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短編集92(過去作品)

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 中西が彼女に声を掛けなかった理由がここにある。理由としては二つなのだが、誰にでも笑顔を見せるということは、八方美人に思えるというのが一つ、そしてそのたびに気を揉むであろう自分に対してそのことに耐えられるかということを考えると、どうしても足踏みしてしまう。頭の中で彼女の笑顔とこの二つを天秤に掛けていたのだ。
 しかし、気になる存在だったことには違いない。笑顔に見られるあどけなさは、忘れられるものではなかった。
――今度似たようなタイプの女性が現れれば分からないぞ――
 と思ったりしていた。なぜなら、その頃には自分も変わっていると思ったからだ。彼女とクラスメイトだったのは、まだまだ思春期の入り口、いくらでも大人になるまでに変わる要因があるからだ。
 果たしてそんな彼女を思い出させる女性と出会ったのは、社会人になってからだ。学生時代の最高学府である大学時代と違い、社会に出るとすべてが一年生、新人としてしか見られない。
 だが、それを乗り越えて晴れて営業として独り立ちすれば、そこから先はある程度自分に自信も出てくる。もっとも自信を持つことができなければ営業としてもうまく行かないのではないだろうか。
 営業にもなれてくると時間配分もうまくなってくる。時間調整ができるようになってくると、会社から少し離れた喫茶店の常連になっていた。もちろん会社には内緒である。だからこそ、会社から離れたところを常連としたのだ。
 中に入れば営業マンの時間調整が目に付く。中には昼下がりの主婦の贅沢な時間を垣間見ることができるのだが、立場的にどうしても営業マンが目に付くのは当たり前というものだろう。
 営業マンのほとんどは漫画を読んでいる。そう、この喫茶店は漫画の数は多いので、営業マンの時間調整には持って来いだった。長時間粘ってもマスターは何も言わない。彼らが常連としているのが特徴となっている喫茶店なのだ。
 マスター自身も前は営業をしていたらしい。名の通った一流企業での営業だったようだが、喫茶店の夢を捨て切れなかったことと、結婚した女性の親がちょうど喫茶店をやっていて、そこを継いだ形になるらしい。完全なオーナーというわけではないが、それでもマスターは満足している。
 昼下がりの喫茶店に、一人の女の子がアルバイトで働いていた。店の名前は「ミモザ」という。赤いエプロンが似合うその娘は、まさしく自分のタイプに限りなく近い女性に違いないと確信できるほどだった。
 初めて見た時に感じたのは、
――可愛い娘だな――
 と思ったが、恋愛感情にまで至るほどではなかった。
「彼女はアルバイト?」
「ええ、近くの大学生なんですよ」
 とマスターから聞かされたが、大学を卒業して社会人になると、大学生の女の子が子供に見えてくる。特にまだあどけなさが残ることで恋愛感情を抱くことはないと自分で勝手に納得していたに違いない。
 背があまり高くなく、髪はストレートで少し茶色掛かっている。肩まで伸びた髪が風にサラサラ揺れている雰囲気が目に浮かびそうで、シャンプーの香りがしてきそうだった。頬がほのかに紅潮しているのは前からなのか、まるでリンゴの皮のようにスベスベで光っているのを見ていると、手の平で触ってみたくなる衝動に駆られるほどだった。
 絶えず身体を動かしている、そんな雰囲気の娘である。まだまだ子供だという意識の中に躍動感が含まれてくると、ついつい見つめてしまっている自分に気付く。皆それぞれ本を読んだり、各々の時間をうまく使っている。中西は、喫茶店で時間を潰すのは好きだが、なかなか時間の潰し方には慣れていなかった。
 大学時代には学校の近くに喫茶店があり、よく利用したが、それは友達と行くことが多く、一人で行くことはほとんどなかった。せめてモーニングサービスの時間くらいで、それも授業までの時間の数十分、喫茶店での時間、空間を楽しむところまでは行っていない。
 それは友達がたくさんいたからだろう。自分の時間を楽しみたいという気持ちよりも、人といるだけで楽しい大学時代。馴染みの喫茶店を持ちたいと思ってはいたが、現実になったのは、大学を卒業してからだった。
 社会人になって、そして営業をしていると、ことのほか孤独であることに気付く。喫茶店がまるで自分を呼んでいるような気がしたのは、夏の暑い間、汗を掻きながら営業周りをしていたからだろう。
 アイスコーヒーやカキ氷の宣伝、涼しげな佇まいの雰囲気は、歩いている足を止めるだけの効力がある。中西ならずとも足を止めて立ち寄りたくなることだろう。中に入ると皆それぞれ自分の時間を楽しんでいることにすぐ気付くが、それも常連が醸し出す空気を感じるからに他ならない。
 喫茶「ミモザ」もそんな雰囲気の喫茶店だった。最初に入ったのは夏本番だった頃で、なかなか常連というところまではいかなかったが、彼女のことが気になり始めてマスターにそれとなく聞いたのが常連のきっかけになった。
 営業には向いていないと思っていたのは、会話が苦手だったからだ。大学時代の友達との会話は、同じ年齢で学生という同じ立場の人間ばかりだったので話しやすかったが、社会人になって同じ年齢や同じ立場の人であっても、なかなか本音で話をすることはできない。
 だが、喫茶店という雰囲気は少し違う。いろいろな人が集まる場所で、立場や年齢が違っても常連という輪の中でいろいろな話をできる。それが喫茶店の醍醐味であり、常連が集まるのだろう。
 中西はミモザを馴染みの店にしたが、常連同士で話すことはあまりない。どちらかというと、アルバイトの彼女が気になってきているというのが本音である。
 彼女、名前を涼子という。最初はドキドキして話しかけられなかったが、ちょっとしたきっかけで話をすると、すぐに時間を忘れて話をするようになった。
 涼子は誰とでも分け隔てなく話をしていた。少し悔しさもあったが、それが彼女のいいところでもあるのだ。
 最初はそれでもよかったが、次第に自分との時間を長く持ってほしいと思うようになった。
 涼子もそれが分かってきたのか、それとも中西の思い込みもあるのか、中西との会話の時間が長くなってきた。
 話の内容は他愛もないことが多かった。中西も営業の愚痴になりかねない気持ちをぐっと堪えている間に、涼子との時間を楽しみたいと思うことで、自分も大学時代に戻ったような気持ちになってくる。
 次第にお互いの気持ちが通じ合ってきるのを感じていたが、なかなか確信が持てないのも慎重派である中西らしい。
 それでも秋が深まりつつある頃、中西は思い切って涼子をデートに誘ってみた。
 最初は驚いていた涼子だったが、すぐに笑顔を取り戻すと、嬉しそうにオーケーしてくれたのだった。
 それからの中西は有頂天だった。会社にいてもまわりの雰囲気すべてが変わったように思える。事務所にしても狭く感じたり、特に午前中の時間があっという間に過ぎていく気がした。
 それだけ仕事でも充実している証拠なのだろう。それまでは事務所の仕事でも惰性に近いものがあったが、気持ちに張りが出ることで、余裕を持つことができるようで、余裕が時間をあっという間にさせるのだ。
作品名:短編集92(過去作品) 作家名:森本晃次