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猟奇単純犯罪

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「今までと違った絵が描けるかも知れない」
 と思った。
 その思いがあったことで、
「さて、どこに行こうか?」
 と考えて、すぐに浮かんできたのが、この場所だった。
 他の場所は他の場所で、それなりに思い入れはあるが、やはり再度訪れる十なると、最初のあの場所を思い浮かべるのは当然のことだろう。
「僕にとっての卒業旅行だ」
 と思い、すぐに計画した。
 その頃はまだ秋口だった。卒業までにはまだまだ期間はあったが、なぜここで卒業旅行だと自分で思ったのかというと、けじめをつけたいという気持ちがあったのだ、
 ギリギリまで大学生気分でいることを幸助は望んでいなかった。
「どうせ卒業すると、すぐに社会人として気持ちを新たにしなければいけないんだ」
 と、分かり切っていることを先延ばしすることを、彼はよしとしないところがあったのだ。
 予約を入れてみると、
「大丈夫ですよ、十分空いています」
 ということだった。
 秋口だったらもう少し人が多いのかとも思ったが、考えてみれば、紅葉の時期が多いという。晩秋に多くなるということで、まだまだそこまでには時期があるのだ。それに、秋と言ってもまだ暑さが残る時期、逆に夏のように暑い時期の避暑にしては中途半端なため、客はそんなにいないという。
 さっそく予約を入れ、滞在期間は一週間にした。
 夏の間にアルバイトしたお金で十分足りる。他の人から言わせれば、
「そこで一気に使ってしまうのは、もったいなくないか?」
 と言われるかも知れないが、幸助にとってそんな感覚はない。
 一つのことに特化してのお金の使い道というのは、ちょっとずつ使うよりも、有意義であり、何よりも計画性に富んでいるだろう。却って、
「もったいない」
という連中の気が知れないと思うほどだった。
 幸助はその宿に着くと、前に来た時と同じ場所に腰を掛けてみた。
 それはホテルの前にあるベンチで、最初にそこから湖畔を見た時のイメージを鮮明に残したまま、少し離れたところに腰を落とし、スケッチを始めたのだ。
 絵を描くと言っても、油絵などの大げさなものではなく、鉛筆描きを中心にしたスケッチがほとんどだった。本当は、そのうちにスケッチから水彩画や油絵に移行するつもりでいたが、スケッチをやってみれば、これが結構奥深いことを感じるようになった。それからは、
「もう少しこのまあスケッチでやっていこう」
 と思った。
「ひょっとすると、このままスケッチばかりを描いていくことになるかも知れない」
 という思いも強く、その日も、まずベンチに座り、スケッチを始める前に、瞼に今見ている光景を焼き付けていた。
 人の顔を覚えるのが極端に苦手な幸助だったが、なぜか風景などを忘れることはなかった。それは絵画でも同じことで、一度美術館で見た絵を、他の美術館で見た時、
「初めて見る絵ではないような気がする」
 と感じたものだった。
 絵に既視感を感じると、風景迄既視感を感じてしまうことがある。初めていったはずの場所で、
「前にも来たことがあったような気がする」
 と感じるからであって、その思いを特に感じるようになったのが、最近のことだった。
 それは、どこかのタイミングの記憶を思い出したい一心だったのかも知れない。もしそうだとすると、それは今から現実となる前触れを感じることで、偶然という言葉が運命に結び付いてくると思うのだ。
 前のように今回の絵は、最初に筆をどこに落とすかということを意識することはなかった。
 そういえば、幸助は自分が何かをする時、
「それは選択するのではなく、考えることだ」
 と考えるようになっていた。
 どちらが正しいかを選択するということと、考えるということは、根本的に違うののだと思っていた。だが、よく言われることとして、
「もっと考えろ」
 だったり、
「何も考えていないじゃないか」
 などと言われることというのは、そのほとんどが選択肢の中の一つを間違えた場合である。
 それを考えると、何か新しいことをしようとして考えることと、基本的に違う気がする。
 選択肢を考えるとして表現する場合は、人生の中の生き方であったり、何かのハウツーのようなイメージが強い。
 しかし、それは先駆者と呼ばれる人がいて、前に道を築いてくれてはいるが、実際に人それぞれで生き方が違うので、選択肢一つをとっても、人によって道が違ってくる。選択はほぼ毎日、そして、いついかなる場合にも潜んでいると言ってもいいだろう、
 何もないところから選択というものはないわけで、新たに創造するということになる。幸助はそれが好きだった。先駆者に学ぶわけではなく、自分が先駆者になりたいという思いである。
「何をするにしても、最初に始めた人が一番偉いんだ」
 という思いを常に持っていて、いくら優秀なものをそれ以降に誰かが作ったとしても、絶対に先駆者を超えることなどできないという考えであった。
 絵を描くというのがその発想に結び付くのかどうか疑問であるが、幸助は少し違った考えを持っていた。
 確かに絵を描くというのは、何か被写体があり、それを模写して描くのだが、まったく同じ絵を描かなければいけないという決まりはない。時には大胆に省略したり、何かその場所にあって違和感のあるものを付け加えることで、特徴を出そうという人もいるだろう。
 それが芸術というもので、絵を描く時、最初にどこに筆を落とすという選択肢から入るとしても、実際に描く絵は、目の前の風景とは違ったものになっていた。
 最初は恥ずかしくて、
「下手だから、綺麗に模写できなくて」
 とも言っていたが、それは自分が絵を下手くそだと思っていて、その言い訳であったのだが、そのうちに、言い訳が本心に近づいていると思うと、描いた絵に魂が籠っているかも知れないと思うのだった。
 以前、ここに来た時は三日間の滞在予定だったが、絵ができていなかったこともあって、五日間に変えた。それでも完成することはできなかったので、家に持って帰ってから、写真だけは撮っておいたので、何とか完成させることができた。
 だが、実際に完成した絵と写真を見比べてみると、どこかが違っている。下手をすると自分で描いた絵の方がいいような気がしてきた。実際に写してきた写真には載っていないものが、自分で描いたものには描かれていた。ただ、それを描こうと意識したわけではなく、無意識のうちに描かれていたものだった。
 それでも、最初は、
「どこが違うんだろう?」
 と自分で描いたにも関わらず、よく分からなかった。
 無意識の意識が描いたとでも言えばいいのか、それは偶然という言葉と似ているような気がした。
「無意識であれば偶然と言えるが、それを意識してできたのであれば、それはもうすでに偶然ではなく、運命というものではないか」
 と思うようになった。
 少しの間、ベンチに座って湖畔の景色を見ていたが、目に焼き付けた気分になると、すぐに前に描いた時のポジションに移動してみた。
「前の時よりも、何か狭くなったような気がする」
作品名:猟奇単純犯罪 作家名:森本晃次