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猟奇単純犯罪

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 それまで彼とは腕を組んだり、手を繋いだりはしたことがあったが、ここまで身体が密着することはなかった。お互いに重ねようという意識があってのことではなかったが、却って自然な感じがするのも悪くはなかった。
 そんな時、心地よさを感じたが、
――これは初めてではない感覚だわ――
 どこで感じたのかを思い出していたが、
――そうだ、大学生の時のあの体験入店の時だわ――
 あの時は身体が触れあったわけではなかったが、まるで身体に電流が走ったかのように震えが止まらないほど興奮し、そのまま果ててしまいそうな恥ずかしい思いをしたのを思い出した。
――どうして、あの時のことを?
 と感じたが、だからと言って、今日も恥ずかしいというわけではなかった。
 むしろ懐かしいという感覚で、相手が付き合っている人だという思いがあるから、恥ずかしくないと思った。
「付き合っている?」
 ふと、桜子は感じた。
 確かに、何度かデートを重ね、その間に腕を組んだり手を繋いだりしたが、それ以上のことはまだ何もない。それで付き合っていると言えるのかと思うのだった。お互いに身体を重ねるという一線を越えることが付き合っているということになるのではないかと、桜子は思った。
 実際には、付き合うという定義はどこからなのか、それは個人レベルでそれぞれ差があるのだろうが、初めて男性との交際で、桜子は戸惑っていた。
 ただ、自分の中で、
「そろそろなんじゃないか」
 という思いがあるのも事実で、今までの牛島の態度を見ていると、彼に従っていればそれだけで安心であることから、
「彼に任せておけばいい」
 と思ってもいた。
 こういうことは男性の方からのアクションであって、決して女性の側から言い出すことではないと桜子は思っていた。
 やはりというか、想像していた通り、その日の夕方、彼は桜子をホテルへと誘った。誘い方も紳士的だったので、何ら抗う心境もなく、その場の流れに身を任せることができたのだが、それはまるで夢のような出来事に感じた桜子だったが、牛島の方はどうだったのだろう?
 桜子はその状況に身を任せながら、そんなことを考えていた。
 その日を境に、二人は完全に付き合い始め、それまで公然の秘密だった交際も、会社でオープンになっていった。どちらも同僚に隠していたという意識はなかったが、まわりの方で二人が隠しているのではないかというような雰囲気があったようで、それがぎこちなかったことから、公然の秘密のようになっていた。
 しかし、今はそのぎこちなさが消えたことで、二人の交際はまわりから公認という雰囲気になっていたのだ。
 幸助は、今までの女生徒の交際を隠さずに話してくれた。といっても、実際に付き合っていたのは、大学卒業前に付き合っていて、別れを切り出された女性だけだったというが、彼の話を聞いていると、大学在学中に、付き合っていたと言えないほど短期間であれば、ひょっとして付き合った人数に入れるべきか悩むところの人は数人いると言っていた。
「それってどれくらいの期間なの?」
 と桜子が聞くと、
「長くて三か月くらいかな? 中には二週間なんて人もいたけどね」
 と言って苦笑いをしていた。
「三か月くらいだったら、微妙なのかも知れないけど、それより短かったら、お付き合いしていたとは言えないかも知れないわね」
 と、自分が男性と付き合ったことがないのを棚に上げて、自分の意見を述べた。
「そうなんだよね。僕は今まで女生徒長く付き合ったことはないんだ」
「どうして別れることになったの?」
 と聞くと、
「それが分からないんだ。急に相手から別れを切り出したり、何も言わずに僕から去って行ったりで、僕としてはサッパリ訳が分からない。そのせいもあって、失恋してからのショックは結構長引いたりしたんだ。三か月しか付き合っていないのに、半年悩んだりしてね。今から思えばバカみたいだった思うよ」
 と彼がいうと、
「そんなことないわよ。それだけあなたが恋愛に真剣だったということでしょう?」
「僕もそう思うんだけど、やっぱりうまく行かないというのは、ショックが大きなものだよね。特にいきなりの別れというのは、ショック以外の何物でもない。おかげで自分の何が悪いのか結構いろいろ考えるんだけど、どうしても分からないんだ」
 という。
 別れに際して、すべてどちらかが悪いというのは、明らかに浮気したなどの既成事実でもなければ成立しないだろう。それこそ、
「性格の不一致」
 などという別れの理由があるが、これほど曖昧で、都合のいい理由はないような気がする。
 言い訳にも聞こえるし、この意見が圧倒的に別れの理由で多いというのは分かる気がする。
 少し、その話を聞いて、初めて牛島という男性に不信感を感じたが、結婚に際して何ら引っかかることでもなく、次第にその感覚も忘れていくのだった。
 二人が結婚したのは、付き合い始めてから三年くらいが経ってのことだろうか。気が付けば会社の中では早い方で、人によっては、
「なるべくしてなった結婚」
 ということで、やっとというイメージの強い人や、二十歳なかばという年齢から、
「スピード結婚」
 をイメージする人もいたが、二人の間ではそんな余計な感覚はなく、
「普通に付き合って普通に結婚しただけ」
 という思いがあった。
 特に二人は結婚に対して特別なこだわりがあったわけでもなく、結婚という儀式が済んだだけという感覚だった。
 最初、二人は会社の近くの賃貸マンションで新婚生活を始めたが、そのうちに彼からの誘いで、
「両親が一緒に住まないかと言っているんだけど」
 という話を聞き、少し迷ったが、両親とも別に確執があるわけでもなく、嫌いなわけでもないので、
「いいわよ」
 と返事をした。
 それが、自分にとって無意識なストレスをためることになるなど、その時はまったく意識していなかったが、もし、人生に節目がいくつか存在するとするなら、この時もその一つだったのかも知れない。桜子は、まったくそんな感覚もなく、ただ牛島を信じるだけだった。

                  隣の浪人生

 牛島夫婦がT坂ニュータウンに引っ越してきてから三か月が経った頃、彼らの隣に一人の浪人生が引っ越してきた。彼の親は、少し裕福だったこともあって、マンション代は親が持ってくれ、
「ここならお勉強するには最適でしょう」
 ということで、大学を目指すための一人暮らしを始めた。
 引っ越しには大した荷物もなかったので、最初は隣に誰かが引っ越してきたなど知らなかった桜子だったが、浪人生が一人で挨拶に来た時はビックリした。
「あの、お隣に今度引っ越してきました。本城直樹と言います。よろしくお願いします」
 と言って、これでもかというほど恐縮していたのを見て、桜子の方も恐縮し、
「ええ、こちらこそ」
 と言って、それ以上何も言えなかった。
 ぎこちないというよりも、その暗い雰囲気が気持ち悪かったと言っていいだろう。
 手土産はクッキーのようだったが、ちゃんと隣近所に引っ越しの挨拶ができるだけでもいいのかも知れない。
 リビングに戻ると、旦那の幸助がテレビを見ながら、首だけを後ろに向け、
「何だって?」
作品名:猟奇単純犯罪 作家名:森本晃次