猟奇単純犯罪
最初のつなぎという気持ちから、少し店に慣れてくると、ママさんから言われたこの言葉もまんざらでもない気分にさせられるが、さすがにこのまま延長しての勤務には抵抗があったので、ママさんのこのセリフには曖昧に答えるしかなかった。
そんな桜子であったが、桜子が店に勤め始めて二週間くらいが過ぎた頃のことであろうか、桜子もひろ子も知らなかったのだが、二人にとって馴染みのある客が、まったく別のキャストを指名して店にやってきた。
この男はこの店は初めてではない。たまにやってはくるが、ひろ子と顔を合わせたことはなかった。
もっとも、ひろ子の方は結構視力が悪く、コンタクトをしていたが、お店の中にいると、結構見えないようで、自分の指名客はほとんど顔が認識できないほどであった。却ってその方が都合がいいと思っていたひろ子は気にもしていなかった。なぜならひろ子は金髪のウイッグなどをつけて、
「化けている」
からだった。
「五つは若く見える」
と自他ともに認めているくらいなので、知っている人がきても、別に指名しているわけではなければ、分かるわけもなかった。
その客は、基本的に金髪は嫌いだったようで、いくらウイッグと分かっていても、指名する気にはならなかった。そういう意味でひろ子が指名を受けるわけもなく、今まで事なきを得ていたのである。
だが、その男は、さすがに桜子のことには気づいたようだ。
「あれ? あれは……」
と思い、声を掛けようかと一瞬思ったが、
「待てよ」
と感じ、思いとどまった。
ちょっとした悪戯心が頭をよぎったことから、この店で声を掛けることをやめたのである。
男は桜子の様子をジロジロ見ながら、ほくそ笑んでいた。自分がキャバクラにいるということも忘れてしまうくらいにであった。だが、さすが彼も男である、指名して入店したからには、しっかりと楽しんでいた。その時は桜子へのよこしまな気持ちを抱いたままであったことは言うまでもない。
当の桜子は見られているなどと知る由もなく、すでに何度か自分のことを指名してくれている、
「お馴染みさん」
と仲良く会話していた。
その様子は、普段の桜子からはまったく想像できないもので、男はその様子も実に楽しく覗いていた。
――へえ、あの奥さん、あんな顔するんだ――
と思い、ほくそ笑んでいた。
桜子は、店ではまったく普段とは違っていた。
――こんなに楽しいなんて――
と実際に感じていたことであり、普段がまるで借りてきたネコのように思えていた。
そして、最近思い出すのは、かつて大学の時に体験入店した時のことであった。しかもそれを思い出すのは、店にいる時ではない。そのほとんどは夜寝ていて夢に出てくることだった。
自分は大学生に戻っていて接客しているのだが、その場所は今ピンチヒッターをして勤務している店であった。
相手の客は知らない人で、
――いや、でも見覚えはあるんだけどな――
と思う人だった。
その男性が桜子の顔は見ずに、身体を舐めるように見ている。頭の髪の毛から下がっていって、顔は見ることなく、胸から下半身に掛けて、舐めるように見ている。特に下半身は重点的である。
そんな時、桜子はムズムズしている。腰をくねくねさせて、イヤイヤしているような様子である。
オトコの顔がニヤッと厭らしく唇が歪む。完全に視姦されていた。
――前にも同じような感覚あったわ――
それが、大学時代の自分であり、まさに夢に出てきた自分だった。
――なんて気持ちいいのかしら?
と思うと、そのうち、これが夢であることに気付いた。
夢ならすぐに覚めるだろうと思っていたが、すぐには覚めなかった。それよりも、隣で旦那が寝ていることを分かっていて、
――夫にはこんな私を知られたくない――
と思っていた。
幸い、すぐに目が覚めてすぐに隣を見ると、旦那はいびきを掻いて寝ている。
「よかった」
と安堵の溜息をつくのだが、身体は火照っている。その火照りが心地よく、その思いが自分をキャバクラのあの店へと駆り立てるのだった。
そんな感情になっていることを誰が気付くものだろうか。ひろ子さんや店のママであれば、桜子が勤務を楽しんでいるということは分かっても、その楽しさがどこから来ているかまで分からないだろう。しかも商売柄、あまり人の感情にまで入り込むようなことはしないはずの彼女たちに桜子の本心など分かるはずもない。もし分かったとするならば、自分も同じような感情の持ち主であるということであろうが、それならそれで問題ない。なぜなら、それを他人に気付かれるようなことは絶対にしないだろうからである。
「本当に、もも子ちゃんはよくやってくれているわ」
とママがいうと、
「ええ、私もあの人がここまでやってくれるとは思っていなかったわ。私も紹介した手前安心してますよ」
と、ママとひろ子が話しているようだった。
ひろ子はこの店では結構ベテランのようで、
「こういう店なので、結構キャストの入れ替わりは激しいのよ。そういう意味で、この店は都会の繁華街のような店が乱立して、商売敵のような目でまわりを見ることはないので、ギスギスした雰囲気もないので、いいのかも知れないわね」
と、桜子に話した。
桜子もその話を聞いたのは、働き始めて少ししてからのことだったので、
「うんうん」
と頷いたが、それは本心だったのだ。
「どうしてママさんは、こんな中途半端なところにこんなお店を作ったのかしら?」
とひろ子に聞くと、
「ハッキリは分からないけど、このお店をずっと続けていくつもりは、毛頭ないと思うのよ」
「どういうこと?」
「このお店も、本当はどこかの大きなお店のチェーン店のような感じなんだって。表向きは単独店なんだけどね。だから、フランチャイズではない系列に近いかな? ママはいずれここを辞めて、スナックか小料理屋をやりたいような話をしていたわ」
「小料理屋というのは憧れる気がするわ」
なるほど、ママさんは今はドレスを着ているが、和風の服を着るともっと似合いそうな気がする。
「いろいろあるけど、でも、私は今楽しいの。それでいいんじゃない?」
という言葉、いちいち納得できる桜子であった。
桜子はママを見ていて、どこか頼りがいを感じていた。
――本当ならもっと続けたい気もするわね――
と思いかけてもいた。
しかし、桜子がそう思っていた矢先に事件は起こった。それはもう少し後での記述になるだろう。
桜子は、店にすっかり慣れてしまい、毎日が楽しかった。店に出ない日でも、なるべくゆっくりしているように心がけたが、それは自分の中でメリハリをつけたいという思いからであった。
普段の主婦としての顔、そしてキャバクラのキャストとしての顔、まったく違う自分を演じている。実は桜子は自分の夫に裏表を感じていたが、自分にも裏表があることに気付いたが、それはお互いに駆け引きする部分としては公平であると思ったのだ。
今のところ駆け引きすることなど何もないが、似たもの夫婦として、相手の気持ちも話していると分かってくるのではないかと思うようになっていた。