を見ていて気付いたような気がする。
 現場で一心不乱に仕事をしていた時は、
――社会人というのは思ったよりも楽しいものじゃないか――
 と思っていたものだ。社会人になる前は、会社に縛られて、自由もなく、
――何か楽しみを見つけなければいけないのかも?
 と考えていたが、そんな必要はなかった。仕事が趣味と実益を兼ねた素晴らしいものに思えたのだから同然である。
 まわりの人たちで、そこまで考えている人はいなかっただろう。中には、
「仕事だから仕方ない」
 と割り切っている人もいるくらいで、何を楽しみにして会社に来ているのか判らない。きっと楽しみなどないのだろう。そんな人は他で楽しみでもあればいいのだろうが、見ていて他に楽しみがありそうにも思えない。
 そんな連中とお酒を呑んでもおいしいわけもない。会社の連中と呑みに行くことはあっても、実際に一人で呑む場所はしっかりとキープしてある。疲れを癒すことのできる場所で、気持ちに余裕がある時、おいしい酒を呑みたいと思う時に行く場所だ。
 だから他の人は誰も知らない。自分一人の秘密の隠れ家なのだ。
 最近は、そんな隠れ家に寄ることもなくなった。裏を返せばそれだけ気持ちに余裕がなくなったからで、
――もう若い頃のような気持ちには戻れないんだ――
 という思いが堂々巡りを繰り返す。
 本部に呼ばれた時は嬉しかった。人生設計の中の幾分かを達成した気分になれたからである。
 知らないということは、これほど罪なことはないと感じる。
「今までの現場の経験を生かして、今度は本部から存分に君の力を貸してくれ」
 と上司に言われての栄転だったので、
「意気に感じて頑張ります」
 と、一見ありふれた回答だったが、一番言いたいことでもあった言葉を返した。ありふれた答えに見えてもその時の心境でどうにでも解釈できる返事を初めて抱負だと感じた時だった。
 百八十度違う仕事である。
 現場では自分の判断に自信があった。上司が認めてくれたことしかできないので、認めてくれることに一生懸命で、認めてくれさえすれば、後の責任は上司に行くのだ。
 その状況に酔っていた。自分の判断に間違いはないと思い込んで、認めてくれないことなどないと自負していた。
 実際に認めてくれていた。成果もそれなりに示し、自信過剰になるなと言う方が無理で、上司の信頼の元の自分の立場を、会社の中で無類の存在として確立させていった。
 しかし、今度は自分が現場の人間の意見を聞いて認める方である。苦労が絶えないのは想像できたが、ここまでとは思わなかった。
 元々陣内は他人の意見を全面的に信じる方ではない。正直者ですぐに人のことを信じてしまう大学時代までとはまるで別人のようだ。いや、元々人を信用していない性格だったのかも知れない。自分で触って話してみないと信じない性格はそれだけ自分に自信がないからだろう。自信過剰である反面、洞察力などに自信のない自分を思い返すことで躁鬱の気があるのは分かり切ったことかも知れない。
 社会人になって皆が掛かるといわれた「五月病」、陣内は掛かっていない。仕事の楽しさを最初に知ったので、気持ちに相当の余裕があったのだろう。だが、それも少しでも自分を顧みる瞬間があれば判らなかった。それだけ先しか見ていない自分に自信を持っていた証拠だろう。
 少なくとも建設会社はモノを作る会社である。しいて言えば自分の意見だけで作っているわけではなく、マニュアル化された設計図を元に大勢で作っているのだが、いずれは自分がマニュアルを作成する側に回れることを夢見ていた。
 マニュアルを見ながら、
――自分なら、ここはこうするのに――
 などと、誰にも言わないまでも、研究に余念がなかった頃が懐かしい。
 しかし、実際に現場から本社に引っ張られると現実は違っていた。本社には一流大学を卒業した連中がウヨウヨしている。プライドがやたらと高く、いかにもキャリア組という自意識に凝り固まっている。そんな連中の中に現場上がりの人間が入っていくのだから、苦労が見えているのも当たり前というものだ。
作品名:短編集92(過去作品) 作家名:森本晃次