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短編集91(過去作品)

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 気持ちをオブラートに包んでいる自分が嫌だった。しかもオブラートに包んでいることを最初は分からず、何が嫌なのかすら分かっていなかった時期がもどかしい。きっと恵美もそうだったに違いない。今から思えば、感情の起伏が激しいのは女性として当然だと思っていたが、心境の変化をオブラートに包まれた上から見ているから感じることなのだろう。それを考えると、
――恵美に悪いことをした――
 と思わないでもない。
 お互いに離れているのだ。どちらも気持ちをオブラートに包んでしまってはどうしようもない。
 転勤から戻ってくると、そこに恵美の姿はなかった。すでに連絡が途絶えて久しく、消息をたどる術もない。
「彼女なら、半月くらい前だったかな。退職しましたよ。そうですね、いきなりだったんじゃないかな? でも、ずっと静かだったので、やめていくことにそれほどの驚きはなかったね」
 と、バートの人の話だった。
 以前、彼女と一緒に行ったバーに顔を出してみた。一年前とまったく変わっていないはずなのだが、どこかが違う感じがする。
――以前にも来たことがあるような気がする――
 と感じた時の雰囲気を思い出した。本当に初めてではないので当たり前のことだが、初めて来た時のことをハッキリと思い出せるほど感覚に、店の雰囲気が持っていってくれるような不思議な空気に包まれた店であることは間違いない。
 店に入ると、無意識に恵美の後姿を探していた。カウンターに背中を丸めて静かに呑んでいる二人の男女。そのうちの一人は渋めの男性で、年齢的には三十歳くらいだろう。
 そして女性は間違いなく恵美なのだが、彼女も今まで自分に見せたことのないような大人の色香を醸し出す女性になっていた。
 彼女の横顔を垣間見た時に思い出してしまった。
――そういえば、学生時代に一度一人で呑みに行ったバーで、大人の色香を漂わせた女性に誘惑されたことがあったっけ――
 その女性が、今目の前で渋い男性とグラスを傾けている。ただ、あの時の妖艶な雰囲気は見下ろすような雰囲気だったが、今の相手を慕うような表情も実に魅力的だ。
――どうして、あんな表情を自分に見せなかったんだろう――
 と感じたが、よくよく見ると、相手の男性も、まるで他人ではないような雰囲気を感じる。
「お前は三十歳過ぎてからもてる顔だよ」
 と以前に言われたことがあったが、今カウンターに座っている男性、それは三十歳になった時の自分を見ているようである。
 その時にハッキリと感じた。
――恵美は、間違いなく自分の理想の女性なんだ――
 佐川は、二人の背中を見ながら、訪れるべくして訪れるはずの三十歳という自分にとって洗練された年齢を、この瞬間垣間見ているような気がしてならなかった……。

                (  完  )

作品名:短編集91(過去作品) 作家名:森本晃次