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短編集91(過去作品)

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 どこかの社長秘書でも、十分なくらいの器量である。あくまでも器量という意味だけでの判断で、醸し出している雰囲気はやはり宿の女将である。この仕事に誇りを持っているのだろう。
――大女将がいて、きっとかなり躾けられたに違いない――
 と考えるのは、テレビドラマの見すぎだろうか。ただ、数人の従業員とはいえ、一糸乱れぬ挨拶を見るのは気持ちのいいものである。
「すみませんね、予約をしていないのでいいのかどうか迷ったんですけども」
 というと、女将は手で口を押さえ、
「いいえ、大丈夫でございますよ。結構ご予約なしのお客様もおられますからね」
「今日はどうなんですか?」
「今日も一人女性のお客様でご予約なしでのお泊りの方が一人おられます」
――なるほど、これでさっき見たのと繋がった――
 そういえば、駐車場に一台バイクが止まっていた。女性の一人旅で、これほど交通の便の悪いところであれば、ツーリングというのも分からなくもない。
――女性が一人でツーリングというのはどういうことなのだろう――
 少し興味深いものだ。普通にバイク好きの女性が、休暇を取ってツーリングに出かける。失恋からの傷心旅行というのも考えられる。実際に会っていないので何とも言えないが、曰くありげだったら、どういう態度を取ればいいのだろうと考えていた。
 まず風呂に入りたかった。近くには露天風呂もあるそうで、案内されたとおりに行って見ると、岩場が迫ってくるような威圧感を感じさせるところであるが、
――これこそ自然の温泉だ――
 と感じながら、先ほどの鍾乳洞を思い出していた。
 いつの間にか霧は晴れていて、明るさが若干戻ってきた。しかし、時間が経っていることで、日はかなりにしに傾いているのか、谷間に差し込む光はわすかだった。岩場のところどころにつけられている電気に照らされて光っている水面が幻想的に感じる。きっと音が岩に反射してエコーが聞いているからだろう。
――露天風呂なのに、室内風呂のようなエコーの掛かり方だ――
 これがここの特徴でもある。ゆっくりと時間を掛けて浸かったのは、帰りに少し遠回りしようと考えたからで、途中にあった分かれ道の向こうに見えた赤い橋が気になっていたのだ。
 温泉から上がると、汗が吹き出してくる。ゆっくりと散歩するにはちょうどよく、先ほど見かけた赤い橋を渡ってみることにした。
 ゴーゴーという轟音が響いているが、滝があるのかも知れない。足元もぬかるんでいて下駄だと若干歩きにくい。一応舗装してあるので、足を滑らさないとも限らない。気をつけるに越したことはないだろう。
 轟音が近くから聞こえるわりには、川の流れは穏やかだった。途中にベンチがあるのが見える。ベンチには女性が一人座っていて、肩まで伸びている髪が風に靡いている。
 ゆっくりと近づいてみるが、轟音が邪魔するのか、彼女には白石の近づくのが分からないようだ。
 髪に光が当たって眩しいくらいだ。
――さっきまで暗かったのに、ベンチだけはスポットライトが当たったように眩しいみたいだ――
 と感じたが、そこにベンチを作った人の作為が感じるのはおかしなことだった。なぜなら時間帯によって違うだけならまだしも、季節によって、さらには日一日で違うはずだからである。
 栗色の髪は、白石が今まで見てきた女性の中でも、これほど綺麗に光っているのを見るのは初めてだと思わせるほどだった。元々黒髪の女性が好きな白石は、今まであまり茶色い髪の毛の女性を意識したことがなかった。偏見には違いないが、実際に茶色い髪の毛の女性に対して、何を考えているか分からないところがあると思わせてきたのだ。
「こんにちは」
 思い切って声を掛けてみた。
 ずっと前を向いて集中していたはずなので、さぞかし驚くかと思ったが、振り向く時もゆっくりで、こちらを向いた顔に驚きの表情は浮かんでいない。
「こんにちは」
 笑顔に見えたが、顔の半分に光が当たっていて、真ん中で表情が違っているように見えた。二重人格の人の顔を見ているようで一瞬たじろいだが、光が当たったのは一瞬で、すぐに、普通の顔に変わっていた。
「駐車場のバイク、あなたのですよね?」
「ごらんになりました? 女だてらにバイクなんてすごいでしょう? でも、風を切って走るのが、前から好きなんです。唯一一人でいても、まったく寂しさを感じない時ですからね」
 と微笑んでいたが、裏を返せばバイクに乗っていない時で、一人になると、寂しさや孤独感を感じることを意味している。
「今回の旅行では珍しいものをいただいてきました」
「ほう、珍しいものとは?」
「鍬で焼いた焼肉なんですが、なかなかおいしかったですよ」
「えっ、それなら私も食べましたよ。峠の茶屋という名のお店だったんですけど、下界に見える景色も最高でしたね」
 そういうと、少し複雑な顔をした彼女の表情を見逃さなかった。
 鍬焼きの味がまだ舌に生々しく残っているほど、ついさっきだったように感じている。
「私も久しぶりにおいしいものを食べたような感じで、味がまだ口の中に広がったままですよ」
 口にするかしないかだけで、考えていることは同じことのようだ。
「景色が綺麗だったでしょう? 上から見下ろす緑の美しさに、距離感を忘れるほどでしたよ」
「そうですわね。でも、急に霧が立ち込めてきた時にはビックリしました。店の人に聞いたんですけど、一日のうちに、急に霧が立ち込めてくるのは、一回くらいのものらしいですね。急に天気が変わるって言われて、実際に天気が変わったのが店を出てすぐだったというのも皮肉なものかも知れませんね」
「お茶もおいしかったでしょう?」
「ええ、気さくな感じのおじさんがおられて、いろいろ教えてくれました。景色についても話してくれましたよ」
 山の上は空気がおいしく、その反面薄いのが欠点だ。だが、耳鳴りは聞こえてきたが、それほど空気の薄さを感じたわけではない。
 霧が立ち込める中、山道を走っていると、空気の濃さだけが目立っているようだ。厚い雲のような霧がライトに照らされ、鏡のように写っているように見えるのはただの錯覚ではない。幾重にも重なった厚い雲の割れ目から、先を照らそうとしている光によって、却って霧の果てしない厚さを思い知ることになるとは、何とも皮肉なことだ。
 そういえば、下界を見ている時に感じた森の中を走り抜ける一筋の光。鋭角な扇形を示し、すごいスピードで蛇行している様は、まさしくバイク以外の何ものでもない。
――あの時のバイクが彼女だったのかな――
 と感じた。かなりの音を響かせていて、かなり遠いにもかかわらず轟音が走り去るのが分かった。実際に聞こえてきた音がかなり遅れていたことは、どこから聞こえてくるものか最初に分からなかったことからも窺える。
 きっと彼女が店を後にしたすぐ後に白石が入ったのだろう。白石が下を眺めはじめてすぐに霧が立ち込めた。しかもそれがいつも一日に一度だけ確実に起こることだということなので間違いないはずだ。
作品名:短編集91(過去作品) 作家名:森本晃次