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短編集91(過去作品)

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 小グラスに注がれたワインだけでかなり酔っていた。あまりアルコールに強くない佐川だったが、その日は飲まれていたかも知れない。
 恵美の顔を見ると、彼女もほろ酔いからか、目が潤んでいる。潤んでいる目を見ただけで自分を求めていると思ったのは自信過剰だったかも知れない。だが、雰囲気は整っていた。
 車に乗り込む際に、腰を抱くようにして歩いていたが、背が低い恵美が目いっぱいに背伸びしているのを感じると、強く抱きしめ唇を重ねた。
――誰かが見ているかも知れない――
 そう思っていたが、そんな感覚が麻痺しているのも酔いのせいだっただろう。しかしそれだけで片付けられないものが気持ちをたまらなくさせてしまっていた。一旦火がついてしまった身体を抑えることは、もはやお互いにできない状態にあった。車を走らせ、ホテルへと消えるまでの一連の流れはまるで夢のよう、後で思い出すことも困難だった。
 部屋に入ってから、初めてのはずなのに、部屋の間取りに懐かしさを感じていた佐川だったが、ぎこちないはずの手つきに余裕を感じていた。
――本当に初めて入ったのだろうか――
 自分自身で半信半疑だった。部屋に入ると、お互いを求め合う気持ちを抑えることはできず、一体になりたいという気持ちだけで、抱きしめあっていた。
 息ができないくらいの苦しさで唇を求め合ったが、本当に苦しくなって唇を離すと、恵美の切ない息遣いが暗く静かな部屋に響いた。
 彼女はしばらく顔を上げられなかったが、落ち着いてくると、
「お風呂入れてくるね」
 と言って、バスルームに消えた。バスルームだけに電気がつき、勢いよく流れ落ちるお湯の音が響く。
――ここが夢にまで見た女性と二人きりになれる部屋なんだ――
 と感じ、想像していたよりも自分の中でいやらしさを感じない。怪しげな雰囲気だけを想像していたが、相手が恵美だということがすべてだと感じているからだろう、黙ってソファーに座って恵美が出てくるのを待った。
 脱衣場から出てきた恵美が身に纏っているのは、バスタオル一枚だけである。後ろのバスルームだけの明かりが彼女をシルエットとして浮かび上がらせ、身体の線だけが鮮明に見えたのだ。
――何て綺麗な曲線なんだ――
 芸術的な身体だと感じると、その美しさにしばし見とれていたが、彼女の息遣いを感じると、またしても抱きしめていた。もう、唇を重ねることもなく、ベッドへとそのまま倒れこむ。いつ服を脱いだのか、全裸で抱きしめあってから興奮がある一点に集中することで最高潮に達し、気がついたら憔悴の中に身を委ねていた。
――これほど一連の流れで終わってしまうなんて――
 感動というよりも、達成感。いや、征服感といえば大袈裟か。とにかく今までに感じたことのない気だるさは、全身すべてが感じる身体になってしまったかのようだった。シーツがこすれただけでも、敏感になっている自分の身体を感じていた。
――自分の中で何かが弾けたんだ――
 女性なら、明らかな身体の変調に違った感覚を感じることだろう。だが、男性である佐川は身体に変調を感じなかった分、精神的なところでの変調に気付いていた、しかしそれは明らかに分かっている変調ではない、おぼろげな変調であって、その正体は明確ではないのだ。
 翌日からの恵美にそれまでと変わったところはなかった。普段どおりの作業着姿は、真っ赤な口紅が目立ついつもの恵美だったのだ。それは一番変化に敏感なはずの佐川ですら変化を感じないので、誰も彼女が変わったと感じないだろう。
――彼女は変わっていないのだ――
 変わっているとすれば佐川自身、自分では分からないだけに、人に気付かれないかどうか不安だった。すぐに顔に出る性格なのが、災いするかも知れない。
――それにしてもこの部屋も、以前来たことがあるような気がするな――
 と思えてならない。なぜか恵美と一緒にいく場所には、以前に来たことがあるというイメージが付きまとう。もしそばに誰かいたとすれば、それは恵美なのだろうか?
 彼女の肉体は、子供のようなところがあり、そこが魅力の一つだった。
「嫌だわ。まるで子供みたいでしょう?」
 とはにかんで見せる仕草も実に似合っていて、しばらくは、感触が指に残ってしまいそうなほどのモチ肌でもあった。
 その日からなぜかギクシャクしている二人、ホテルへ行くという雰囲気どころか、デートに誘うにしても雰囲気が出来上がらない。
――お互いに遠慮しているのかな――
 と感じるのは、目が合いそうになれば、どちらからともなく目を逸らそうとする素振りが見えるからだ。
 佐川に転勤命令が出たのはそれからしばらくしてからだった。研修期間もある程度終われば、赴任地がそれぞれ決まる。そのままその支店で就業する人もいれば転勤になる人もいる。要は支店の都合によるものだ。
 転勤命令が出るかも知れないということは、半分くらいの確率で覚悟はしていた。営業の数から行けば何とか足りている。大規模な事業拡大でもない限り、増員は難しい状態だったのだろう。
「佐川君、今度転勤だ」
 淡々と話す支店長が憎らしくもあったが、命令とあらば仕方がない。支店長自身も転勤族、きっと自分も最初に転勤を言われた時というのが、同じように淡々と宣告されたに違いない。
 直立不動で聞く必要もないだろうが、少なからずのショックがあったことは疑いようのないことだ。
「分かりました」
 と見下ろすように答えていたが、支店長は見上げようともせず、睨みを無視されたようで、そのあたりが一番悔しい。
 転勤先はかなり遠いところになる。新幹線や在来線を乗り継いで一日掛かりのところであって、飛行機を使っても、空港からの距離を考えるとあまり変わらない。
 田舎の支店で、営業所規模のそれほど大きくないところの少数精鋭に加えられた。心境としては複雑である。
「ちょうど、営業に欠員が出たので、君に白羽の矢が立ったというわけだ」
 本社の営業部に知り合いがいる先輩の話だったが、そういうことなら仕方がない。住めば都というではないか。とりあえず行ってみるしかない。
 一番気になるのは仕事のことではなかった。仕事に不安がないとは言い切れないが、恵美との関係が一番気になった。なかなかすぐに遭える距離ではない。少なくとも一月に一度会えればいい方だろう。
 赴任するまでの恵美はなるべく寂しさを表に出さないようにしてか、元気さを表に出していた。それが空元気に見えてくるだけに、痛々しくも健気である。
 いざ転勤の日になってもそれは変わらなかった。元気を出して励ましてあげなければいけない立場の佐川の方が気後れしてしまいようなくらいの明るさに、さすがに戸惑っていたが、最後は目にいっぱい涙を溜めていたのが印象的だった。ホームで思い切り抱きしめると、堰を切ったように泣き出す恵美。彼女に初めて「女性」を感じた瞬間だった。
――抱きしめた身体の感触を、しばらく忘れることはないだろう――
 その思いに間違いはなく、彼女がいつもそばにいてくれているつもりで、仕事に勤しむことができた。
 もちろん、お互いに連絡は取っていた。
作品名:短編集91(過去作品) 作家名:森本晃次