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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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元禄浪漫紀行(21)〜(28)

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「はあ、食った食った。さ、洗い物は頼むよ。話があるならお茶はあたしが煎れるからさ」

「はい。ありがとうございます」


“断られるだろうな。おかねさんの気性なら、俺はぴしゃりとやられてもおかしくない”


俺はいつもの通りに食器をたわしでこすり洗い、水を流しにあけた。おかねさんは湯飲みにお茶を注いで、食事に満足した様子で和やかな横顔を見せていた。

俺はそれを見ていて、自分のしようとしていることをもう一度思いとどまるべきなんじゃないかと思った。

“本当に言うのか?それで、この幸せが一瞬で崩れ去るかもしれないのに?”

そんなふうに俺が立ち尽くして黙っていたので、おかねさんは俺を気遣うように微笑む。

「どうしたのさ。早くお座りよ」

彼女の顔は、まるでなんの悩みもないように、優しい微笑みに彩られ、いつか見せた涙が嘘のようだった。

その裏で彼女は傷ついているかもしれない。亡き恋人によく似た俺にも平気な顔をしていることで、悲しみが深まっていても、そうしているかもしれないんだ。

“言うんだ。もう終わりにしよう”

俺は立ったまま彼女を見つめ、そしてちゃぶ台の前には行かずに、彼女の前で床に手をつき頭を下げた。

俺が顔を上げた時、おかねさんはあまりに俺がかしこまっていたからちょっと気が引けたのか、おくれ毛を耳に掛けて、着物の裾を直していた。

なんと言おうか、ずっと考えていた。でも、今言いたいのはこれだけだ。小さく息を吸って、俺は二度とこんなふうにはなれやしないだろうと、心の澄んだ流れのまま、口を開いた。


「私を、あなたのことをいつも支えられる者にしてください」


もう一度、俺は頭を下げる。そして、おかねさんが何かを言うまでは、彼女の顔を見まいとした。

何度か衣擦れの音がして、俺の耳元ではかすかに自分の鼓動の音がしていた。でもそれも、諦めの混じった控えめな響きだった。


「それは、あたしの亭主にしてほしいってことかい」

俺は静かに「はい」とだけ答える。そのあと、俺はこう言い渡された。


「あきれたね。師匠相手にそんなはしたないことを言う下男なんて、うちにはいらないよ。どこへなりと出ておゆき。あたしはもうお前さんなんて知らないから。着てるものだけは置いていかなくてもいいよ。それは返す必要もないんだ」


“ああ、やっぱりそうだよな”


おかねさんらしいなと、なんとなく思った。だから俺は顔を上げ、おかねさんの顔を目に焼きつけようとしながらも、こう返事をした。

「わかりました。望むような下男になれなくて、申し訳ございませんでした。手内職で貯めた銭は、棚の中にあります。新しくそこに書きあがったものは、すみませんがおかねさんが代金を受け取りに行ってください。私は…そのお金を持ったままでは、新しい暮らしなんかできませんから…」

おかねさんはもう何も言わなかった。

「それでは、失礼致します。今まで大変お世話になりまして、有難うございました。お役に立てず、申し訳ございませんでした。どうぞお元気で」

俺は自分の草履を履き、振り向きたいのを、彼女に泣いて縋りたいのを我慢して我慢して、暗くなった外に出た。


“どこへ行こう”


身元のはっきりしない俺なんか、誰も雇い入れてくれるはずもないし、居候ができるような身分でも、家に置いてくれる知り合いも居なかった。


「明神様の軒下に…」


無意識にそう口にして、俺はそのまま歩き出した。