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短編集91(過去作品)

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 おじさんは優しかったが、どこか暗いところがあった。時々母親と目を合わせては、お互いに頷いている時があり、そんな時に暗さを感じる。それと同時に母親が一番臆病に見える瞬間でもあった。
 最近になって、好きな女性のタイプが分かってきたが、どこかその時の母親のイメージに似ていると思ったことがあった。そんな時に、鏡を見ると不思議なことに、小さい頃に見た記憶の中のおじさんに似てきているのを感じた。
――あのおじさんって――
 そこまで考えると母親の怯えている顔の意味が分かる気がしてきた。しかも今はそんな母親の顔が自分のタイプの女性なのだ。男としての自分が顔を出す。
 おじさんの暗かった顔を思い出すと、情けなさが込み上げてくるようだ。それは、自分に対しての情けなさも意味していて、自己嫌悪に陥る時の原因で一番大きいのは、母親を思い浮かべる時だろう。だが、あくまでも自分のタイプは小さい頃の記憶にある母親で、怯えた雰囲気に淫靡なものを感じる。
 おじさんはいつも川の向こうから来ていた。小さい頃に育った街は近くに多摩川があり、よく河川敷で遊んでいたものだった。近くにある団地に住んでいたが、友達のほとんどは団地住まいだった。今から思えばその頃が懐かしい。
 旅行先での夏は、子供の頃に河川敷で遊んで帰る時の気だるさを思い起こさせる。夕日を浴びて長くなった影を見ていると、足が棒のように硬くなっているにもかかわらず、身体が宙に浮いてきそうになるのだ。
 岡山からまっすぐに上に上がり、新見あたりにあるという鍾乳洞を見て、鳥取に向う計画を立てていた。岡山に有名な鍾乳洞があるのは聞いていたが、今まで行ったことがなかったのだ。せっかく山陰に抜けるのだから、途中寄ってみたいと思ったのも無理のないことだ。
 井倉洞というところで、ゆっくりまわれば結構な時間が掛かるという話である。
 岡山を早めに切り上げ、新見に向った。途中城下町の備中高梁などを抜けて向うが、さすがに井倉洞に着く頃は昼前になっていた。
 かなり起伏の激しいところを歩いていたのだろう。それほど広い内部ではなかったが、終わってみれば、山の上が出口だった。かなりの距離を歩いたのは分かっていたが、まさかこれほど高いところから出てくるなど思いも寄らなかったので、ビックリさせられてしまった。
 狭いところをグルグル回っていたという記憶があるので、起伏の激しさは感じても、距離や時間の感覚は麻痺していた。
 最初こそヒンヤリとした内部に心地よさを感じていたが、見ていくうちに巨大な生物の身体の中を歩いているような異様な雰囲気に包まれていたのも事実で、
――どこまで続くのだろう――
 と感じたものだ。
 山口県の秋芳洞ほど広い内部であればそれほどでもないかも知れない。どうしても、秋芳洞のような全国的にも有名なところと比べてしまうが、決して引けをとらない気がする。だがそれも白石個人の意見であって、他の人がどう感じるか分からないが、観光客はそれなりにいる。
「以前、映画のロケで使われたことがありましたからね」
 中を歩いている時に、後ろを歩いていた数人の観光客の話を耳にした。
――なるほど、それで知っている人は知っているんだ――
 と感じた。確かに映画のロケで使うなら、いろいろな場面に使えそうだ。しかし、これだけ狭いと撮影も大変だったことをうかがわせる。
 表に出てから暑さを感じた。秋なのに汗が吹き出してくる。それだけ中が涼しかったのだ。湿気が多かった分、爽やかな風に吹かれると、汗が引いてくるのも早かった。きっと夏なら大変だったかも知れないが、下まで降りてくると小さな川が流れている。そのせせらぎを聞いているだけで、涼しさがよみがえってくる。
 時計を見れば洞窟に入ってからすでに二時間が経っている。
――もうこんなに時間が経っているんだ――
 ゆっくりと見て歩くつもりだったが、幻想的な景色が次から次へと展開される内部は、却って歩きながらの方が大スペクタクルを味わうことができる。感覚的には一時間も経っていないような感じを受けたが、降りてくるとかなり足に疲れを感じる。短時間で回ったつもりでも、時間が予想以上に経っていたからだろう。
 伊倉洞の中で真っ白な鍾乳石を見ていると、表面が濡れているのが光っていて立体感を感じさせる。そのイメージを持ったまま表に出てくると、表の景色がクッキリと浮かび上がっている感じだ。例えば、遠くに見える山の緑も、木々の一本一本までとは言わないが風に靡いて一方方向に流れているのが鮮明に見えたりしている。
――中は暗かったのに、表も暗く感じる――
 きっと中が銀世界で覆われていたからだろう。真っ白くてしかも表面が濡れていると、それだけ明るく見える。それも鍾乳洞の醍醐味の一つなのかも知れない。
 時計を見ると、二時近くになっていた。なぜか胸がいっぱいで、食事をしようという気分にならなかったので、早めに移動しようと考えた。車に乗り込むと、一路鳥取を目指して走り始めた。
 新見を出てしばらくすると山道に差し掛かった。峠をいくつも越えて抜けていくようで雄大な中国山地を味わうことになるのだろう。車を走らせるのに山道は好きな方だったので気分的にも爽快さを感じながら、ハンドルを握っていた。
 クーラーを掛けなくてもいいくらいに表の風が気持ちいい。いくら秋だといっても、昼間の車の中は暑さが篭ってしまう。最初にクーラーで冷やしてしまえば、後は表から入ってくる風で十分涼気を摂ることができるのだ。
 井倉洞の中でもそうだったが、車を走らせていると、時間の感覚が麻痺してしまう。時間を感じさせないと言った方がいいくらいで、気がつけば夕方近くになるかも知れない。特に山道のように同じような風景の繰り返しでは、時間が経つのは早いだろう。
――どこをどう走っているのだろう――
 頭の中で考えながらも、すでにどう走っているかなど分かるはずもない。蛇行しながら昇ったり降りたり、まさに孤独な時間をスピードとともに過ごしている。
 ドライブ好きの人は、その時間がたまらないのだ。きっとハンドルを握りながら、それぞれいろいろなことが頭をよぎっているに違いない。楽しいことが多いのだろうが、楽しいことを想像できる時間を日頃から持てない人には、ドライブは格好の趣味になる。
――これが本当の有意義な時間の過ごし方なんだろうな――
 と考えている人もいるだろう。少なくとも白石は考えている。
 白石は、車を持ってから女性とドライブに出かけたことがない。助手席にはいつも男性で、
――いつの日にか、隣に彼女になった人を乗せるんだ――
 というのが、差し当たっての目標でもあった。
 学生時代に車など持てるはずもなく、働き始めて何とか頭金ができたところで購入した愛車だった。普通車の中古だが、とりあえず一人旅に適するように、軽自動車だけは敬遠した。
 車を買って一年、いろいろ行ったが、その度に、愛車は活躍してくれた。
 仕事に行くのに愛車は使わない。使わなくとも鉄道網が発達しているので、電車の移動の方が便利である。会社が雑居ビルを借りているので駐車場がないことと、何よりも時間に正確である。
作品名:短編集91(過去作品) 作家名:森本晃次