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短編集91(過去作品)

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 しかしさすがに都会の雑踏、ラッシュアワーという言葉を痛感させられ、慌ただしさとともに一日が始まり、気がつけば終わっている。結構毎日仕事でいろいろあるわりにあまり生活に変化のないことが、ストレスとして溜まってくるに違いない。
 時間に追われる生活をしていると、自然と時間には正確になるものだ。分刻みは秒刻みとなり、時間の感覚が麻痺してくる。時々時間を感じることなく過ごしてみたいと思うのも無理のないことである。
 車を買ったのも一つはそのためだ。確かに皆安いものではなく贅沢品には違いないが、お金の使い道に関しては独自の考えを持っているかも知れない。
「お前変わってるな」
 と友達から話をしていて言われることもあるが、金銭感覚においても同じこと、自分では分からないところで、人と違う感覚を持っているに違いない。
 高価なものを買う時にそれほど迷うことなく買うのだが、千円単位の洋服だったりすると、これが一時間近く迷ってしまうことも、今までにはあった。
「それくらいの値段のものに迷っていてどうするんだ」
 と言われそうだが、高価なものは、最初に買うかどうか決めてから店の扉を開くが、中途半端の値段だと買うこと自体に迷ってしまい、購入すると思ってから、やっと色やデザインに迷うのだ。購入するかどうかに一番時間が掛かり、色やデザインなどは、それほど大きな問題ではない。
 普通なら逆だろう。あまり服装のセンスは二の次だと思っている白石にとって、中途半端な金額なだけに、迷いを生じてしまう。これも人には分からない感覚である。
 愛車は、山間に入ってさらに調子がよさそうだ。普通であれば山間に入るとエンジンに負荷が掛かってしまって、異様な声で泣き出すのが分かるのだが、その日は違った。
――きっと自然に囲まれた中で、こいつも気持ちよく走っているのだろう――
 運転していて、大自然に抱かれているような気分にさせられる。運転手自身がいい気持ちになっているので、きっと車に対しても優しく接しているに違いない。
――こいつにも心があるのかも――
 と、時々感じることがあるが、その時はまさしくそうだった。まるで車に気持ちが乗り移っているようだ。
 だが、時間を感じずに走っていても、身体は正直である。何も食べていなかったことも忘れて走っていたが、一度お腹の虫が鳴くと、むず痒さを感じてしまった。一度感じるとむず痒さは身体を走り抜け、全身に軽い痺れを感じる。
――どこかで休憩でもしようかな――
 同じような風景ばかりを見ていたので時間の感覚が麻痺していたのか、時計を見れば午後三時近くになっていた。中途半端な時間の昼食になるが、一旦空腹感を覚えると、もうだめだった。普段ならそれでもいいのだろうが、車の運転をしている時はそうも言っていられない。身体に正直に返事をしてしまう。
 ちょうど峠あたりに差し掛かっていた。かなり昇ってきたのだろう。耳鳴りしているのを感じる。
 小さなトンネルを潜ると、その先に展望台のようなところが見えて、そこに茶屋が一軒建っている。
――あそこにしよう――
 さすがに昼をだいぶ回っていることもあって、駐車場に車は数台しかいない。
――そういえば、ここに来るまでに、ほとんど車とすれ違わなかったな――
 と、今さらながらに感じていた。対向車をあまり気にする方ではない白石だったが、山道ともなれば話は別、いくら気持ちよく運転しているとはいえ、対向車や蛇行した道には細心の注意を払うのは当然というものである。
 駐車場に車を止め、そのまま展望台へと向った。すぐに店に入ってもよかったのだが、あまりにも綺麗な緑を目に焼き付けながら食べたかった。
 緑が目に映え、やはり展望台として選ばれた場所、どこかが違っている。数歩歩いただけでも、景色の美しさが半減してしまいそうに思うのは贔屓目に見ているからだろうが、騙されたとしても、
――騙されたままが幸せなこととだってあるんだ――
 と思いたい気分にさせられる。
 それにしても駐車場はかなり広めに作ってある。日曜日や祝日になれば、天気のいい日など、展望台はいっぱいになるのではないかということを思わせる。
――ここを今までにどれだけの人が美しいと感じながら見たのだろう――
 それはこの展望台ができてからのことではない、きっとそれ以前にも、数百年前にもこの峠を通りかかった人もいるだろう。そんな人たちを遠くに眺めながら思い浮かべてみるのも不思議な気がする。歴史を感じる瞬間だった。
 いかにも下界といった感じである。下の方には数軒の民家が点在していて、小さな村を形成しているのだろう。少し大きな建物も見えるが、それはおそらく学校や役所なのだろう。小さいなりに集落として立派に村を形成しているのが分かる。
 ゆっくりと茶屋に向うが、店の前には看板が飾ってあり、
「峠の茶屋」
 と書かれている。
 何の変哲もない名前だが、それだけに安らぎを感じる。特に「茶屋」という言葉が嬉しかった。
 表の佇まいから想像できる店内と、ほぼ変わりなかった。決して綺麗とは言えない店内は明かりも乏しく、暗いという雰囲気を最初に感じさせられた。外の景色を眺めながらの食事なので、店内の明るさにはさほどこだわらないが、これではあまり客を大事にしているとは思えない。
「いらっしゃいませ」
 ドキッとして振り向いた。そこに立っていたのは、中年というよりも初老に近い男性だった。背はあまり大きくなく、白い前掛けをしている。髪の毛も前掛けの色に近く、何よりも猫背になっているところが不気味だった。
 ドキッとしたのは、その佇まいからではない。席に着いてすぐに表を眺めていた白石ではあったが、いつの間にそばに来ていたのだろう。気配も何もなく忍び寄ってきていたのだ。どちらかというと気配には敏感な白石が気がつかなかったほどなので、かなり気配を消して近づいてきたに違いない。今までにここまで気配を消して近づいてきた人を白石は知らなかった。
「ここの景色は最高ですね」
 すぐに注文するには、あまりの心臓の鼓動が激しすぎる。少し会話をして自分を落ち着かせねばなるまい。ドキッとした瞬間に耳鳴りが起こり、自分の声が遠くにしか聞こえない。まるで水の中で出している声のようだ。
「そうでしょう。皆さんそうおっしゃいます。ここの景色を見れば、もう他の景色は見れないとまでおっしゃる方がほとんどですね」
「その通りかも知れません」
 大袈裟かも知れないが、まさしくその通りだろう。しかし、その時はなぜか嫌な予感がしてきて、曖昧に答えてしまった。他の時であれば「かも知れません」などと中途半端な答え方をするわけもない。鼓動の激しさはなかなか収まらないでいた。
「この鍬焼きっていうのは、何ですか?」
「当店の名物で、農家の人が使う鍬の上で、山の幸を焼いて頂くものなんです。地方によっては瓦を使うところがあるそうですが、ここでは鍬を使います」
 瓦を使うといえば、山口県に「瓦そば」というのがあったが、あれと同じようなものなのかも知れない。
 白石はさっそく興味を持ち、
「じゃあ、この鍬焼きをいただきます」
「ありがとうございます」
作品名:短編集91(過去作品) 作家名:森本晃次