元禄浪漫紀行(21)〜(28)
裏長屋はいくつかの棟に分けられていて、俺たちは表店に一番近い場所を陣取る一棟の、真ん中あたりの部屋に住んでいる。
五つほどある棟の住人はみんな俺たちの家の前を通り、表通りと自分の家を行き来するのだ。
「はいはいわかったよ。独楽(こま)は買うけどお前さん、先年みたいにお武家様にぶつけたりするんじゃないよ」
「ありがと、おっかちゃん!」
「ねえ銀さん、探してるものがあるんですよ。どこに行ってもないもんだからね、あなたならご存じでないかと…」
「へいへい、どういったものでしょう?」
「花魁と似た簪が欲しくてね。でも高くちゃあいけませんよ」
「まあまあ、じゃあ探してみます。どの花魁でしょう?錦絵なんか見なすったんで?」
「ええ、これなんですよ、ほら…」
「なあ新よ、昨日の客ぁどこで下したっけなぁ」
「千住だったんじゃねえか」
「するってえと千住にお前の財布もあるかもしれねえぜ」
「バカ言え、てめえの懐探りゃすぐ出てくるんだよ。早く出しゃあがれってんでい」
「おいお前さんたち、喧嘩かい」
「大家さん!」
まあなんとも騒々しいことだ。独楽を欲しがる子供と母親、簪の相談を小間物屋にするおかみさん、篭屋の無駄話…。
大家さんが来てくれてよかった。奥の棟の篭屋さんは、二人していつも喧嘩ばかりなんだ。なんで一緒に商売をしてるのか不思議なくらいに。まあたまに居るよな。そういう二人組って。
俺はそれらを背中越しに聴きながら、俺とおかねさんの、綿を抜いた袷の布を洗っていた。
今日は衣替えの日だ。ところで皆さん、「四月一日(わたぬき)」という苗字はなぜそう読むのか、ご存じだろうか。
知っている人も多いかもしれないが、四月一日は古くは春の衣替えの日で、冬から着ていた綿入りの袷から中の綿を抜き、暖かい季節に備えるのだ。それで、「四月一日」を「わたぬき」と読むようになった。
でも、この時代でも実際に「四月一日(わたぬき)さん」に会うことはない。「苗字としては、もう少し先に増えるのかな?」などと俺は思っている。
というわけで、布一枚になってしまった着物は、これから干して、おかねさんの手でもう一度縫い合わされる。おかねさんは清潔好きなので、「一度洗ったほうがいいよ。お前さんそうしとくれ」と言い、夏用の浴衣を着て家にこもってしまった。
俺は夏物は持っていなかったので、ふんどし一枚の姿で、ほかの洗濯物と一緒に自分の着物を洗っている。これぞ「江戸の長屋住い」という、なんとも言えない感覚だ。
「ふーっ。できた」
物干しは今日は混んでいたけど、今日干さなくちゃおかねさんが明日着るものがないし、俺は場所を探していた。
その時、後ろから「秋兵衛さん、秋兵衛さんよ」と、誰かが小さく俺を呼ぶ声がしたので、俺は振り向く。
見てみると、物干しの真ん前にある長屋の影に、栄さんがかがんでいて、俺を手招きしていた。
「どうしました栄さん、今日はお稽古はお休みですよ?」
そう言いながら俺が近づいていくと、栄さんは「しーっ!」と歯の間から息を吹き、人差し指を立てた。俺はとりあえず、干そうと思っていた洗濯物を盥に戻し、彼の前に自分もかがみ込んでみる。
「なんです。何かご相談ですか?」
そう言ってみると、栄さんは途端に顔を赤くして、緊張したように目を見開いたまま、ちょっとうつむく。
「どうしたんです、何かご相談ごとですか?」
ざりっと裸足で地面をこすり、栄さんは後ろに隠していたのだろうものを、俺にいきなり突きつけた。
それは紙に書いた書きつけのようなもので、始めはよく読めなかったけど、読んでみると酒屋の「切手」だった。切手には、代金の支払いが済んだことと、「酒二升」と書いてある。
「二升の切手ですね。もしや、お師匠にですか?」
「ほかに誰がいるんでい」
栄さんはなぜか、怒っているような顔をして、顔を真っ赤にしていた。
「いえいえ、では有難くちょうだいをいたします。お師匠にお会いにならなくてよろしいんですか?」
真っ赤な仏頂面のままで栄さんは立ち上がると、「稽古の日に会うだろ。別にいらねえやな」と言いながら、さっさと振り向いて歩いていってしまった。
作品名:元禄浪漫紀行(21)〜(28) 作家名:桐生甘太郎