猟奇単純犯罪
それにしても、気さくでまわりともうまく会話に乗っていける明るい奥さんだと思っていたが、それは元々の性格から来るものなのか、それともキャバクラ勤めが彼女をそのように変えたのか、桜子が見る限りでは、前者に思えた。その感覚から、桜子はひろ子の頼みを無碍に断る気にはなれなかった。
ただ、引き受けると決めたわけでもなく、もし引き受けるとしても、引き受けるまでにいくらかの関門があると思っていた。
一体どれくらいの期間なのか、そして、場所はどこなのか?
これは、家事との両立の問題と、場所によって、旦那にバレルかも知れにあという意識もあった。そして、期間がある程度ハッキリしていないと、そのままなし崩しにダラダラ勤めなくてはいけなくなってしまうことは、本末転倒だったからである。
もちろん、店自体がどういう店なのか、客層は?
などと、もう一つ踏み込んだ意識も持っておかなければならない。
何しろ水商売なのだ。気になってくることは山ほどある。
「もっと他に確認しておかなければいけないことがあるのではないか?」
という思いが不安になったりもする。
だが、桜子はその時、彼女の頼みを断るという選択肢を最初から持っていなかった。話を聞いていたのも、
「働いてみる気、ありき」
だったのだ。
スナック勤めなどと違ってキャバクラである。水商売というよりも、風俗に近い。触られることもあるだろうし、相手もそんな目で見てくるに違いない。
大学時代の時のような体験入店とは違う。確かに今の自分はあの時のようなウブな小娘ではないが、そのあたりは風俗に通い慣れた客が相手であれば、彼らの目を甘く見るわけにもいかない。
それにしても、
「いきなり今まで平凡に暮らしていた主婦に、何というお願いを持ってくるのだろう」
と思わないでもいられないが、そんな主婦だからこそ、無防備に見えたのかも知れない。
それが彼女の思うつぼだったとすれば、やはり桜子は性格的に、
「来る者は拒まず」
という性格なのかも知れない。
話を聞いてみると、それほどきついものでもなかった。亭主の会社からも、通勤路からも離れているからだ。それに彼女が勤めているところだから、きっとこのマンションからもあまり関係のない場所での勤務であろうから、そのことは気にすることもないだろう。
そうは思ったが、
「少しだけ、お返事、待ってくれる?」
と言ってみた。
「いいわ。じゃあ、三日間だけ待ってあげるから、その間に考えてみて」
と言ってくれた。
なるほど、最初からいきなり返事をしなければいけないほど切羽詰まったお願いでもないようだ。もっともどこかを辞める場合は基本的に一か月前に通知が必要なのだが、ただ、それがこういう商売で通用するかどうか、桜子には分からなかった。
約束の三日が経って、
「ええ、いいわ。でも、期間は約束のその期間だけね」
というと、
「ありがとう。もちろん、それでいいわ。お給料の話は私がお店のママさんにお話しておいたから、安心していいと思うわ」
と言っていた通り、実際に給料は少し色をつけてくれていた。
だが、この決断が結果的に間違っていたことを、桜子はその時まだ知らなかった。
約束では、一か月ほど、週に二、三回でいいということ、そして、旦那が早く帰ってくるというのが分かっている時は出勤しなくてもいいということ、基本的に家庭を犠牲にするようなことをしなくてもいいということだった。家庭から訴えられるなどの面倒なことは、店の方としてもお断りだったからである。
お店は、それほど広くなかった。近くには競合店もなく、飲み屋が少々ある程度、
――よくこんなところにお店を持って、やっていけるわね――
と思ったが、
「飲み屋の客がターゲットなのよ。このあたりの人は呑みに行ってもそんなに浴びるほど飲む人はいないわ。だけど、男としてムズムズすることはあるんでしょうね。お仲間さんと呑んだ後、こちらに来られるかたが多いようなの。そのあたりの流れは都会の繁華街と同じなのかも知れないけど、今のところはうまく行っているということかしら?」
と誘ってくれた彼女はそう言っていた。
ドレスは体験入店用に置いてあったので、それを着ることにした。体系的には小柄に見えるが、中肉中背なので、サイズが合わないことはなかった。化粧はいつものように薄めにした。下手に目立ってしまっては、他のキャストの手前まずいと思ったのだ。
誘ってくれた彼女、ひろ子はというと、うまい具合に化けていた。その様子は、完全に普段の彼女だとは思えないほどであった。一番の特徴は、金髪のウイッグをつけていて、口元に着けぼくろなどを施していた。金髪の印象派強烈で、普段の彼女よりも五歳は若く見せる。小学生のコスプレなどをさせると、本当にロリコンをイメージしてしまうであろう。
お客さんは、辞めていったその子から受け継ぐような形になり、フリーの客か、辞めた女の子を指名しようとしてきた客であった。
辞めていった女の子がどんな子なのかは分からず、最初は気を遣った。
――その子をイメージしてきているのだから、私もその女の子になったつもりにならなければいけないのかしら?
と思ったからだ。
だが、そんな必要はサラサラなかった。辞めていった彼女はどちらかというと静かなタイプで、自分からあまり話さない子だったという。店には不釣り合いなのかも知れないが、そういう子を好む客もいるということだ。入店間際でまだ戸惑いのある桜子にはちょうどよかった。そういう意味では桜子も桜子も桜子も客に遠慮することもなかった。ただ、静香に客の話を聞いているだけでいいような感じだったのは、本当にありがたかった。
「どうやら馴染めているようね」
桜子を誘ったひろ子も安心してくれているようだ。
誘ったのは彼女なので、それはそうだろう。しかも、店から桜子の相談相手になってほしいと言われているようで、事あるごとに、桜子を気にしていた。
桜子としても、そこまで嫌な気はしなかったので、ひろ子も安心してくれ、ママさんもよかったと言っていると話してくれた。代役としてのつなぎであったが、それはそれで役立てたことはオンナとしての冥利にも尽きるというものだ。
このお店での桜子は、源氏名を「もも子」という名で呼ばれていた。これは自分からつけたのではなく、ひろ子がつけてくれた。きっと、
「桜に対しての桃」
という意味でつけてくれたのだろうが、まさか桜子の旧姓が「桃井」であるなど、想像もしていないだろう。
そう思うと、少し可笑しな気がした。
だがこの店での「もも子」は思っていたよりも人気だったようで、指名してくれる客も徐々に増えてきた。
「へえ、もも子さんって、結構人気なんじゃないですか」
とひろ子はニッコリしていた。
指名数ではさすがに彼女には負けていたが、新人のしかもピンチヒッターとしては、かなりのもののようだ。それはママさんも認めているようで、
「本当にありがたいわ。本当ならこのままお勤めを続けてほしいくらいよ」
と言われた。