小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

短編集92(過去作品)

INDEX|8ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

山の頂



                山の頂


 今年三十五歳になる陣内は、最近自分のことを考えては憂いていた。二十歳代までは第一線である現場で働き、三十歳を越えると晴れて本部での仕事となる。これは入社当時に描いた人生設計から、大幅に外れたものではない。むしろ順風満帆、
「エリートコースじゃないか、羨ましい限りだよ」
 と、大学時代の友達に会うと言われたものだ。大学はそれほど有名な大学ではないことから「エリート」という言葉が出てきたのだろうが、陣内はあまり好きな言葉ではない。本人自身がコツコツタイプだと思っているからだ。
 入社してから十年以上も一つの会社で頑張って行けることだって立派なことだ。不況で正社員をカットする会社が多い中で、ある程度名の知れた会社では大変なことである。誰からも羨ましがられる。
 しかし、本人のニュアンスは少し違っていた。なぜ自分が、これほど人に羨まれるほどの順風に見えるのか分からない。
――本当なら一番にリストラされてもおかしくないのではないか――
 と最近では感じている。
 理由は何となく分かっている。現場では一心不乱に仕事をしてきた。何も考えないでいいような環境を上司が作ってくれ、目の前の仕事をこなしていればよかったのだ。
 だが、そんな中でも、
「俺はこの仕事に向いていないんだ」
 と言って辞めていった連中も少なくない。その気持ちが若かった頃の陣内には分からなかった。
 仕事は好きだった。一生懸命にやっていれば上司は見てくれているという思いがあり、実際にねぎらいの言葉を多くもらったのも陣内が一番だったかも知れない。
「君はいつも頑張ってくれているね。私も助かるよ」
 現場監督のその言葉が一番の活力になる。
「ありがとうございます。一生懸命に頑張ります」
 その時の歓喜に充ちた自分の顔が想像できるようである。感無量とはこのことだった。
 また現場の仕事というのは、仕事した成果がすぐに形になって現れるというのが一番の特徴だった。実際に現場で働いている時にはそこまで感じなかったが、現場を離れてから最初に感じたのがそのことである。仕事のやりがいを感じる瞬間が成果を身体で感じる時であり、仕事が好きだった理由がそこにあることを感じたのは、現場を離れてからだというのも皮肉なことだった。
 しかし得てして世の中そんなものなのかも知れない。
「若いうちに勉強しておけばよかった」
 という話をよく聞くが、それだって、若い頃に気付かなかったから後になって後悔するというものだ。だが、学生時代というのは、今の世の学歴社会が抜けないことからの受験戦争はどうしても付きまとい、それによって行われているカリキュラムに沿った「詰め込み教育」が災いしてしまう。勉強の楽しさ、面白さというものを知らずに過ごす学生時代を後になって憂うことも少なくはないだろう。
「立派な社会人になるために勉強が必要なの」
 よく母親に説教された。だが、幸か不幸か陣内は小学生の時に勉強の面白さの一端のようなものを垣間見た気がしたのだ。
 きっかけなど覚えていない。意外とつまらないことだったかも知れない。
「勉強をすれば、ご褒美に親からお小遣いがもらえるよ」
 などというセリフを漫画で読んだのだけは覚えている。動機は不純だったかも知れないが、本当に勉強に興味を持ち始めたのは事実である。
――人から言われた勉強しているんじゃない――
 という自負が支えだった。
 人から言われてすることを極端に嫌う性格であることに気付いたのは、その時だったに違いない。
 まわりの友達は宿題を嫌々やっていた。勉強が好きではなかった時、宿題をしたことがなかった陣内は、嫌々するのを嫌ったからしなかっただけだとまわりは思っているだろう。確かにそれも大きな理由ではあり、もう一つの理由もそこに起因すると思うのだが、陣内は宿題が出されたことをすぐに忘れてしまうのだ。
 現場にいた頃からは信じられない。大切なことを忘れるなど、よほど勉強嫌いだった証拠だと思っていたが、大きくなるにつれてなくなってきたことを実感していた。それだけに現場で気を張り詰めながら仕事をするのが好きだったし、緊張を楽しんでいるというシチュエーションに時間を忘れることができるほどのやりがいを感じていたのだ。
 そんな子供時代をよく現場にいる頃に思い出していた。それは今でも変わりないが、感じ方ではまったく違っていた。むしろ今から思い返す方が現場にいた頃に比べると、子供時代が最近だったように感じる。現場にいる頃は、
――遠い昔の懐かしい記憶の中にいる自分――
 という思いが大きかったのだ。
 とにかくモノを作るのが好きな少年だった。勉強も好きだったが、図工の授業も楽しみだった。あまり器用ではなかったが、もし器用でセンスがあれば本気で芸術家を目指していたかも知れない。
――俺って芸術家タイプなのかも知れないな――
 と、時々思うことがある。何を持って芸術家というのか分からないので人に話したことはないが、
「お前が独特の感性があるからな」
 と皮肉とも取れるような言葉を本気で信じていたこともあった。
 人から言い込められると理論立てて言い訳ができないことで、どこか芸術家になりきれないところがあるに違いない。それとも何を言っても言い訳になると思って、最初から自分で考えることをやめているのかも知れない。
――自分のこととなるとなかなか自分では分からないもの――
 という意識をずっと持ち続けている陣内だった。
 大人になるにつれて、自分にだんだん自信が持てなくなっていくように思えていた。中学時代をピークに思春期に入ってからの自分に自信喪失した時期があった。初めて感じた鬱状態のようなものだったが、それを支えたのが、
――モノを作ることの楽しさ――
 であった。芸術家を目指しているわけではなく、何かを作る職業に就ければいいという思いだけであれば気持ちに余裕を持てる。酷く落ち込んだりしなかったのも気持ちにある程度の余裕があったからだろう。
 余裕を持つことは、自分を第三者として客観的に見ることができることにも繋がっている。
 中学時代からよく鏡を見るようになった。それまで鏡を見ていても自分の表情を見つめることはなかったが、まず鏡の中の自分に目を合わせ、次第に顔全体を見渡している。見つめている顔が笑うと自分も笑顔になっていることに気付く。そんな些細なことだけで、鏡の前から離れられなくなったことが何度あったことだろう。
 自分を客観的に見つめることができるようになったのは、鏡を見つめるようになってからである。鏡の向こうにいる自分が自分ではないということが分かって見つめているせいだろうが、
――いつか違う表情をするのでは――
 と、ありもしないことを思い浮かべて、鏡の中の自分がほくそ笑んでいる表情を確かめている。
 鏡の中の自分が一番余裕を持っているように見えて癪に触ったこともあった。
――あれは自分なんだ――
作品名:短編集92(過去作品) 作家名:森本晃次